ちょっと夢のことを思い浮かべてみてください。
夢って、言葉を発しているようで、言葉がナイですよね?
まるでチャップリンの無声映画のように。
それでも、夢の中では
自分の気持ちも、相手の気持ちも分かるし、
状況も理解できている。
考えてみたら不思議ですよね?(^^:
私たちが、チャップリンのように名優だから
以心伝心で意味が通じちゃうのでしょうか?
えっ?それは、あり得ない?(苦笑)
しかし、そもそも、なんで、
夢はサイレントムービーなのでしょう?(^^:
この章では、そんな、
夢のなぜ?と、
実は・・と云う、夢のからくりに、
迫ってみたいと思います。
そこには意外な新事実が・・?(^o^;)
私たちの心(精神)は、
眠ることなく活動している・・・
そして、私たちの五感・・・
見る、聞く、嗅ぐ、触れる、味わう、
の感覚器官も、四六時中
眠ることなく働いていている・・・
夢は、
視覚的画像(映像)を見せることで、
そうした心や五感の働きから、私たちの
心身を守る(睡眠を確保させる)為にある・・・
と云うのが第一部『人間はなぜ夢をみるのか』
での話でした。
そして、
この話のとき、遮断できる感覚器官が、
(五感のうち)視覚しかないから視覚を使う
と云ったようなことも書いたと思います。
もちろん、それは本当の話なのですが、
実は、そこにはもっと重大な事実・・・
無意識にとって致命的な事実が
隠されておりました。
・・おりました。って隠してたのは私ですが(苦笑)
で、それはナニか?と云いますと・・・
すみません。(^^;
つまらぬ画像で引っ張ってしまいました。(汗謝)
で、それはナニか?と云いますと・・・
そもそも、
無意識には言葉というものがなく、
夢に使えるものは
視覚像(画像・映像)しかない
の・・・です。(^-^;
つまり、夢に
視覚しか(使え)ない事情は、
感覚器官側だけではなく
夢の主催者側の無意識にもあったわけです。
と云うより、むしろ・・・
この発覚事実の「にも」のほうが
重大問題ですよね。(^_^;)
なんて開きなおったことを云ってますが、
彼は、このあと窮地に追い込まれます(^^:
どこまでツッパリ切れるか、しばらく
お楽しみください(汗笑)
エスくん、ごめんね。(^^:
別にキミを苦しめるつもりはないのです。
ただ、事実なだけ・・・(滝汗)
ともあれ・・・(^^:
いずれの事情にしろ、
視覚像しか使えないのですから
夢がサイレントムービーになるのは
至極当然、当たり前な話、
なのでございました。(^^;)ジャンジャン
しかし、それにしても・・・
の補足を読んでみる
以上で、
この章での疑問、無意識には『言葉』がない・・
どうして夢はサイレントなのか?
は、実にあっけなく解決してしまったわけですが
・・・
その置き土産として(?)、心の中では
何やら大問題が発覚してしまいました。(汗笑)
そう・・・
無意識には言葉が無い
このことは、自我子くんが問題視するように、
本書にとっても一大事なわけですが、
まあ、そんなことは、いいとして(^.^;
それよりも、
『無意識には言葉が無い』
とは、どう云うことなのか?
ですよね。(^^:
まず、
私たちが考える言葉(言語)とは、
この記事に書かれている文章や、
「○○さん、こんにちは~(^○^)」のような
日常使われる文字のことを云いますね。
しかし無意識には、そうした言葉が無い・・
まあ、考えようによっては、
「こんにちは」などのコミュニケーションツール
としての言葉は、無意識には必要ないですし、
もし必要としても、それは自我が代役を務めて
いることなので、問題ないですよね。
つまり結論としては、
無意識に言葉がないのは、必要がないから・・・
ではダメですか?(苦笑)
それでも、もし、
「どうしても」と云うのであれば、
無いと云っても、まったく無いわけではなく
言葉の代わりに、夢でみる視覚像・・・
つまり画像が無意識の中では
言語と同じ役割をしています。
出し惜しみせずもっと早く云え・・ですよね。(汗謝)
エスくんには気の毒ですが、自我子くんも
教えたくても教えようもなく気の毒ですね。(^^:
逆にエスくんも、いまさら人間の言葉を
覚えたって仕方がないし、その必要もナイ
わけだから安心してあきらめてくださいな。(^^:
そして・・・
本書ではエスが、いつも憎まれ口を
グチャグチャとたたいておりますが(笑)、
これも本当はあり得ないことで、あくまでも
筆者の空想であることは、申し上げるまでも
ございませんが、念の為。(^^:
尚、この言語(言葉)につきましては、
次々章でさらに詳しく説明させて頂きます。
それと、もうひとつ、
じゃあ、自分の気持ちや、相手の気持ちが
言葉も無いのに、どうして分かるのか?
が疑問ですよね。
それは前章に書いた夢の仕事のお陰、
と云うのかしわざと云うべきなのか、
そうした夢の仕事の演出があるからです。
とくに(夢の仕事の)劇化には、
相手の顔つきや態度、あるいは周囲の
雰囲気などで、自分や相手の気持ちなどを
「分からせてくれる」効果があります。
きっと誰の無意識の中にも、名監督がいる
のです。(^.^)
それともうひとつには、
願望の表われがあります。
なんと云っても
夢の主催者は、あの欲望の宝庫、無意識
ですから、
「自分の気持ちは、こうなんだから
相手の気持ちだって絶対こうでなくっちゃ」
みたいな願望による決めつけなど、それほど
特別なことではないはずです。
しかし自分の気持ちはともかく、
相手の気持ちを決めてしまうのは、
勝手と云えば勝手で、横暴な感じも
しますけどね。(汗笑)
しかし、そのへんのことだって、
あの自己チュー本家本元の無意識ですから、
「夢くらい自分の自由でいいだろう(^^)v」
くらいのことも、朝メシ前だと思われます。
(注)もちろん、だからと云って、夢で必ず
(願望が)実現できるとは限りません。(汗笑)
しかし、そんな勝手な決めつけも
『当たらずとも遠からじ』で、なんとなく
正解に近かったりすることも、あるんですよね。
それはたぶん、無意識の鋭い推察や感(勘)
というヤツなのかも知れません。(^^;)
恐るべし、無意識ですね。
注)もちろん、思い込みや勘違いと云うのも
ありますから、そのすべてが正しいとは
限りません。念の為(苦笑)
ともあれ、
話がゴチャゴチャになってしまいましたが、
夢がサイレント(無言・無音)である理由、
何となくでもご理解頂けましたでしょうか。
次章の章では、夢がサイレントでも意味が
通じてしまう最大の理由。
『象徴』についてを書いてみたいと思います。
【極楽とんぼのつぶや記】
~やっぱり夢は無意識そのもの?~
それにしても、夢って、どうしてあんなに、
いろんなことがゴチャマゼなんでしょう?
そのゴチャマゼな理由は、
やはり無意識にありそうです。(;^_^A
第一部(『無意識ポケットの中身(1)』
にも書きましたが、無意識の中は、
すべてがガチャガチャ、グチャグチャ・・・
善悪なんて関係ないし、
どれが真実で、どれがウソで・・
なんてことも関係ありません。
つまり私たちが考える常識や、
当たり前と思っていることなど、
無意識の中では
「そんなの、どーでもイイ」わけで、
それでいて、なんの矛盾も混乱もナイのが
無意識の世界・・・
そんな場所でつくられる夢ですから、
夢のゴチャマゼも納得できると云うか。
やっぱり、蛙の子は蛙、、ではないですけど、
夢は無意識そのものかもしれませんね。(^o^:
あ、でも、 私たちが見る夢は、
夢の仕事や、検閲の結果・・
つまり、そうした作業の末に出来上がった
作品なんですよね。
ガチャガチャ、グチャグチャな状態で
夢の仕事や検閲をするのは、さぞや大変
でしょうね。(苦笑)
って、それが云いたいワケぢゃなく(;^_^A
もちろん、そうした作業を含めての
『夢=無意識』なんでしょうけど、
やっぱり、(加工前の)『夢の原型』って
やつも見てみたいような気がします。(*^-^)
え?見ないほうがいいって?(汗笑)
でも、
そんなガチャガチャ、グチャグチャの無意識も、
またそこで創られるゴチャマゼな夢も、(苦笑)
自分の心の中に詰まっている記憶や願望・・で、
自分の一部分なんですよね。
だからでしょうか・・・
どんな夢をみても、たとえ嫌な夢をみても、
(そのときは不快感があっても、最後には)
違和感もなく、共感している自分がいる。
またときには、そんな夢を心待ちにし、
楽しんでいることも、あったりして。(笑)
なんてこと、みなさんには、ありませんか?
私には、あります。(^^ゞ
そんなとき、あぁ自分はやっぱり
物事に縛られたくない無意識人なのかもなぁ・・
と思います。
大変なことも多い人生だから、
「せめて夢くらい・・」と、
その気持ちを発散させている、のだなぁ・・と。
あれ?なにかタイトルから逸脱してますね。
しかも支離滅裂・・・(^o^:
これも無意識のせいかしらん。(笑)
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
たものです。※文章はスマートフォン向けに編集
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