欲求不満の固まり 固着

前章、心のエネルギー、リビドーの話、
ご理解頂けましたでしょうか。
少々内容がゴチャゴチャと込み入って
しまいましたけど(^^;)

ともあれ、心の中には、
リビドーというエネルギーがあって、
私たちの心や身体を動かしているわけです。

私たちの心身はリビドーによって動かされています

さて、そんなリビドーの話を踏まえて、
心の障害、二番目のポイントは
固着(こちゃく)の話です。


みなさん、それぞれに心の引っ掛かり
と云うものがあると思います。

たとえば、
何となく満たされない気持ちや、
どんなにしても埋めきれない思い・・・
みたいなものが。
      
「あのとき、こうすれば良かった( ̄  ̄;)」 
「ちくしょー、あれさえなければ・・(ーー;)」 
「あのタコ野郎、今度会ったら・・(-"-#)」
と、だんだん言葉が汚くなってきたので、
これくらいにしておきますが。(苦笑)

まあ、とにかく私たちは、
あれこれと過去にいろいろな思いを残し
ながら毎日を送る生き物みたいなのです。

って、まるで他人事のようですが、
もちろん私もその一人です。(^^;)

私たちは、あれこれと過去にいろいろな思いを残しながら毎日を送っています

ですが、
私たちが感じていない無意識の中では、
いまあなたが感じている数倍、あるいは
数千倍の不満(満たされない気持ち)が
存在しています。

そう、
第一部『無意識ポケットの中身(1)』に
書きました抑圧された感情のことです。

無意識には、抑圧された「満たされない気持ち」がいっぱい・・・

そして、
そんな不満などを(無意識の中に)刻んだ痕跡が
これから話します固着(こちゃく・固定点)です。

とくに乳幼児期にできた固着は、
心の障害の重要なカギを握っています。


では、その固着はどのようにしてできるのか。
そして、どのようにして、
心の障害に繋がるのか見て行きましょう。 


前章『心の展開図・補足』の最後に、
私たちは、
過去を引きずって生きているのですよ
という話を書きました。

人生とは重き荷を背負うがことし by.徳川家康

そうした過去には、
いろいろな出来事があったはずです。
    
幸福感で、心がバラ色だったこと。(*^^*)
誉められて、嬉しかったこと。(*^O^*)
反対に叱られて、悲しかったこと。(T▽T)
意地悪をされて、腹が立ったこと。(ーー;)

たとえば、
幸福感や嬉しかったことであれば、誰だって
「もう一度あの満足感を味わいたい」
と思いますよね。

反対に、
悲しかったこと、恨み(うらみ)に思った
ことであれば、
「このままでは終われない。もう一度ど・・」
という気持ちになるのではないでしょうか。

固着は、忘れたくない出来事、忘れられない出来事。私たちがもう一度「戻りたい」場所です  

そんな忘れたくない出来事や、
忘れられない出来事を心に刻み、
「もう一度」と思う場所固着と云います。

      
ある意味それは、
出来事の記念碑みたいなものですね。

固着は、出来事の記念碑

でも、あれあれ? 「話が違うぢゃん」
固着って云うのは、
不満を記録する場所じゃなかったの?

悲しかったことや、恨みに思ったことなら、
不満ということで理解できるけど、

嬉しかったことや、満足したことまでが、
「どうして固着になるの?」ですよね。(^^;)

もちろん、
満足は不満とは正反対のものですが、
また味わいたい満足として、
う一度立ち戻りたい場所なわけです。

それに、
何かに失敗したとき、現実に満たされないとき、
「あの頃のほうが良かったなぁ」
と昔を思うことがありますよね。

つまり、
良かった昔と比較することで現実を不満に思う
という意味では、不満とまったく無関係では
ありませんし、その昔を思うことで現実の不満を
少しでも解消できるとすれば
無意味な記念碑ではありませんよね。(^-^)

ちょっと、ややこしい話になりました。(^^:
このことは、次章でまた触れたいと思います。

固着は、こだわり

~固着ができるまで~

さて、
うした記念碑(固着)ができる場所は
リビドー(心のエネルギー)の通り道です

リビドーは、現在と過去の記憶を繋ぐように
私たちの心の中を、常に行き来しています。

そして、
嬉しかったこと、悲しかったこと・・・など
忘れられない出来事があると、自我は、
その目印として記念碑を建てて行きます。

固着という過去の記念碑には、リベンジしたい過去や、また味わいたい過去が埋められています  

上↑の絵をクリックしてみてください^^ゞ

もうお分かりだと思いますが、
記念碑とは抑圧のことであり、
その記念碑の下には、
「また味わいたい」満足感や、
悲しみや、恨みなどの
抑圧された感情が埋められています。 


たとえば抑圧とは、
欲望などを無理やり無意識に沈めてしまった
ものでしたね。
※一応クリックして復習してみる^^ゞ

それは、
まだ未解決のまま「埋められちゃった」ものたち
なので、欲望なども、イライラモンモンと
満たされない欲求として、無意識の中で生き続け
ているわけです。

もちろん、それは
満足感も同じで「満足の余韻(よいん)」とでも
云うのでしょうか、無意識の中に沈められても、
ホカホカ(*^^*)と生き続けています。

そう・・・
固着とは、マグマエネルギーをたくさん蓄えた
活火山みたいなもので、
「満たされたい」、「満たされ続けたい」
と思う現在進行形の欲求と云えます。

つまり、
「まだまだ終わっちゃいないんだよ~」という
満たされないまま続いている
欲求不満の固まりが固着
と云うわけです。

それは、ある意味、
「忘れないでくれ」
という自己主張の固まりとも云えそうです。

固着は現在進行形の欲求。「忘れないでくれ」という自己主張の固まりです

では、無意識の中に沈められても、
そうやってイライラ、ホカホカ(笑)
と生き続けられるのは、なぜでしょう?

って、これも、もうお分かりですよね。(^^:

はい、これもリビドーたちのお陰です。
自我の満たされたい、満たされ続けたいという
気持ちに共感したリビドーたちが集まって、
いつまでもその思いを持ち続けるわけです。

なんたってリビドーは、
心を動かすエネルギーですからね。

固着は活火山。固着はリビドーによって『現在進行形の欲求』を保ち続けます

さて、そう云うわけで、
自我は記念碑を建てるとき、
幸福に満ちたりながら、
あるいは悲嘆にくれながら、

その幸福や悲嘆に共感したリビドーを引き連れ
建設予定地に現われます。

そして満足や、悲しみを埋め、固着をつくり
終えると、何事も無かったように、サッパリ
とした笑顔で、そこまで引き連れてきたリビドー
を、その場に残して去ってしまいます。 

つまり
固着をつくるとは、満足や悲しみの感情を
バッサリ切り捨てる為の儀式だったわけです。

それはもう書くまでもなく、第一部でお話した、
怒りや悲しみの感情を無意識に沈めると何事も
無かったように、きれいサッパリ忘れてしまう
あの抑圧の話と、もちろん『同じ』です。    

自我は固着をつくると、何事もなかったようにその場を去ります固着=抑圧

まあ、悲しみは理解できるとしても、
何も満足まで切り捨てる必要はないのに・・
とも思いますが、やはり
「長い人生、旅の荷物は少ないほうがいい」
と自我は考えたのかも知れません。

よ、旅がらす。(笑)


ともあれ、
自我はリビドーたちを残し去ってしまい、
残されたリビドーたちが記念碑を守るという
形で、晴れて固着が完成するわけです。

しかし、
自我にとって本当に良かったのかどうか・・
の続き、を見てみる。※^^ゞ


~乳幼児期の固着~

乳幼児期の固着

と、ここまででも、すでに随分と、
長い長い章になってしまいましたが、(汗謝)
これで最後、あと少しですので、
もうしばらくお付き合いください。(^^:


それでは上記のことを踏まえて、
なぜ乳幼児期の固着が、
心の障害に深く関係しているのか、
その理由などを見て行きたいと思います。  

まず、私たちの持つリビドーは、
特別なことが無い限り爆発的に増えたり減った
りもなく、ある一定量を常に保っている
と考えられます。
※リビドーの絶対数・考

私たちの持つリビドーは、一定量

つまり、
「いま必要な分を、必要な箇所に配置する」
そして必要なら「召集をかけて集める」
などして使うなどして、
ある程度決まった量でやりくりをしている
と考えられるわけです。

私たちは限りあるリビドーを「やりくり」しながら活動しています。

ただし、
固着に集まってしまったリビドーは例外で、
強いこだわりを持ってしまった集団は、
一度そこに居付いてしまうと、
いざ「応援を頼む」と召集をかけても、
「イヤだ」
と拒否されて使いモノにならない・・
固着のこだわり、恐るべし、ですね。(^^:

固着に定着したリビドーは固着なだけにそこを離れません(^^:

さて、またまた、
そんな心の台所事情を踏まえて、(^^:

自我は、リビドーを引き連れ意気揚々と
人生の長い旅をスタートさせるわけですが、
初めから少々、前途は多難です。


と云うのも、私たちが産まれたばかりの頃は、
エスの力が強大で、
しかもお守り役とも云える自我は、まだ誕生
間もないひ弱っ子なので、
固着を非常につくりやすいのです。

しかし、それには、やむをえない事情も・・

たとえば、エスは生涯『快楽原則』主義で、
自我は未熟なまま、エスの欲求に応えなければ
なりません。

しかもエスには、
思ったらすぐに欲求が叶えられないと
気がすまない、という性質を持っています。

ある程度 成長した自我であれば、
リスクの低い防衛機制を選んでうまく対処
も出来るのですが、(自我も)そうなるまで
には多くの学習を積まなければなりません。


しかしエスは、
そんな自我の事情など待ってはくれません。(^^;
と云うより、生まれてきてしまった以上、
世の中で生き抜く為には
自我は何としてでもエスの要求に、
応えていかなければなりません。

そう・・・
自我にとっては見習い期間などなく、
すべてが実践での学習なのです。

しかし、
何としても要求に応えるだの、
実践で学習だの・・・と云っても、

『即座に』というエスからの難題を前にして、
自我はただオロオロするだけで、
何もすることが出来ません。

あと何年かすれば、自我も防衛機制のいくつかは
習得出来ているのかもしれませんが、、

そう・・
人生の旅をスタートさせたばかりの自我は、
『とりあえず、その場しのぎの防衛機制』(笑)
すら何一つ学習していないのです。

考えてみたら酷な話ですよね。。

しかし、そんな自我にも、
一つだけ、使えるワザがあります。

それは神様が、
私たちのそんな苦しい旅立ちを哀れに思い持た
せてくれた・・のかどうかはワカリマセンが、

学習しなくても、生得的(生れつき)に使える
防衛機制が一つだけ。

それが抑圧です。

防衛機制の中でも、おそらく一番簡単。
しかし、一番リスクが高いのが抑圧です。
神様も罪なことをしますよね、ホント・・(^^:


そして自我は、やむなくその抑圧を使い、
エスの欲求を、無かったことにして無視して
しまうのです。

まだ未熟な自我は抑圧を使うしかありません

しかし、このときの抑圧が、
あとあと自我自身が苦しむ
元凶になってしまうわけです。

このあたりのもう少し詳しい話
自我子誕生『幼な自我の奮闘記?』※
を読んでみる^^ゞ


ともあれ、上記したような理由で、
自我はエスの要求に抑圧を連発し、
固着をたくさんつくってしまいます。

あまり固着にリビドーを使いすぎてしまうと・・・

すると、どうなるでしょう?   

はい、そうなのです・・・
リビドーは生きる為のエネルギーでもあるので、
あまり固着にリビドーを使い過ぎてしまうと、
自我が充分に成長できなかったり、
弱ってしまったりして、
精神活動が上手く行かなくなってしまう・・・

つまり
心の障害の要因もたくさんつくってしまう
と云うわけです。
※固着にできたこだわりは、性格形成にも繋がります。

生きるエネルギーが先細りして、心を病みやすくしてしまいますエスの欲求に充分応えられない『幼い自我』は、抑圧を使って固着をつくり「その場しのぎ」をしますが・・

そして、最後にもう一つ・・・
この頃につくられた固着は、それ以降の
固着(抑圧)にも影響を与えていきます。

それは何かと云いますと、
固着も一つの『こだわり』ですから、
その後も似たような出来事が固着になるという、
ある意味『固着の連鎖』ですね。

たとえば、
初めの固着が『愛に関係する抑圧』であれば
その後につくられる固着も、愛をテーマに
したものが多くなる可能性が高くなる・・

まあ、考えてみれば当たり前の話ですよね。

もちろん、それがポジティブな固着であれば
何ら問題もないのですが、
なかなかそうはいかないですからね。
ほんと人間って大変な生き物です・・(^^:


ともあれ、
自我が誕生したばかりの乳幼児期は、
上記の理由で抑圧が連発され、固着を
つくりやすく、後々に影響することが多い
という話でした。

そしてその、後々の影響・・については、
次の章(退行)と、そのあとの章で、
詳しく書かせて頂きます。


本当に長い時間、
お付き合い頂きありがとうございました。
そしてお疲れ様でございました。(^^:



オマケです。何かまだモメテます。(汗笑)


 

心のエネルギー  リビドー
心が子どもに戻る? 退行

このコンテンツは2008年に作成され2015年に再編集
したものです。

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