心のエネルギー リビドー

第三部の後半は、心の障害についてです。

ここで云う心の障害とは、
神経症や、精神疾患と呼ばれる
うつ病や、統合失調症などです。

まず心の障害のメカニズムを知るうえで、
重要な3つのポイント、
リビドー・固着・退行
の話からスタートしましょう。

その一番手はリビドー(心のエネルギー)です。

無意識を知ろう♪の第三部後半は、心の障害についてです

 

リビドーとは、第二部にも書きました、

などのことです。

リビドーはラテン語で『強い欲望』の意味で、
フロイドは初め、それを『性的エネルギー
という限定的な意味で使いましたが、
その後、広い意味での『心的エネルギー』に
改められました。

このリビドーと呼ばれるエネルギーたちが、
私たちが生きるうえでの重要な原動力
になるわけですが、同時に、
心の障害のエネルギー源になってしまうことも
あるわけです。

つまり、私たちの元気の元と、障害の元は、
同じものということですね。


では「どこを、どうすると」、
生きるためのエネルギーが、
心の障害のエネルギーに
変わってしまうのでしょうか?

そもそも、どうして、
心の障害は起こってしまうのでしょうか・・・

それには、
いろいろな事情(理由)があるのですが、
まずこの章で、
心のエネルギーであるリビドーのことを押さえ、
順々に、その心の障害の「どうして?」
を追いかけてみましょう。

どうして生きるエネルギーが、心の障害のエネルギーに?

私たちの心と身体の中には、
さまざまなエネルギーが流れています。

何かを感じたり、考えたり。
喜んだり、泣いたり、怒ったり。 
     
そうした心や身体を動かすエネルギー
リビドーと云います。

ドラえもんのアイコン部屋様

たとえば、
「お腹がすいた」と感じる。
これはリビドーが、意識にいる自我を刺激して、
「お腹がすいたぁ~」
と感じさせているわけです。

そしてそのあと、どういう行動に移すかも、
そのときのリビドーの質や量
によって決まります。

つまり、空腹を知らせるリビドーの
『お腹がすいた光線』が強ければ、自我も
「おお、これは何か食べないと大変だ」
と 切実に感じる行動しますが、
もしそのとき同時に
『眠い』というリビドーがもっと強ければ、 「どうしよう・・・」    
一瞬迷いながらも(苦笑)
「でも、食べずに、寝よっかなぁ」
と、自我が判断するかもしれません。(^^;)

私たちはリビドーの方向性によって、感じ方、考え方や、行動が違ってきます(^^:

ん?ちょっと待って・・・、と、いまの話から、
あの『自転車オジサン』が思い浮かんだ方は
正解です。o(^-^)o

それは、こんな話↓でしたよね。(^^)

ここでは、
無意識をリビドー、意識を自我に置き換えます。

すると、
リビドーが心を動かすエネルギーなら、
自我は行き先を決める船長さん
と云うことになります。(^^)

リビドーは心を動かすエネルギー。自我は行き先を決める決定機関。

ん?でもぉ・・・またまた、
ちょっと待って・・・だとしたら、
「ちょっとその船、ヤバくない?」
と、あなたが不安を感じたならば、
またまた大正解です。(^-^;

なぜなら、


そう・・・
『心のエネルギー』=『リビドー』などと
云っておりますが、実はその正体は、エス。

正確に云うと、
リビドーは、あの放題なエスから発せられる
云わば、エスの分身みたいなものなのです。

ですから自我としても、気を抜くわけには
いかない・・・わけです。(^-^;


もちろん、

と、自我本人が認めているように、
自我の目的(役割り)は、
エスの欲望を満たすことですから、

自我はエスの監視役ではあるけれど、
よほどのことが無い限り、
その行動を許します。

自我はエスの監視役ではあるけれど、よほどのことが無い限り、その行動を許します

そしてもちろん、
自我自身も、エスの欲求充足以外の目的で
リビドーを利用することもあります。

あまりにも現実的でないエスに代わって、
社会活動を頑張らなければ、世の中で生きて
いけませんからね。(^^;)

そう、つまり、
現実原則に従うための思考や行動にも
もちろんちゃんとリビドーは使われます。
※エスの好き勝手ばかりではないの意。(笑)

その他、
たとえエスが嫌がっても、喧嘩してでも、(笑)
間接的に欲求を満たすためにリビドーを
使うことも有り得ます。 

たとえば、幼いころ
「将来はテニスの選手になりたい」
と思っていた。
でもエスは 辛いことが大嫌いですから、
なかなか行動しようとしません。

そうしたとき
「アンタ、今やらないで、いつやるの?」
「今でしょ?」
と、奮起するのも自我の役割りです。

自分の意思で奮起。これも自我の役割です

まあ、いずれにしても、
めぐり巡っては、無意識の中にある欲望が
満足されることなのですから、
エスにとっても悪い話ではない・・・
のですけどね。(^^;

自我がいくら「これもあなたのためよ」と云っても、エスはツライことが大嫌いで、理解しようとしません(^^:

※補足・リビドーは誰のもの?

ですが、
そんな自我の思いを知ってか知らずか、
エスは、やっぱりエス?(^^;)
と云う話を最後に。(^o^;

エスは、それでもよっぽど、
よほどのことが好きらしく(^.^;
ときによって、自我を悩ませる
ような暴走を繰り返します。(^^:

自我も、懸命にそれを阻止しようとする
のですが、エスもリビドーを使って
ズル賢く強引に、食いさがってきます。

つまり、いろいろな手段を使って
無意識にあるものを意識に出そう
とするわけですね。(^^;)
       
それが第一部『無意識に会える場所(1)
で書きました夢や、云い間違えなどの錯誤行為、
そして神経症などです。

エスはリビドーを使い、夢、錯誤行為、神経症などの、さまざまな方法で(勝手に)欲求を叶えようとします

その他、
あとで後悔するような
つい衝動的に・・(++;)」なんて行動なども、
もちろんエス(リビドー)のしわざです。

自我もコマメに監視しているのですが、
自我が弱っていたり、ちょっと油断すると、
ノーチェックで現実に飛び出してしまう
わけです。(^-^; 自我も大変ですね。。 

自我VSエスの戦い・・エスのパワーに押され気味ですが・・・(^^:

ともあれ、
無意識(エス)の思いは強く、
その思いを伝えようとするリビドーも、
相当な強さです。(^^;

 


【極楽とんぼのつぶや記】
  ~補足として~

リビドーには、 
生きようとする欲動からのメッセージとともに、
意識に出られない、抑圧された思いも詰まって
います。

ですが、誤解があるといけないので、
ここで付記しておきますが、
いくらリビドーに、抑圧や欲動からの要求が
含まれているとは云っても
すべてがワガママで悪いもの、
と云うわけではありません。

むしろ、
リビドーが自我に伝えるメッセージは、
動物としてとても自然な要求であり、
人間としてごく当たり前な感情なのです。

ただそれが、
人間社会にマッチしなかったり、
人間関係を悪くするおそれがあるだけのこと。

つまりは、
私たちがそれだけ複雑で難しい環境の中で
生きているだけ・・なのです。   

そうですね。
リビドーは、私たちの嬉しい、悲しい、困った
に関係なく、心身の働きすべてに使われて
いますから葛藤担当リビドーも当然。(^^:

まあ、できれば負のリビドーが活躍しない
そんな毎日でありたいのですが・・・(苦笑)


ところで、
第一部で『心は無限大の大きさ』
という話を書きましたが
覚えていらしゃいますか。^^ゞ

この章のリビドーのことや、これからの章を
イメージして頂く上で、その大きさや中身が、
とても重要になってきますので、
※『心の展開図・補足』を書き足しました。
よろしければご覧になってみてください。

揺れて暴れて一人前に  思春期の揺れる心、その正体
欲求不満の固まり  固着

このページは『無意識を知ろう♪極楽とんぼの精
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
たものです。※文章はスマートフォン向けに編集
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