リビドーには、
自我専用があるのか、
それとも
あくまで(全部)エスからの借り物なのか、
諸説に分かれております。(^^;)
また、リビドーの全体量が、
有限なのか無限なのか、についても、
定かではありません。(^^;)
物体などのエネルギー量であれば、公式に当て
はめて計算できたりしますが、残念ながら
リビドーは計測不能なのであります。(^^;)
そこで、これは極楽とんぼの仮説ですが(^^ゞ
生物体はエネルギーを摂り入れたり、
放出したりの熱交換をしながら生きている。
リビドーも他のエネルギーと同じで、
たとえば
励まされたり、嬉しかったら(外部から)
元気リビドーをもらう(流入)、
ショックだったり、悲しいときは、
リビドーを失う(放出)
のように、
常に入れ替わり(増減)があるはず。
ただし、
リビドー全体量は、血液と同じように
ある程度一定である。(ただし、生存時)
しかし、
一時的には爆発的な増加も
あるかも知れない・・・運気が上げ潮で
油が乗ったときなど。(^^;)
そして
その逆(爆発的な減少)も、ありうる。
(落ち込んだときや、死亡時など)
そして、
自我専用のリビドーがあるか、
どうかについては・・・
まず、
たしかにリビドーはエスから発せられたもの
であり、エスの分身であることは相違ない。
しかしながら、エスが所有権を主張し、また
独占使用しようとした場合、それが人間社会
での使用においては、多くの不都合と、エス
自身にとっての不利益が現に多く発生してい
ることからも、エスの使用能力が甚だしく疑、
わしく、社会的道義上からもこれを見過ごす
わけにはいかない。
したがって所有権のみ認めるものとする。
そして、
心臓が血液のポンプであるのと同じように、
リビドーも無意識の貯蔵所に一旦集められ、
便宜上ひとまずエスの管理下に置かれる。
ただし、
それはエスだけのものを意味するものではない。
なぜなら、
そもそも貯蔵所および無意識全体は
エスの所有独占物ではなく、自我なども
共有し、また、活動もしている。
さらには、
自我はエスのために活動している
とも云えるし、
仮に自我独自の活動があるとしても、
結局は『自分』全体のためと云える
のだから、エスにとっても利益がある。
したがって、リビドーには
とくべつ自我専用は無いけれど、
エスだけの占有物とは認められない。
また、エスの人間社会での行使について
は、自我の保護観察下で行うものとし、
自我もまたその監督責任を負うものとす
る。
※当然ですが、あくまでも仮説です。(^^;)
エスはどうしても納得できないみたいですが、
それでも、そういうことで。^^ゞ(笑)
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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