心には、
意識・前意識・無意識の3つの部屋がある。
そしてその大部分を無意識が占めていて、
私たちの本当の心(気持ち)も無意識の中にある。
これが第一部での話でした。
そして第二部は、
その心の3つの部屋で働く心のスタッフの紹介と
彼らの仕事、精神活動の具体的な説明です。
まず、
無意識の主(あるじ)はエスです。
無意識と云えばエスのこと(無意識=エス)
と云われるぐらい、無意識の中でエスは
とくにのさばっております。←内弁慶とも(笑)
※心の中でエスの動ける領域は無意識だけ。
私たちは直接エスを意識することは生涯ありません。
人間の心はもともと、
無意識だけ、エスだけ、でした。
エスには動物としての本能、そして人間特有の
さまざまな欲求エネルギーが詰まっていて、
私たちの心身を動かす原動力になっています。
そして
エスの次に誕生するのが自我です。
自我は『私』を感じる部分であり、
(理性や知性を担当し)
心のまとめ役、外部との外交役で、
人間社会を生きるためには欠かせないものです。
無意識(エス)が心の中心、
本当の心とは云っても、
やはり自我の存在なくして、
社会生活は考えにくいですからね。(^ー^)
と、持ち上げてみる。ヨイショ(笑)
そしてそして、その自我の中に、
やがて芽生えてくるのが超自我です。
超自我を一言で表すと『良心』なのですが、
一般に考える(人間味のある)良心とは違い、
どちらかと云えばロボット的な
「ダメと云ったらダメ!」という
オモシロ味も、可愛げもない良心なのです。(^^:
ワガママなエスと対立するのも無理ないかも(笑)
しかし私たちが道をはずれず、生きられのも
この超自我の、そんな良心のお陰です。
と、一応フォロー(笑)
さて、
超自由人なエスと、真面目の標本みたいな超自我
ですから、この二人はいつも対立し、
自我はいつもその対応に追われます。(^^:
しかし、それよりも、
自我がイチバン頭を痛めるのはエスの扱い・・。
エスは快楽原則と云って、周囲などお構いなし
ひたすら快楽を求めるヤンチャ坊主だからです。
それに対して自我は現実原則。
どんなに大変でも現実に則したやり方で
エスの暴走をなだめつつ、抑えるのが役目。
ただ、エスは我慢をするのが大嫌いで、
少しでもツライことがあると(即座に)
心身にさまざまなワルサをするので、
自我はいつもその対応に苦慮します。(^^:
ならば
具体的にどうするのか?と云いますと、
防衛機制というワザを使って、
一時的にエスの目を誤魔化し
時間稼ぎをするのです。
つまりエスに
「ほら、あなたの欲求を叶えてあげたよ」
と、ウソの欲求充足を見せるのが防衛機制。
ホント、ほんの一時しのぎなんですけどね。(^^:
しかし、どんな理由があるにせよ、
やはり誤魔化しは誤魔化しで、
そのツケは回ってきます。
とくに
防衛機制のひとつである、抑圧を多く使うと、
あとあと抑圧が騒ぎ出し、
心の病に繋がってしまうことにも。
ですからもちろん、
防衛機制の一時しのぎなど使わず、
「いまやるべきことは、いまやる」
がイチバンいいのですが、
自我も手一杯な発展途上なので、なかなか・・・(^^:
と、以上が
第二部の前半、心のスタッフ紹介のまとめです。
後半のまとめは、『つぶや記』に譲ります。^^ゞ
ともあれ、
他の動物と違い、人間は心に精神を
持ってしまった為に、構造も複雑で、
いろいろな問題を抱えて、なかなか大変です。
しかし、まあそうは云っても、
その大変なぶん、喜びや充実感を
味わうことができるのも人間だけ、なのです。(^^)v
【極楽とんぼのつぶや記】
~無意識と言葉、夢などについて~
はい、後半のまとめ
喜んで譲られました~。(^o^:
さて、
なかなか知ることのできない無意識の中身
ですが、第一部にも書きましたように、
その一番の手掛かりが夢である、
とフロイドは云っております。
つまり、
夢そのものが無意識なんだ
と云うわけです。
考えてみれば、夢はとても非現実的で、
登場する内容もメチャクチャですから、
そんな無意識の(中身の)ことを考えれば
「まあ、たしかに(^^:ごもっとも」
と云う感じもしますよね。(^_^;)
ただし、
そんなメチャクチャな無意識や夢でも、
その中身にはちゃんと意味がありまして、
私たちにメッセージを伝えてくるわけです。
もちろんそれは「お腹が痛いよ~」とか、
そうした現実的なことではないのですが、
しかし、それはある意味もっと重要な、
生きていく上で大切なメッセージだったり
しますから、テレビドラマは見逃がしても、
夢の中身は逃さずメモしておくと
良いかも知れません。
とは云っても、ほとんど忘れますが。(汗笑)
さて、
そんな無意識からの『夢メッセージ』は、
言葉ではなく画像メッセージで送られてきます。
もともと無意識は言葉を持っていませんから、
当然、夢も無声映画、パントマイムです。
私たちの無意識には、記憶や想いなどが
一枚一枚の写真のように画像化され
保存されています。
そして夢は一本のフィルムではなく、
そうした一枚一枚が組み合わされて、
映像のように私たちは夢を見ます。
(夢に表れる画像を表象と云います)
夢の内容が、いつも意味不明なのは、
もともと(映画のような)ストーリー性を
もってつくられていないからなのです。(^^:
しかし、
そうした画像には言葉以上のメッセージ性が
隠されており、とくにメッセージ性の強い
ものを象徴と呼び、重要視します。
つまり、その象徴によって、
その人の無意識にある声を聴き出そうと
するのが精神分析(学)です。
生まれて間もないころの赤ちゃんは
「あー」とか「うー」とか、発声しますよね。
それが言葉の原点になるわけですが、
もちろん彼らはまだ言葉も、
物事の意味も知りません。
赤ちゃんは無意識100%の世界で
(いつも夢を見ているような状態で)、
頭に浮かぶ表象を相手に「あー」「うー」と、
反応しているわけです。
そして
段々と言葉を使い始めるわけですが、
言葉を覚える=自我の発達で、
言葉を覚え始めると思考活動も活発となり、
爆発的にさまざまなことが
できるようになります。
つまり、
言葉と思考活動はとても密接で、
言葉なくして人類の発展はなかった、
と云い切れるほどです。
まあ、そうした発展が
良かったのかどうかは、これからの
私たちの行動次第ですね。(^^:>地球環境
さて、
これで第二部の『心について』は終わりです。
なんとなくでも『心』を
感じて頂けましたでしょうか。
心にはたくさんの不思議があり、
それだけ無限の可能性が秘められています。
書かれている記事をきっかけに、
少しでも心について興味を持って頂き、
あなたの心の可能性を広げるお手伝いが
できましたら嬉しい限りです。
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
たものです。※文章はスマートフォン向けに編集
してある為、パソコン画面では読みづらい部分が
あるかもしれません。また画像を多用しておりま
すが、サイズがスマートフォン画面では見づらい
場合があるかもしれません。ご了承ください。