前章ですでに紹介済み、みたいなものですが^^;
改めて紹介致します、
心のスタッフの二番目は、
自我(エゴ ego)です。
前章の最後にも書きましたが、自我イチバンの
役割りは、地上で真面目に生きることの苦手な
エスに代わって、現実生活を営み、エスの欲望
(心のホンネ)を叶えること・・・
文字にすると簡単ですけどね(^o^;
でも、なかなか大変な役割りなんです。
まあ、実際に、
オオ船なのか、コ舟なのか、
はたまたドロ船なのかは、
アナタ次第と云うところでしょうか。(^^:
なんて、いきなり話を振られて、
ドキッとされた方も多いと思いますが、
しかし、今回のテーマは、
そんな話も無関係ではありません。
そう、、
タイトルにもありますように、
自我とは、あなた自身のこと、なのです。(^.^)
・・・なんて、
いきなりそんなこと云われたって、
あまりピンときませんよね。(^^;)
では、
そのへんの説明から始めたいと思います。
と云っても、話はとっても簡単です。
あなたがいま、この文章を読んで
「えっ? 何それ? ワカラナイよ~(^o^;」
と思ったり、感じたりしているのが
あなたの自我なのです。
ね、簡単でしょ?(^-^;4行で終わり(笑)
一応まとめてみますと・・・
私たちが意識する心(気持ち)が自我。
(意識=自我)
たとえば「私は、こう思う」の私が自我ですし、
「あ、それは痛いぞ、痛すぎるぞ・・」
と感じたりするのも私の自我。
つまり
日常的に「私は」「私も」
と、自分を思い感じる部分が、すべて自我。
と云うことになるわけです。(^^)
では、
そんな自我は、いつごろ芽生えるのでしょう?
まずは下の図を見てください。
自我の芽生えには、いろいろな説がありますが、
私たちがお母さんのお腹から出てきて、
まもなくではないかと云われています。
そして、
自我=私ですから、
当然、私と共に、自我も成長します。
どんなふうにか?と云いますと、
たとえば、同じ映画を観て、
10歳の頃では分からなかったことが、
20歳でなら理解できることがありますよね。
あるいは、同じ映画を観ても、
10歳の時と20歳の時とでは、
感じ方がまったく違うはずです。
それだけ私たちは、その10年間に
いろいろなことを経験(学習)しながら
成長してきたわけで、
そうした自分自身に、
「変わったなぁ」
と思える部分が、そっくりそのまま、
自我の成長と云えるのです。
つまり、私の歴史=自我の歴史
と云うわけですね。(^ー^)
【極楽とんぼのつぶや記】
~意識的な自我・無意識的な自我~
ちなみに・・・
エスは、
ずっと無意識のままですが、
自我には、
無意識的な自我と、
意識的な自我、があります。
つまり自我は、
意識と無意識の両方の領域で
活動しているわけです。
この記事を読むのに夢中で
現実を忘れているときが、
無意識のときの自我。
記事を読みながらも
遠くのサイレンが聞えたり、
夕飯は何を食べよう?
と考えていれば、
意識のときの自我。
という感じで覚えて頂くと
良いと思います。(^^:(^^)
さて次章では、
そんな自我の苦労話などを
話させて頂きます。(^^:
なかなか大変です。(苦笑)
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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