本編、性格形成の各章で「この時期には、こうした性格がつくられやすい」と云う話を書きました。
それは、フロイドの固着や退行の考え方が基本になっているわけですが、
「じゃあ、○歳のとき、こんな事があったのですが、自分の性格は、あのときの、あの出来事が原因になっているわけですね」
と云うような質問を頂くことがあります。
たしかに、「ああ、この性格は○○の出来事が影響しているのかも知れませんね」と推測することは可能ですが、性格は単一の固着からできるものではないので、「そう! それです!! その固着がアナタの性格の原因です」と指をさして断定することは、残念ながらできません。
たとえば、性格が形成される過程は、下の図のようなイメージと考えてください。
仮に、その人の中心的(特徴的)性格が『頑固』で、
それが③によってつくられたとしても、
他の①や②や④などの固着も関係してきますから、
同じ『頑固』であっても、「説明すれば、分かる頑固」もあれば、「いくら説明しても分からない頑固」や、「ある特定の物事に関してだけ頑固」と云ったように、いろいろな頑固性格ができるわけです。
それに性格というのは、ひとつだけ特徴的なものがあっても、それだけではありませんよね。
「頑固でケチだけど、やさしい面もある」とか。
たとえばそうした場合、①の固着が『やさしさ』の要素で、⑤の固着が『ケチ』の要素なのかも知れません。
つまり、いろんな固着が絡みあって、
「自分に対しては頑固なほどケチだけど、他人にはやさしい」と云ったような、その人特有、オリジナルな性格が誕生するというわけなのです。(^^)
頑固でケチ・・・あまり良い例ではありませんでしたね。(汗笑)
しかし、ケチはともかく、頑固と云うのは性格の中でも一番中心的なものであり、誰もが必ず持っているものだと思います。
なぜなら、本編で述べましたように性格は、ある種の「こだわり」の結果できたものであり、こだわりとは、何かに固執すること、つまり『=頑固さ』なわけですから、頑固は性格の元祖であり、親玉である・・・とも云えるのではないかと。
って、かなりこじつけでしょうか。(^-^;(笑)
しかし、「あいつ頑固だよなぁ」と云われると、半分以上は軽蔑の意味だったりしますが、頑固であること自体は、そんなに悪いことではないと思うのです。
もちろん、内容の善し悪しもありますが。(^^;)(それは別のコラムに書かせて頂きます)
でも、頑固であることは「やりぬくエネルギー」でもありますから、とても大事なものだと思いますし、
「頑固である」と云う、その時点で、すでにもの凄いエネルギーがいることですから、それだけ健康(元気)である、というバロメーターにもなりますよね。
心身が健全でないと、こだわるのも面倒で、「まあ、いいか」って話になっちゃいますから。(^^:
ですから、「おまえ頑固だなぁ」と半分呆れ気味に云われた場合、もしかすると云った相手は、心身が疲れている人で、元気なあなたが羨ましいのかも知れません。
なので、そう云われたときには誉め言葉と受け取って、「ありがとう」と答えてあげましょう。
きっとあなたは嫌われます。(笑) (-_-#)/--==≡≡θ( ^^)
ではなく(^^;)、頑固性格であることを誇りに思ってください。
※ただし、何事も「程々が最良」ですので、頑固も「ほどほど」が宜しいかと思われます。(^^;)
あれっ? 『性格の話』が、いつの間にか『頑固の話』になっちゃいましたね。(汗笑)
コラムと云うことで、お許しください。(^^;)