自我と超自我の関係

この男根期に著しく成長する超自我と、『私自身』で
ある自我との関係を、ここで補足的に説明しておきた
いと思います。

と云いつつ、とても、いきなりですが・・・(^^:
たとえば・・・

自我は、みなさん自身です。
ちょっと思い浮かべてみてください。

毎日、どんな気持ちで過ごしてますか?

案外と、「楽したいなぁ」
できるなら「手抜きしたいな」
と云う気持ちが多いのではないでしょうか。

いや、べつに「それがダメです」と云いたいわけ
ではないですし(汗笑)、むしろ、
「そういえば、結構いい加減かもなぁ」と
感じて頂くほうが、この先の話がしやすいです。^^;


さて、結構いい加減な自我。便宜上、決めちゃいます。(笑)
どこまでも「楽チン」に流されそうな自分(自我)。
まあ、もともとがエスから産まれたわけですから、
自我も快楽を愛する存在なわけです。

そして、そこで、そんな自堕落な自我に
「ダメ!」とSTOPを掛け、
頑張らせようとするのが超自我です。

つまり、みなさんの心の中で、
「テキトーでイイぢゃん」と思うと同時に、
「それじゃ、ダメだ」
と思う自分もあれば、それは超自我の影響・・
と云うわけです。


図式としては・・・
通常、自我は、エスと一緒に『いい加減湯』という
お風呂屋の湯船に
「あ~、いい湯だな」
と浸っています。

しかぁ~し、
その自我の中に超自我が住み(棲み)着いていて、
いつも自我を監視しているワケです。

そして、自我の行動があまりにテキトーすぎると、
チクッ、チクッと、自我に釘を刺しながら、
「ダメ!」「そんなの、ダメっ!」
と、呟くわけです。
たまらんですね。(^^:(汗笑)

ですが、自我も、そんな超自我を恨んでいるか?
と云えば、そうでもなく、
むしろ、そんな自分の中に住み着く住民に、
愛着すら感じているようなのです。(^^:


よく例えられる両者の関係が、
超自我がサディズムで、
自我はマゾヒズム

つまり、自我は、超自我の発する罰を喜んでいる
わけです。

みなさんも自分の胸に手を当てて、
よくよく考えてみてください。

みなさん自身の中に、
S(サディスティック)な自分と、
M(マゾヒスティック)な自分が、同居してませんか?

もちろん、その比率の違いは、人それぞれですが、
必ず同居しているはずなのです。


しかし、超自我が『S』なのは薄々わかっていた
けれど、自我が『M』というのは納得がいかない、
と思う方が多いかもしれませんね。(^^:

ですが、互いに引き合う磁石のような関係が、ここで
成り立たないと、『自分を奮い立たせるもの』の
説明ができなくなるのも事実です。

たとえば、快楽の人に、いくらアメ玉をあげたって
「じゃあ、ガンバロウ」にはならないですよね?
やはりそこはムチでも打たなければ。(^^:
そして、そのムチを喜ばなければ・・(^^:(^^:


でも、そうやって考えていけば、
「やりたくないけど、頑張るしかないかぁ」
と立ち上がる『自分』の姿にも、
なんとなく納得がいきませんか?

つまり、テキトーに怠けたい自分(自我)が、
「ダメ」と超自我に云われて、
「仕方ない・・頑張るかぁ」
と、表面上は渋々、
でも内心は、その(頑張りという)罰を喜びながら、
それに励むわけです。

そうなると、もしかしたら、
また、だんだんサボりたくなる『自分』は、
超自我の「ダメ」の罰が、恋しくなったから・・
なのかもしれませんね。(汗笑)


つまり・・・
自我にとって超自我は、超自我さえ『ほど良い状態』
であれば、自分を奮い立たせてくれる良い刺激、
なくてはならない大切なカンフル剤と云うわけです。

※本当は、もっと複雑な関係性があるのですが、
簡単に云ってしまえば、自我と超自我の関係は、
こんな感じです。^^ゞ



その他、補足として・・・

ただし・・・
自我と超自我の関係バランスが、何らかの事情で
『ほど良いもの』でなかったりすると、
罰や頑張りも過剰になって、そこに『強迫的』
という、病的な状態が出来てしまいます。


また・・・
本来、超自我も、自我と同様に成長とともに変化
します。つまり、経験を積み、感じ方、考え方が
変わってくれば、超自我の発する「ダメ」の中身も
柔軟になるのが通常です。

年齢とともに、人間が丸くなれるもの、自我や超自我
が衰えたから(汗笑)と云うよりも、そうした感じ方や 、
考え方が円熟してくるから、と云えます。

なのでもし、男根期あたりの超自我が根強く残り、
強固さが続くようであれば、何かしらの精神疾患や
遅滞を疑ってみる必要があるかもしれません。

 




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