人間の本能は壊れている・・・
この記事を書いているとき
でも、やっぱり人間も動物だったんだ・・・
サルと同じ類人猿だったんだぁ・・・
という本に出合いました。
その本とは、元上野動物園園長で、
現在、日本動物愛護協会会長の中川志郎氏が
執筆された『地球は まあるい動物園』という
一冊。
そこには、中川氏が38年間、動物園で動物
たちと過ごした貴重な体験談などが書かれて
いるわけですが、
とくに本の冒頭に書かれている
『自然・生命・死』の記事には、感動という
のか、衝撃というのか、反省というのか・・・
(^.^;
とにかく「当たり前」と思っていたものが
実はそうではなく「もの凄いことなんだ」
という事実を突きつけられたようで、
久々に心がこっぱみじんに砕けました。(^o^;
気持ちイイぐらいに。(汗笑)
うまくお伝えできるかどうか分かりませんが、
個人的に感動した話を、ちょっとコラムに
してみましたので、よろしければお付き合い
くださいませ。
※引用の正式な許可を頂いておりませんので、
著作物に関しては、完全な引用ではなくかい
つまんだ内容を青文字で記させて頂きました。
地球という星に生命体が誕生したのが35億年前
多細胞動物の誕生が7億年前
最初の脊椎動物の魚の誕生が4億年前
陸上の両生類の誕生が3億年前
恐竜(爬虫類)の誕生が2億年前
類人猿からヒトの誕生が400万年前・・・・
10億年前の単細胞からヒトへの進化の歩みは、
現在でも人間の胎児の育ち方をみれば分かる・・
それは女性が排卵する卵子で、それが10億年前
の単細胞(真核細胞)の姿と同じ・・・
そして受精すると7億年前の多細胞動物となる。
受胎後、2ヵ月の胎児には、脊髄、ヒレの
ような四肢と、長いシッポ、そして魚のような
エラ(鰓孔)がある。(4億年前の姿)
受胎後3~4ヶ月で、エラがなくなり、
酸素を摂る為の肺ができる。そしてヒレ状の
四肢は指への分化を始め、シッポも消え始める。
受胎後5ヵ月、指は指の形となり、
爪が生え始める。爬虫類から原始哺乳類へ。
受胎後7ヵ月、剛毛が生え、魚のように
左右に分かれていた目が前面に移動し始める。
(哺乳類の霊長類的な特徴)
そして、十月十日で誕生するが、
それはまだサル的特徴を備えた新生児。
生後6~7ヵ月・・・
四肢で這い回り(はいまわり)、やがて
つかまり立ちして、二足歩行するプロセスは
類人猿→直立猿人→原人へのプロセスと
合致する。
つまり、
生後の1年間はサルからヒトへの進化の軌跡。
そして1歳から3歳での、大脳皮質の著しい
発達で、ようやくヒトから人間へ・・・
つまり、10億年前の人類誕生の軌跡を、
いまでも、胎児や赤ちゃんが再現している
と云うわけです。
名残りとはいえ素晴らしい。( ̄  ̄*)
でも、凄いと思いませんか。(*^^*)
生命の誕生が35億年前、そして人類の
歴史が10億年前から始まっている・・・
私たちは、その歴史の一部分を担って
(になって)いるわけです。
本の中でも中川氏は、どんな動植物でも、
地球上に不要な存在はなく、
人間も例外ではない、と書かれています。
つまり、どんな動植物でも、その生態の連鎖が
あるから地球上の生き物は生存していられる。
人間も何かしらの役にたっているから
地球上に存在しているし、生存していられる
と云うわけです。
そしてその使命は、人間だけが持つ知的能力
であろうと、氏の本には書かれています。
ふつう動物の生命は、どんなに長くても50年
なんだそうです。
しかも、子孫を残す肉体的再生産能力(生殖能力)
を失った時点でその動物の使命は終わるのだ
そうです。
しかし人間が、その肉体的再生産能力を失った
以降も生存していられるのは知的再生産能力、
つまり知的能力が、地球上の生態系には必要
だから・・・
つまり知恵を出し合って、他の動物にはできない
仕事をしたり、地球の歴史を、時代の証人(記録
者)として、次の世代の人へ継承して(書き残して
)いけるのも人類だけ・・・
私たちには人間には、そうした使命があるわけ
ですね。
ちなみに、その知的再生産能力がイチバン
発揮されるピークは65歳だそうです。
本当は、もっともっと紹介させて頂きたい
のですが、紙面の都合で(^^;)このへんで
終わります。
私はもう、10億年という話と、人間も
地球に必要な存在なんだ、という内容だけで
満腹になりました。
みなさんは、いかがてしょうか。(^^ゞ
しかし、満腹になるだけではなく、
心も痛みました。
地球の一員であるはずなのに、人間は傲慢
(ごうまん)にも「オレの命」しか考えず、
多くの自然を破壊してきました。期待される
知的能力がマイナスに働いてしまい、
もう暴走状態なんですよね。。
ホントここらで、
生かされていること、生かしてもらっている
ことを真摯に受け止めて、地球の為に何が
できるかを考え、行動しないといけないです
よね。
そして何より「当たり前」として、ただ漠然、
漫然と生きるのではなく、生を受けることは
もの凄く「重い価値(役割)のあることなんだ」
と云うことの『生の意義』を再認識することが
できれば、 私たち個々の人生も、もっと充実
した豊かなもの になるような気がしませんか。
(^^)
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
たものです。※文章はスマートフォン向けに編集
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