『本当の心は無意識』にある。そして、
『考えるのが意識で、思い・感じるのが無意識』
でも、そんなこと云われても、思ったり感じたり
するのは「やっぱり意識じゃないの?」と思われ
た方も多いのではないでしょうか。
たしかに、
『思ったり感じたり』は、意識されなければ、
何もなかったのと同じようなものですから、
『意識できない無意識が思い、感じるの担当』
と云われても腑に落ちないかもしれません。(^^:
しかし
「意識的に考える」という言葉はありますが、
「意識的に思う」「意識的に感じる」とはあまり
云わないことからも、『思う、感じる』が
意識とは違う心の働きであることは間違いない
ように思います。
そこで今回は、そんな意識と無意識の心の働きを
もう少し書いてみたいと思います。
題して、
無意識は何でも知っている
だけど意識は意外と知らないことが多い、かも
何のこっちゃ? 今の話と関係あるの?
と云う感じかも知れませんが(^^:、
まあとりあえず、お読みになってみてください。^^ゞ
さて、いきなりですが、
みなさんは、こんな経験はないでしょうか。
いくら思い出そうとしても
・今さっきの会話が思い出せない。
・ゆうべ一杯飲んだあとの記憶がない。
あるいは、
いつのまにか、足にアザができている。
痛みは感じなかったが、昨日どこかで
ぶつけたみたいだ。(^^:
まあ、書き出せば、他にもたくさんあるの
でしょうけど、とにかく、
たしかに何かをしていたことは間違いないが、
そのときのことが、まったく思い出せない」
ということが、私たち人間には、結構あるん
じゃないかと思います。
とくに、考え事をしていたり、寝不足だったり、
あるいはお酒を飲んでいたりすると、そのとき
の記憶が曖昧(あいまい)で、気持ちが悪いこと
ってありますよね。(^^:
そうしたとき、私たちは、
「心、ここにあらずだったから、そうなった」
とか、
「いや、記憶が飛んじゃってるだけだよ(^^:」
とか云うわけですが、、、
ならば、
心はそのとき、どこかへ出かけて留守だった?
本当に記憶が飛んで、完全削除されちゃってる?
と問われれば、
いやぁ・・・、心はちゃんと、どこへも行かず
在宅していたはずだし、記憶だって、間違い
なくどこかで保存されている、はず・・・
もちろん、思ったり、感じたりもしていたはず
・・・
だって、意識がはっきりしていないだけで、
とりあえす会話も成立していたみたいだから
・・・
うん、そう・・・意識。意識の問題なんだ。
ただ、それを意識がシッカリ認識していない
から、何もなかったようになってしまうだけ
なんだよ、、たぶん。(^^:
と、なんだか「はず」ばかりの弁解で、
なんとも頼りないですね。(苦笑)
しかし、意識の問題であることだけは、
間違いないようです。
と云うより、無意識にしてみれば、
それは単なる意識の問題に過ぎず、それ自体も
「心全体にしたら、蚊のクシャミみたいなもの」
なのかもしれません。
つまり
私たちの心は、無意識という自分自身にも
感じ取ることができない世界が、心の大部分を
支配していて、その中の一部として意識が存在
している。
なので、ある出来事に対して『それ』を意識が
認識しようがしまいが、心の働き全体から
すれば「そんなことは些細なこと」であり、
(とりあえずでも)心はちゃんと機能しているの
だよ、あははは。^O^←エスの笑い
と云うことが、この、
「心がここになかったり」「記憶が飛んだり」
してしまう現象からも証明できてしまうのでは
ないでしょうか。(^^:
なぜって、
意識が仕事をサボっていても、無事帰宅できたり、
(とりあえずでも)活動できているのだし、
記憶も(意識が)覚えていないだけで、無意識の
何処かには記録されているワケですから・・。
まあ、その真偽の判定は、これからとしても、
意識ちゃん、ピンチですね。(^^:
でもしかし・・・仮にそうであっても、(滝汗)
「心の入口って、意識じゃないの?」
という疑問が残りますよね。
いや、疑問というより、
まだなんとも腑に落ちず納得できない、
納得したくないモヤモヤが・・・(^^:(笑)
つまり、常識的(?)に考えると、
意識が見たり、聞いたり情報をキャッチして、
それから心で思ったり、感じたりしている・・
はずなのに、、
その意識がそれをキャッチ(認識)してなければ、
そもそも
「思ったり、感じたりなんて、できるわけない
・・でしょ?」と。(^^:
ですが、残念ながら、
そもそも、その常識が違うようなのです。^^;
結論から云えば、そうした出来事の認知は、
ほんのタッチの差ではありますが、
意識より無意識のほうが先
つまり、無意識が先に(情報を)受け取ってから、
意識に伝わる・・・が本当らしいのです。
なのでどうやら、
仮に意識による認識がなくても、心の中では
(勝手に)思ったり、感じたりしている(らしい)
・・・と云うわけです。
まあ、そうでないと、たとえば、
泥酔して意識があやしくても、とりあえずでも
電車に乗って帰宅している理由(汗笑)
が説明できませんからね。(^^:
※もっとも、その間に「思ったり・感じたり」
しているか否かも定かではありませんが。^^;
しかし結局、
私たちは、自分に起こることは
「何でも把握できている、知らないことはない」
という状態でいたい(そうありたい)と思って
いるのですよね。
だから、意識がすべてキャッチしている・・・
と信じたいのかも知れません。
しかし残念ながら、意識はすべてを認識して
いるわけではないみたいです。
わかるようで、わからない話だと思います。
このことは第二部で、もう少し詳しく書きます
ので、ここではとりあえず、
ちなみに・・今のような話を入門編的に
イラストにすると、こんな感じになります。
と、まあ、こんな感じになるわけですが、
気がついたら足にアザが・・・なんて場合は、
何らかの事情で伝達エラーがあったわけです。
無意識は「伝えたのに」と怒ってますね。(苦笑)
こうしたことを、まとめると、
私たちが(出来事を)知る以前に、無意識は情報を
キャッチし、それについて何かを思ったり、感じ
たりしている・・・。
そして、
意識は、そうした情報(刺激)自体や、無意識の
思いをすべて知っている(認識してる)わけでは
なく、むしろ知らないことのほうが多い・・・
かも。(^^:
と云う新事実(?)が明るみになるわけです。
まあ、『知らぬが仏』で、知らないほうが幸せ
ってことも、世の中には多々ありますからね。(^^:
でも、後から事実を知り、『ツケが回る』や
『後の祭り』になることも、心にはしばしば
ありますので、どちらが良いのかは何とも
云えないところでも、ありますが。。(^^:
そんな話もこの先、第二部で書けたら・・
と無意識の中で思っております。^^ゞ(笑)
【極楽とんぼのつぶや記のつぶや記】
~デジャヴ~
デジャヴ(見覚えのある風景や、状況の再現)
なんて現象も、ある程度これで説明がつくかも
しれませんよね。
その場所を見ているようで見ていなかったが、
無意識がそれを覚えていた・・・ってことで。(^-^;
もちろんこれは、
私が勝手に考えた仮説ですけどね。汗
でも、デジャヴという現象が心のどこか※
で起こっていることは事実ですし、どこへでも
旅ができてしまう不思議な能力を持つ無意識
ですから、あり得る話ではないかと思います。
^^ゞ
※どこかと云う以上は「心のどこか」なわけで
すが、それが意識ではないとすれば、あとは
無意識しかないはずです。(^^:それとも前意識?
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
たものです。※文章はスマートフォン向けに編集
してある為、パソコン画面では読みづらい部分が
あるかもしれません。また画像を多用しておりま
すが、サイズがスマートフォン画面では見づらい
場合があるかもしれません。ご了承ください。