自我が育ちづらい もうひとつの理由

この記事を書いてから7年が過ぎました。
そして再編集をしながら、タイトルでもある
『自我が育ちづらい もうひとつの理由』
を書き足しておきたいと思いました。


近年、カウンセリングの仕事や、それ以外のところで
「ダンナ(夫)が子ども過ぎて困っている」
と云う話を、よく聞くようになりました。

私自身、少々耳が痛いのですが(苦笑)、
しかし、その内容は想像以上で、
「それがホントなら、さぞお困りでしょう・・」
と思うほどなのです。

たとえば、
生活費を渡してくれず、遊んでしまう。
違反切符を懲りずにもらってくる。
などの金銭的な問題から、
小学生の子どもと、ほとんど変わらぬ振舞い・・
など、日常生活での問題。

書き続けたら終わらないので、これくらいにして
おきますが(^^:、
「ダンナが子ども過ぎて生活にならない」
と云うわけです。

もちろん、夫婦のことですから
「うちの嫁さんが・・・」というケースもあるかも
しれませんが、、、

ともあれ、そうした話を頻繁に耳にしますので、
ちょっと書き足しておきたいと思いました。
って、前置きが長いですね。(汗謝)


さて、上記のようなケースの場合、
『自我が育っていない』のと併せて、
『超自我の問題』があるように思います。

自我の成育も大事ですが、超自我が育っていない
と云う話になれば、道徳心や社会ルール(社会性)が
疑わしいことになり、一事が万事で家庭での生活も
想像がつくと思います。(また後述します)


そして実は、
自我が育つためには、超自我の存在も重要で、その
超自我が成育不良だと、自我も育ちづらいのです。

なぜなら、自我自体は、もともとはエスと同じ
『快楽の人』です。
それを超自我が「それではダメ」と、自我の尻を
叩き、自我も重い腰をあげるし、頑張って成長も
遂げられる・・・
自我と超自我には、そんな関係にがあります。


もし、そんな超自我がヘタレで、自我も育ってなけ
れば、いつまでもエス天国の「イケイケ」なのも
うなずけてしまいますよね。

そして、人を愛したり、何かを慈しむ心にしても、
いろいろ大変なことを乗り越えてこそ、感じられる
ものではないでしょうか。


超自我は、これまでの章にも書きましたように、
親からインプットされた『良心』であり、
また、学校や、地域などから『道徳』や『社会の
ルール』を吸収し、成長します。

本来なら放置しておいても勝手に育ち、むしろ育ち
過ぎて、心の病などに大きく影響するほどなのです
が、とくに近年、わざわざ育てなければならないほど
成育しづらい ・・と筆者は思っています。

その理由として・・・

昨今では、放任なのか放置なのか、何も云わない
(伝えようとしない)親が多くなりました。

そして、学校でも、クレームを恐れてか、
昔ほど子どもたちに注意(叱り)を与えなくなりました。

地域でも、昔は、自分の子であろうと、よその子で
あろうと「ダメなものはダメ」と叱ったもので
すが、見て見ぬふり・・が多くなりました。

つまり、昔なら機能していた『子どもの監督』が、
家庭や学校、地域のいずれも機能しておらず、
子どもの超自我が吸収するものがなく『からっぽ』
と云えるほど成長していないふしがあるのです。

もちろん、超自我が無いとまでは云いませんが、
ちゃんと育っておらず、そこにもし親からの(放置な
どの)無関心や、歪んだ『しつけ』があったとすれば、
超自我も当然、歪んだ(ある意味、卑屈な)形になって
いる可能性も考えられます。

なぜなら、超自我は『親譲り』と云われるほど、
親への同一化と関係がありますから、無関心な親の
姿勢から何かを吸収するでしょうし、親が理不尽な
叱り方(怒り方)やしつけをすれば、それも「そのまま」
受け継がれてしまう可能性があると云うわけです。

そうなれば、どうなるか・・・
もうお分かりですよね。(^^:

超自我という刺激がないのですから自我は
「テキトーでいいぢゃん」と野放しですし、

超自我の中身が『からっぽ』なら、当然、
道徳も、社会ルールも関係なくなるもの道理です。

もちろん、超自我の伝家の宝刀とも云うべき罪悪感
も無いに等しければ、自分の行動の良し悪しなども
関係なく、ブレーキがききませんし、

超自我が歪んだ形で存在していれば、通常では考え
られないところで怒り出したり、キレたりすること
も有り得ない話ではありません。

そしてそうなれば、
「ダンナが子ども過ぎて・・」
も、当然な結果と云えますよね。(^^:



自我と超自我は、共に育つコンビです。

とくに自我にとって超自我は、生活するにおいても、
成長するにおいても「なくてはならない存在」
と云っても過言ではありません。

理想としては、超自我からほど良い刺激を受け、
自我が主導権を握った状態です。(^-^)
まあ、ちょっと手ごわいですけどね。(^^:


もちろん、超自我も自我と同じで、
成長もしますし、変化もします。
そして、「この年齢だから成長も変化もしない」
こともありません。

先ほど「本来なら放置しておいても勝手に育ち・・」
と書きましたけど、本当なら心の病を防止する意味
でも(幼少期から)自我と同じように、超自我も慎重に
育てるべきなのですよね。


ともあれ、人間、生涯が勉強です。
これから先の人生をより良く生きるためにも、
自我と超自我を良く成長変化させ続けたいですよね。
(*^^*)


2015.8.24



関連リンク
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このコンテンツは2008年に作成され2015年に再編集
したものです。

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