さて、ここから再び『夢』の話、なのですが、
ここで少し、おさらい的な前置きです。^^ゞ
第一部にも書きましたように、
私たちの心の中では
意識的な精神と、無意識的な精神の
2つの心が活動しています。
意識的な精神とは、日常、私たちが
「あーでもない」「こーでもない」と、
思ったり感じたりしている世界。
『私』(自我)を認識できる精神世界を云います。
一方の無意識的な精神とは、
自分自身のことでありながら、
「何もわからない」
(『私』を感じることができない)
精神世界のことを云います。
そして
この2つの精神世界が、相互に作用して
私たちの心が(ひとつのモノとして)
成り立っているわけです。が・・・
そのうちの自分にも分らない無意識的な
精神のほうが、心を動かす影響力が大きい
と云うところが、私たちの気持ちを
ややこしくしている
イチバンのネック。問題点になる・・わけです。(^^:
自分にも分らない心の片割れが、
勝手に自分を動かしてしまうわけですからね。
しかし、自分にも見えない、分からないとは
云っても、間違いなくそこに存在しているのが
無意識的な精神ですから、どこかに必ず
その姿もあるはず・・・
だからその姿さえ捕まえることができれば、
心の葛藤や心の障害の(解決の)糸口も
見つかりますよ、と云うのが、
精神分析(学)です。
そして、
そこで登場するのが『夢』です。
無意識の精神活動は、とにかく謎が多くて、
なかなか中身を知ることもできない・・・
しかしフロイドたちの研究によって、次第に
「どうも睡眠中に見る夢が、無意識の中身
のようだ」ということが分かったのです。
つまり、夢は無意識そのものであり、
夢が解明できれば無意識を知ることもできる。
夢は、無意識の玄関口(手掛かり)というわけですね。
そこでこれから、私たちも第一部に引き続き、
もう少し夢の話にスコップを入れ、
掘り下げてみたいと思います。
さて、どんな話が出てくるでしょうか。(^^)
私たちは睡眠中にみる夢の存在は知っています。
しかし夢をみているときは、
それが夢であることは知りません。
それを現実だと思いながら夢をみています。
んーっ、いきなりややこしいですね。(^^;)
つまり、
私たちは夢をみることは知っていても、
いま見ているものが「夢だ」と思って
夢をみている人はいません・・・よね?(^^;)
もし仮に
「これは夢なんだ」
と、夢の中で思ったとしても、
そう思っていること自体が、
夢の中の話なのです。
その証拠に、
「これは夢だ」と思いながらも、そのときは
それがあたかも現実に起こっているような
感覚で夢をみているはずです。
もちろん、夢で現実を感じているその現実とは、
(いまこの記事を読んでいる)意識界ではなく、
あなたの心にだけにある無意識の世界での現実
なんですけどね。
もっと分かりやすく云えば、私たちは
意識界と無意識界という、
ふたつの現実を持っているわけで、
夢は無意識界での現実、
というわけです。(^^;)(^^)
そして夢は、
そんな無意識界での出来事ですから、
たとえ自我といえども、意識の世界から
「あーでもない」「こーでもない」と、
口をはさむことも、
(内容を)操作することもできません。
たとえば、私たちが意識の中で
「こんな夢がみたい」「こんな夢はみたくない」
と、いくらリクエストをしても、
「それは無理」ですよね。(^^;)
つまり、
無意識には無意識独自の世界があって、
夢も、その独自の世界から送り出されている
ので、私たちの思惑(意識)は入り込めない
のです。
と、ひとまず、これが夢の現実です。(^^;)
つまり、夢は無意識独自の産物(活動)であり、
意識的に頑張っても手出しのできない精神活動
と云うわけです。
ならば、
『無意識=エス』なら『夢=エス』なのか?
必ず全部がそうなのか?
と云えば、決して全部がそうではありません。
もちろん、無意識はエスの本拠地ですから、
夢もエス主導(主体)であることは
間違いないのですが、自我や超自我も、
時と場合によっては、
夢に介入(口出し)することもあります。
ただし、自我も意識界ほど介入はしません。
なぜなら、自我の役割りは意識界(実生活)での
エスの保護者(代理人)ですからね。
なので、夢がとくに実生活の支障にならない
限り、あまり問題にせず、
「まあ、好きにやって」という感じです。
ただし(笑)、あまり露骨な夢・・・
欲望まるだしな夢などは、
覚醒時(意識的な活動をしているとき)と
同じように、夢であろうと自我たちは、
それが夢に出ないよう制限を加えます。
それが夢の検閲です。
まあ、エスにしてみれば
「なんだよ! 夢ぐらい自由に楽しませろよ
~!! (`ヘ´)」
と、云いたいところかも知れませんけどね。(^^;)
ともあれ、
夢は100%無意識によってつくられている
世界・・・
私たちの知られざる、もうひとつの精神活動、
と云うことで、
フロイドも「夢は無意識へ至る王道」
つまり、無意識を知るためのイチバンの
手掛かりである、と云ったわけです。
ちなみに夢は、
思春期以前(幼少・児童期)ぐらいまでは、
ほとんど100%エスの世界。
エスのイケイケ天国だと云われています。(^^;)
その理由は、子どもはまだ自我や超自我が
未成熟なので、無意識にある欲望なども
検閲されず、イケイケで夢に出ることが
OKなのです。
ですから、無意識にあるイロイロがバーッ
と出てきてしまうので、
子どもの夢は良く云えば素直、悪く云えば
奇想天外で支離滅裂なものが多いわけです。(^^;)
まあ・・・と、余談ながら^^;・・・
子どもの場合、睡眠中に限らず覚醒時でも、
夢のような話が多く飛び出すんですよね。(^^;)
それは覚醒時も、夢を見ているときに
近い状態・・・つまり(意識より)
無意識状態が強いから、なのです。
だから、いくら親が「気をつけなさいね」
と声を掛けても、子どもの交通事故も絶えない
わけで・・・(++;)
親御さんはしっかり、子どもさんの手を握って
あげてくださいね。 ※余談の補足です(^^ゞ
で、、話を戻しましょう。(^^;)
そして
それが思春期になると、自我や超自我も、
ある程度しっかりしてきますから、当然、
検閲も(覚醒時ほどではないにしても)
厳しいものとなるので、夢の内容もいくらか
現実味の強いもの(わりと現実に近い話や、
筋道の通った話)になってきます。
さて、夢の話、いかがでしたでしょうか。
夢は、精神分析(学)ではとても重要な部分
ですので、この章の後半と、次の章・・
としばらく続きます。
どうぞお楽しみくださいませ。(^.^)
しかし、それにしても、
抑圧されたものを(意識に)開放したいエスと、
それを規制(制限)する自我たちとの攻防は、
夢の中でもある、ということで・・・
つくづく私たちの心は、どこまで行っても
(規制された)不自由なモノ、と云えますね。(^^;)
【極楽とんぼのつぶや記】
~夢の仕事~
さて本編で、
抑圧されたものを(意識に)開放したいエスと、
規制(制限)する自我たちとの攻防は、
夢の中でもあると書きましたが、
自我たちの検閲に対してエスはどんな
対抗策をとっているのでしょう?
それは『夢の仕事』です。
まず、
夢には潜在夢(せんざいむ)と、
顕在夢(けんざいむ)
というものがありまして、
潜在夢とは、夢に出る前の姿・・・
夢が加工(編集)される前の夢の原型のことで、
顕在夢とは、夢の表面に現われるもの・・・
私たちが睡眠中に見ている夢のことを云います。
そして
自我たちの検閲に対して、エスがとる事前の
対抗策が、この夢の編集作業『夢の仕事』です。
エスは、無意識にある欲望を、さまざまな加工
によって検閲を通過できるように誤魔化そうと、
あれこれ脚色するわけです。
あれあれ、原型がずいぶんスマートに削られてますね。(苦笑)
エスにしてみれば「不本意だけど仕方ない・・」
と云ったところでしょうか。
ともあれ、
そんな夢の加工前(潜在夢)と、
加工後(顕在夢)の間には、
「なんとか欲望を夢の中で実現させてやる」
とするエスと、
「欲望まる出しな夢は阻止してやる」
という自我たちによる激しい攻防戦が
繰り広げられているわけですね。(^^:
そして私たちは、
そうした夢の仕事と、夢の検閲という2層の
フィルターを通した後の作品を
「夢として見ている」ことになります。
なんだか『夏草や兵どもが夢の跡』みたいで、
夢ってある意味、スゴイことだと思いません?
(T▽T)←はげしく感動ちゅう (意味不明?笑)
あっ、すみません。(^^;)そーでしたね。
それでなくてもこの章は長いのでした。(汗謝)
では具体的に
夢の仕事とは、どんな仕事を云うのでしょう?
夢の仕事には、
圧縮、置換(移動)、象徴、劇化
の4つがあります。
★圧縮
複数の事物が、ひとつに合体して現われる。
たとえば、自宅と思っている場所に、
学校や職場が混ざって夢に出てきたり・・・。
★置換
重要な願望が、それほど重要でない形として
現われる・・・
たとえば、会社で出世したい願望の自分が、
海で釣りをしている姿で夢に登場したり。(^.^;
もしかしたら大物を釣り上げて、
上司に認められたいのかも?(苦笑)
★象徴化
性的な欲望などが、違う形のイメージ像として
現われる・・・
たとえば、男性器はナイフや拳銃。女性器は
家や船など。
※この象徴化については、
次々章『無意識の言葉』で詳しく書きます。
★劇化
形がないはずの心理が視覚化されて見える・・・
たとえば夢の中で、見えるはずのない自分や
相手の気持ちや言葉が映像化(視覚化)され
見える・・ような気がする。(^^:
あるいは希望を青空、不安を曇り空のように
気持ちなどを何かに例えた(暗示した)形で
表れる。
と、かなりベタ(下手)な例え話で恐縮ですが
こんな感じで夢は、さまざまに加工(歪曲)され
検閲を逃れようとするわけです。が・・・
ここで最後に、ただし・・・の
大ドンデン返し(?)があるのです。(^^:
実は、そうなのです。
(実は、そう・・・の実って、何だ?(汗笑))
どんなにエスが健闘し頑張ったところで、
それが夢に表れたときの主役は、
やっぱり自我なのです。
つまり、
仮にそれがエスの抱く欲望であるにせよ、
それは単に無意識に抑圧された欲望
という括り(くくり)となり・・・
つまり、の、つまり、(^^:
それはエスの欲望と云えなくもないが、
同時に自我などの心全体の欲望とも
云えてしまうので、ここはひとつ、
無意識に抑圧された欲望という
言葉でまとめてしまいましょう・・
という意味です。
そして最終的には
『夢は自我が潜在的に抱いている欲望の成就である』
という形で片付いてしまうわけです。
なぜってエスは、
たとえ夢の中であっても表舞台には
決して立つことのできない存在※
なのですから・・・(^^:
※姿を現わすことができないという意味です。
エスにとっては、なんとも哀れな感じですが、
でもこれが現実?なのです。(^-^;
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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