自我(3) 成長変化する努力人

さて、再び自我の話です。
自我は表向き、カッコ良い外交官なのだけど、
「実は、とても大変なんですよ~」
というのが、前章までの話でした。

自我は表向き「カッコいい外交官」ですが、しかし実情は・・・

心の内部の仲間から、いろいろな要求を突きつ
けられ、現実社会からも、いろいろな要求を
出されて、自我は常に板ばさみ状態になります。
(^^:

自我はいつも、『外部社会』と『心の内部』との板ばさみになっています

それでも自我は、
その要求に、なんとか応えようと頑張ります。

エスの欲求を叶えながら、周囲との調和が
とれるように知恵をふり絞り、涙ぐましい
努力をするわけです。

もちろん、その頑張りが学習の場、修行の場
となって、自我も強く大きく成長できるの
ですけどね。(^^)

そんな自我にも個人差というものがあります。
形で例えれば、
四角い自我、丸い自我、ゴツゴツした自我・・・

自我にも、人それぞれ、いろいろなタイプがあり、それが個性や性格になります

と、いろいろとあり、その違いが、
その人の個性や性格
と呼ばれるものになるわけです。

しかし、
そうした基本的な形(性格)がある程度決まっ
ていても、日々闘う自我ですから、ボクシング
で顔がボコボコになるように、その形も変化
してしまう場合があります。

日夜戦う自我は、いつもボコボコ、ボロボロです(^^:

この章では、
3点ほど例をあげてみたいと思います。


自我が肥大化すると、自分自身を見失ってしまいます

まず、
図1が比較的安定しているときの自我とします。
それに比べると図2の自我は、かなり肥大して
ますね。

普通に考えると、自我が大きいほうが勢力的にも
「ワガママなエスを圧倒できて良い」
と思えるかも知れません。


そうなのです、エスの云う通り、(笑)
大きければ良いと云うものでもなく、自我も
必要以上に肥大してしまうと、自分を見失って
しまうという事態が起こってしまいます。

たとえば自我は私という主体ですから、その
自我が、弁護士になりたい、俳優になりたい、
パイロットになりたい・・・と欲張って大きく
なってしまうと
「どれが本当の自分なの?」
と、自分の中の統一性を失ってしまうわけです。

「あれも自分、これも自分」自我の肥大化

自我が大きいぶん、見た目には、とても寛大で、
自信と活気に満ちているが、その実、とても
不安の強い状態

あるいは、他人の世話はいくらでもやけるが、
いざ自分の事になると
「小さな事も、なかなか決められない」
と云う人は、この状態かも知れませんね。

心の中が多様化し過ぎている為に矛盾(葛藤)
が起こりやすく、とても不安定なのです。


自我の肥大化とは逆に「あれは自分ではない、これも自分ではない」という否定的な気持ちが・・     

次は、図3です。
今度は反対に、ずいぶんしぼんで萎縮して
見えますね。

これは自我の力が弱まり、エスが『天下』
を取ってしまった状態です。


そうなると今度は自我の肥大化とは逆に
「あれは自分ではない、これも自分ではない」
という否定的な気持ちから、何も受け入れら
れず、ときには必要なものまで投げ捨て、自分
の殻に引き篭もったような状態になります。

自我が委縮してしまうと、否定的な気持ちが強くなり、自分の殻に籠ってしまった状態に・・・

具体的には、
いま書きましたように、何事にも否定的で、
自信がもてない状態、自暴自棄(投げやり)
な状態などが、これに該当すると思います。


こうした自我の肥大化や萎縮は、日常的にも
起こることなのですが、心の安定という意味
からすれば、あまり頻繁であったり、長期化
する場合には、何か強いストレス状態か、
心の病の予兆などの チェックが必要かも
しれません。




そして最後は図4です。

自我の分裂は、自我内での物別れ(ものわかれ)

安定した図と比較するまでもなく、
自我が2つに分裂してますが、
これはエスとの攻防というより、
自我内での物別れ(ものわかれ)です。

たとえば自我自身、自分がやった行為に対して、
「これで良かった」「これは仕方なかった」
と肯定、容認する自我と、
「なんで、そんなことをしたのだ。認めるわけ
にはいかない」と、否定し責める自我に分か
れてしまうわけです。

自我の分裂、心の葛藤

こうした分裂は、神経症や統合失調症などの
心の障害でみられる現象と云われていますが、
通常でも心が葛藤しているときには、こんな
状態です。

つまり自我の分裂というと
「えらいこっちゃ(T_T)」
と思うかも知れませんが、軽い分裂なら
わりと日常的に起こっている現象なのです。



ちなみに、
自我が芽生え始めた乳幼児期は、
もともと自我が分裂した状態である、
とも云われています。      

つまり私たちの自我は、初めは分裂していて、
それが成長とともに統合されて、ひとつに
なるわけですね。

そうなると何らかの理由で、この統合が未完成
であると、大人になっても自我が不安定で
(分裂しやすく)心の葛藤や、心の障害も起こり
やすくなる・・・という考え方もできるかも
しれません。

乳幼児期はもともと自我が分裂していて、成長に伴い統合されていくが・・・

ともあれ、以上のように、
自我はいろいろに変化しながら・・・
変化させれられ?ながら(^^:も、自分(心)を
守るために日夜 頑張っているのです。o(^-^)o



【極楽とんぼのつぶや記】
  ~余談です(^^ゞ~

日常、私たちが使う言葉の中にも、
心について触れている語句がたくさんあります。
たとえば・・・

エゴまるだし
自分勝手、自己中心的な行動・・・を云います。

しかし、自我(エゴ)は常識人で、自分勝手
なのはエスですから、本当なら
『エスまるだし』ですよね。(^^:

自我にしてみれば
「冗談じゃないよ(ーー;)」
と怒りたい気分かも知れません。(苦笑)

ですが、自我(エゴ)は心の代表ですから、
どうしても責任を負わされ、このように
云われてしまうのかも。(^^;)

つまり、いつもエスに振り回されていると、
「なぁんだ、だらしないヤツ(自我)だ」
と云わちゃいますよと云う、
自我(私)への戒めなのかも知れません。

って云うのは、ちょっと無理やり過ぎ?(汗笑)

理性が失せると本能まるだし

理性が失せると本能まるだし
ああ、これなら、たしかにそうですね。
理性は自我から発するものですから、
これがなくなると本能(エス)が丸出しに
なるよ、と。(^^:

 

無我夢中
極楽とんぼ的に直訳するなら、
我(われ)無く、夢の中
・・・って、そのまんまですね。(苦笑)

自我が無意識に入ってしまい、
『夢(無意識)の中の人』
と云うわけですね。

たしかに没頭しているときは、
意識(現実)を忘れてますから、
云いえて妙。

心のシステム(仕組み)が良く表わされた
言葉で、自我と、意識・無意識の関係を
表わしていますね。(^.^)

無我夢中?


夢現(ゆめうつつ)・・・夢と現実。
つまりこれは
『無意識(夢)と意識(現実)』
という意味で、遊びに夢中になっていると、
「うつつを抜かしやがって!(ーー;)」
なんて叱られてしまいます。(^^;)

うつつを抜かす。
漢字で書くと『現を抜かす』。
つまり、
「現実を抜かして(忘れて)、ナニしてやがる」
と云われているわけです。(^^;)

気をつけましょう。(謎汗笑)

現を抜かす

 

このように心を表す言葉は、
日常会話の中でも頻繁に出てきます。

みなさんも、
意識や無意識、自我やエスなどにまつわる
言葉を探してみませんか。結構、役に立ち
ますし、楽しめると思います。(^^)

 

超自我 優等生?それともタダの頑固者?
自我(4)防衛機制 自分を守る心の仕組み

 

このページは『無意識を知ろう♪極楽とんぼの精
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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