無意識は何でも知っている 意識は結構いい加減? 極楽とんぼのつぶや記 特別号(2)

『本当の心は無意識』にある。そして、
『考えるのが意識で、思い・感じるのが無意識』

でも、そんなこと云われても、思ったり感じたり
するのは「やっぱり意識じゃないの?」と思われ
た方も多いのではないでしょうか。

たしかに、
『思ったり感じたり』は、意識されなければ、
何もなかったのと同じようなものですから、
『意識できない無意識が思い、感じるの担当』
と云われても腑に落ちないかもしれません。(^^:

しかし
「意識的に考える」という言葉はありますが、
「意識的に思う」「意識的に感じる」とはあまり

云わないことからも、『思う、感じる』が
意識とは違う心の働きであることは間違いない
ように思います。


そこで今回は、そんな意識と無意識の心の働きを

もう少し書いてみたいと思います。

題して、
無意識は何でも知っている
だけど意識は意外と知らないことが多い、かも

何のこっちゃ? 今の話と関係あるの?
と云う感じかも知れませんが(^^:、
まあとりあえず、お読みになってみてください。^^ゞ

 


さて、いきなりですが、
みなさんは、こんな経験はないでしょうか。

いくら思い出そうとしても

・今さっきの会話が思い出せない。

・ゆうべ一杯飲んだあとの記憶がない。   

あるいは、

いつのまにか、足にアザができている。
痛みは感じなかったが、昨日どこかで
ぶつけたみたいだ。(^^:


まあ、書き出せば、他にもたくさんあるの
でしょうけど、とにかく、

たしかに何かをしていたことは間違いないが、
そのときのことが、まったく思い出せない」

ということが、私たち人間には、結構あるん
じゃないかと思います。


とくに、考え事をしていたり、寝不足だったり、
あるいはお酒を飲んでいたりすると、そのとき
の記憶が曖昧(あいまい)で、気持ちが悪いこと
ってありますよね。(^^:



そうしたとき、私たちは、
心、ここにあらずだったから、そうなった」
とか、
「いや、記憶が飛んじゃってだけだよ(^^:」
とか云うわけですが、、、

ならば、
心はそのとき、どこかへ出かけて留守だった?
本当に記憶が飛んで、完全削除されちゃってる?

と問われれば、

いやぁ・・・、心はちゃんと、どこへも行かず
在宅していたはずだし、記憶だって、間違い
なくどこかで保存されている、はず・・・  
もちろん、思ったり、感じたりもしていたはず
・・・
だって、意識がはっきりしていないだけで、
とりあえす会話も成立していたみたいだから
・・・
うん、そう・・・意識。意識の問題なんだ。  
ただ、それを意識がシッカリ認識していない
から、何もなかったようになってしまうだけ
なんだよ、、たぶん。(^^:

と、なんだか「はず」ばかりの弁解で、
なんとも頼りないですね。(苦笑)



しかし、意識の問題であることだけは、
間違いないようです。

と云うより、無意識にしてみれば、
それは単なる意識の問題に過ぎず、それ自体も
「心全体にしたら、蚊のクシャミみたいなもの」
なのかもしれません。

つまり
私たちの心は、無意識という自分自身にも
感じ取ることができない世界が、心の大部分を
支配していて、その中の一部として意識が存在
している。

なので、ある出来事に対して『それ』を意識が
認識しようがしまいが、心の働き全体から
すれば「そんなことは些細なこと」であり、
(とりあえずでも)心はちゃんと機能しているの
だよ、あははは。^O^←エスの笑い

と云うことが、この、
「心がここになかったり」「記憶が飛んだり」
してしまう現象からも証明できてしまうのでは
ないでしょうか。(^^:

なぜって、
意識が仕事をサボっていても、無事帰宅できたり、
(とりあえずでも)活動できているのだし、
記憶も(意識が)覚えていないだけで、無意識の
何処かには記録されているワケですから・・。


まあ、その真偽の判定は、これからとしても、
意識ちゃん、ピンチですね。(^^:



でもしかし・・・仮にそうであっても、(滝汗)
「心の入口って、意識じゃないの?」
という疑問が残りますよね。

いや、疑問というより、
まだなんとも腑に落ちず納得できない、
納得したくないモヤモヤが・・・(^^:(笑)

つまり、常識的(?)に考えると、
意識が見たり、聞いたり情報をキャッチして、
それから心で思ったり、感じたりしている・・
はずなのに、、

その意識がそれをキャッチ(認識)してなければ、
そもそも
「思ったり、感じたりなんて、できるわけない
・・でしょ?」と。(^^:

ですが、残念ながら、
そもそも、その常識が違うようなのです。^^;


結論から云えば、そうした出来事の認知は、
ほんのタッチの差ではありますが、
意識より無意識のほうが先

つまり、無意識が先に(情報を)受け取ってから、
意識に伝わる・・・が本当らしいのです。


なのでどうやら、
仮に意識による認識がなくても、心の中では
(勝手に)思ったり、感じたりしている(らしい)
・・・と云うわけです。

まあ、そうでないと、たとえば、
泥酔して意識があやしくても、とりあえずでも
電車に乗って帰宅している理由(汗笑)
が説明できませんからね。(^^:

※もっとも、その間に「思ったり・感じたり」
しているか否かも定かではありませんが。^^;


しかし結局、
私たちは、自分に起こることは
「何でも把握できている、知らないことはない」
という状態でいたい(そうありたい)と思って
いるのですよね。
だから、意識がすべてキャッチしている・・・
と信じたいのかも知れません。
しかし残念ながら、意識はすべてを認識して
いるわけではないみたいです。



わかるようで、わからない話だと思います。
このことは第二部で、もう少し詳しく書きます
ので、ここではとりあえず、



ちなみに・・今のような話を入門編的に
イラストにすると、こんな感じになります。



と、まあ、こんな感じになるわけですが、
気がついたら足にアザが・・・なんて場合は、
何らかの事情で伝達エラーがあったわけです。
無意識は「伝えたのに」と怒ってますね。(苦笑)


こうしたことを、まとめると、
私たちが(出来事を)知る以前に、無意識は情報を
キャッチし、それについて何かを思ったり、感じ
たりしている・・・

そして、
意識は、そうした情報(刺激)自体や、無意識の
思いをすべて知っている(認識してる)わけでは
なく、むしろ知らないことのほうが多い・・・
かも。(^^:

と云う新事実(?)が明るみになるわけです。



まあ、『知らぬが仏』で、知らないほうが幸せ
ってことも、世の中には多々ありますからね。(^^:

でも、後から事実を知り、『ツケが回る』や
『後の祭り』になることも、心にはしばしば
ありますので、どちらが良いのかは何とも
云えないところでも、ありますが。。(^^:

そんな話もこの先、第二部で書けたら・・
と無意識の中で思っております。^^ゞ(笑)



【極楽とんぼのつぶや記のつぶや記】 
   ~デジャヴ~

デジャヴ(見覚えのある風景や、状況の再現)
なんて現象も、ある程度これで説明がつくかも
しれませんよね。

その場所を見ているようで見ていなかったが、
無意識がそれを覚えていた・・・ってことで。(^-^;


もちろんこれは、
私が勝手に考えた仮説ですけどね。汗

でも、デジャヴという現象が心のどこか※
で起こっていることは事実ですし、どこへでも
旅ができてしまう不思議な能力を持つ無意識
ですから、あり得る話ではないかと思います。
^^ゞ

※どこかと云う以上は「心のどこか」なわけで
すが、それが意識ではないとすれば、あとは
無意識しかないはずです。(^^:それとも前意識?

 

 

無意識は、闇の支配者?

 

このページは『無意識を知ろう♪極楽とんぼの精
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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