退行(たいこう)
あまり耳慣れない言葉かも知れませんね。
では、赤ちゃん帰りではどうでしょうか。
退行とは、後退すること。
つまり年齢が、
子どもや赤ちゃんに逆戻りしたような行動
をとること、を退行と云うわけですが、
本人は無意識に、そうした行為をしています。
そもそも退行とは、
第二部にも書きましたように防衛機制の一つ。
自我が過去の自分へ逃げ込む現実逃避で、
その行き先は前章に書きました固着です。
つまり現状(現実)に行き詰まり、
不安になった自我は、自分の過去に救いを求め、
抑圧によってつくられた固着へと退行する・・・
心の障害、三番目、
最後のポイントは そんな退行の話です。
その退行にも、いろいろな種類があります。
すぐに心の障害に結びついてしまうもの。
「やすらぎ」や「救い」を求める一時避難。
慢性的なもの、急性的なもの・・・
分類の仕方で、いろいろに分けることができます
この章では、そんな退行のメカニズム・・・
どうして退行が起こるのか、について
書いてみたいと思います。
第二部でも書きましたように、
自我(私たち)は、心の内部(エス・超自我)
からの要求と、外部(世の中)からの要求を、
上手く処理しながら生活しています。
しかし日常、私たちに起こる問題は、
いつも簡単なものばかりとは限らないですし、
むしろ難題や、長期化されるものの方が
多いですよね。(^^:
そのとき自我が強く、元気であれば、
要求をキチンと処理し、長期化したときにも、
解決のチャンスを忍耐強く待てるのですが、
自我が未成熟であったり、弱っていたりすると、
耐えられずに不安という危険信号を、
すぐに出してしまいます。
それでも自我は、何とか踏ん張ろうと、
外部(問題の場面や相手など)に向かって、
さまざまな方法で、対処しようと試みます。
たとえば、防衛機制であるならば、
合理化を使って事実を正当化してみたり、
勝てそうにない相手に同一化して、取り入ったり。
しかし、そうした外部への対処では
「もう、どうすることも出来ない」
「いよいよダメだ」となったとき、
自我は心の内部で変化を起こします。
つまり、
自我自身が、幼い子どもに変身することで、
窮地を乗り切ろうとするわけです。
もちろんそれは、他の防衛機制と同じ、
不安を解消しよう、
これ以上の刺激で心が壊れないようにしよう、
という目的なのですが、
退行の場合、
自我の分裂や、人格そのものを変化させてしまう
などの理由から、葛藤や心の障害に繋がりやすく、
自我にとって危険な賭け(カケ)になってしまう
ことも・・・
では、いったい自我は
何歳の自分に戻るのか、と云いますと、
0歳(あるいは胎児期)から3歳くらいまでの
過去と云われています。
そして戻る先は、前の章でお話した固着です。
でもなぜ、
0歳から3歳頃の固着なのでしょうか?
それはやはり、
自分の原点が「そこにある」からです。
性格形成や固着の章にも書きましたが、
3歳ぐらいまでは、私たちの根っこ(土台)に
なる時期であり、良くも悪くも、その土台に
影響を与えた固着たちがあります。
つまり、どんな自分であっても、
その自分をつくった原点がそこにあるわけで、
いわば退行する固着は、
安心して眠れる母親の腕の中・・・
自分を産んでくれた母親のお腹の中、
みたいなもの・・・
本当ならお腹の中に戻りたいけれど、
それが叶わぬのなら、せめて自分にとって
一番影響の深い固着に戻って慰められ、
そして出直そう・・・
とするのが退行、と云うわけです。
でも、ちょっと待って~(^^:
固着には、そりゃ(慰められそうな)
良い過去もあるかもしれないけれど、
ツライ過去(固着)はどうなのよ。
むしろ、そっちのほうが多いんじゃないの?
そんな固着に戻っても、
「やすらげなし、かえってツラくならない?」
と、思っちゃいますよね。(^^;)
たしかに、
慰められるという言葉のイメージからすれば、
ツライ不幸な過去では、癒されるどころか、
ツラサの上塗りで「かえって泥沼じゃん」
と感じるかも知れません。
ですが、心の傷があるような固着には、
それを「慰めたい」(欲求を満足させたい)
と思っているリビドーが多く集まっている
わけですから、傷心や窮地の自我にとっては、
かえって「居心地が良い(^^)」とも考えられ
ますよね。
ともあれ、
自我は乳幼児期の固着へ退行します。
それが一時的な撤退(退行)で終われば
問題は無いのですが、
ときには神経症や心の病に引き継がれて
しまう場合もあるわけです。
このことは、
また次章で書きたいと思います。
【極楽とんぼの つぶや記】
~いろいろな退行~
エスが嬉しそうなのは、自我が退行することで、
固着にある抑圧された欲望に自我が気づいて
くれる・・かもしれない
「これで、抹殺されていた欲望が満せるかも」
という歓迎の喜びなのかも知れませんね。
だからこんなうわさ(?)も・・・の続きを読む
しかし、
退行は自我自体が変化してしまうという意味
でも防衛機制の中では特殊なものです。
ですが、
特殊とは云っても「めったに起こらない」
わけではなく、退行はむしろ私たちの日常で
頻繁にみられる防衛機制でもあります。
多い人では一日に数十回?
あるいは一日中ずっとのときも?
少ない人でも、
一日数回は必ずあるはずです。(^^)
退行は、
自我がやすらぎを求めていることでもあるので、
悪いことではありませんし、私たちが生きる
うえで必要な退行もあります。
しかしそれが、
あまりにも頻繁だったり、奇異なもので、
それが強く行われるようであれば、
何か心に問題がある(大きな葛藤を抱えている)
可能性も考えられるので、心の病の予兆として
注意が必要な場合もあります。
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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