自我の育成と、そのご褒美

ある友人と、携帯電話を使用しながらの運転についての話になりました。
私が「危ないと思うから絶対にしない」と云うと、
「絶対が付いちゃうんだ。凄げぇよなぁ・・・」と、半分疑うように。(笑)

いや、もちろん、絶対は絶対ですが、正直云うと「使いたいなぁ」という誘惑は、一日に何度もあります。(^^;)

約束に遅れそうになったときなど、使えたらとても便利ですからね。
って、いつも約束に遅れているわけではないですけどね。(謎汗笑)

でもとにかく、誘惑(煩悩)に負けず頑張っているわけです。(^-^;


さて、なぜそんな話を?と思われたかも知れませんが、実はそうした「誘惑に負けずに頑張る」ことも、立派な自我育成法なのです。

「いいぢゃん、いいぢゃん。誰も見てないし、やっちゃえよ~♪Ψ(`▽´)Ψ」
と云う心の中に棲む悪魔(別名、エス)のささやきに負けず、「いや、ここは真面目にガンバルんだ」と、屈しない気持ち。



つまり自我を育てるとは、自分勝手をしたい気持ちを抑え、我慢を身に付けて行くこと、に他ならないのです。

社会的なルールやマナーもそうですが、仕事や勉強などもそうですね。
とにかく自分自身の心の中には「楽しちゃおうぜ~」、「ズルしちゃおうぜ~」の誘惑が一杯あるわけですが、気持ちの芯がシッカリしていないと、ついズルズルと「ま、いっか」になってしまいます。

もちろん、それでも生きて行けなくもないのですが、そうした毎日ですと、満たされない気持ちや、罪悪感などで、いつもモヤモヤと晴れない気持ちになったり、「これでいいんだ」という自信を持つことが難しく不安定になります。

人間はやはり、「これなら社会に参加して充分に生きて行かれる」と云う実感が持てて初めて心も安定する生き物だからなのです。

そして、先ほど述べました、
『自分勝手をしたい気持ちを抑え、我慢を身に付けて行く』と云う自我の育成によって、心の安定のほかに、もっと素晴らしいプレゼントが用意されています。

辛い思いを乗り越えて頑張るわけですから、ご褒美が欲しいですものね。(^m^)

で、それは何かと云いますと、自信です。

もちろん、自信が持てるから心の安定がはかれるわけで、その二つは重複する事柄なのですが、私たちにとって自信は、それとは違う格別の勲章であり、生きて行く為のエネルギーになりますから、きっと大満足なプレゼントになると思います。(*^-^)

ではなぜ、気持ちを抑えることや、我慢(耐えること)が自信に結びつくのか、です。
   
我慢や抑える・・・これを別の云い方にすると、『自制』があります。
自制とは、文字通り『自らを制すること』。

つまり、無意識(エス)に実権を握らせ、やりたい放題を許すのではなく、自我が理性によって自分をコントロールすること、です。

この自制が、自我の成長と同時に、「自分を制している」と云う事の自信になる、と云うわけです。


自信・・・

たとえば、いつも衝動に流され、やりたい放題の人は、人物的には面白いかも知れませんが、何かを任せられる人か?と云う意味では(社会的に)信頼を得ることは難しいですよね。
そしてそれは、自分自身の心の中でも、同じです。

いつも衝動的で、自制のきかない自我では、心は常に不安に脅かされることになり、そんな不安定な自我(自分自身)を信頼することなど出来ない、、、

つまり、いつまでも自分を信じることの自信を持つことができないわけです。

自信と云うと、物事に対して「できた」、「合格した」などの表面的な結果から生まれるように思われがちですが、実はそうではありません。
そうしたものは、単なる成果主義の誤った自信、中身の無い自信とすら云い切っても過言ではないと思います。

厳しい受験戦争に勝ち抜いても、まだ自信が持てずに苦しんでいる人たちの多いことが、それを物語っていますよね。

そしてそれは、オリンピックなどで活躍するアスリートたちを見ても分かると思います。
彼らは、メダルを獲得したから自信になるのではなく、辛い練習・・・すなわち「もう、やめようか」と、くじけそうになる自分との闘いに勝ったからこそ、
喜び、涙もし、「また頑張ろう、きっと頑張れる」と云う自信になっているのだと思います。

そうした一流のアスリートたちと並べ書くのは、どうかな・・・と云う気もしますが(^^;)私自身も野球と云うスポーツをしていましたが、その経験談から云いますと、、、
どんなに負けても、負け続けても(泣笑)、自分が「精一杯、頑張った」と思えれば、悔しくなかったですし、「次も頑張れる」という自信がありました。

単なる「おバカ」と云う話もありますけどね。(^^;)
まあ、でも自信って、そんなものだと思うのです。

ですから、また一流選手の話に戻りますが、
引退を決める人たちがよく「もう燃え尽きました」と云う意味の言葉を口にしますね。
それは大舞台で勝つ自信がない、と云うことよりも、
もう自分自身と納得の行く闘いができなくなった。それくらい燃え尽きた、という意味に聞こえるのです。

もちろん、その人が獲得した自信は、消えることはなく、新しい人生においてもやり抜ぬく力として、いつまでも燃え続けるはずです。

それくらい自信とは、私たちにとってメダルより重い、格別な勲章なのですよね。(^^)


と、かなり話が横道に、そして長くなってしまいました。(^-^;

以上が、私の精神分析学から感じた、自我の成長と、自信についての考え方です。
とっ散らかってしまいましたので、まとめますと、

自らを制することの自制が、自我の成長に繋がる。

そして、自分を制している、という実感が自信に繋がる。 です。


誤解のないように繰り返し申しあげておきたいのですが、完全、完璧な自制のできることが、自我の成長や自信と云うわけではありません。

完璧、完全なんてあり得ないですし、そういう意味では人間は、常に発展途上的に誘惑(煩悩)や失敗と闘っているわけですから、投げやりにならず、流されず、「誘惑や失敗に負けずに頑張ろう」という思いと、それを実行すること自体の『ing』が自我の成長であり、(どんな小さな達成でも)その時々の達成こそが自信に繋がるものなのです。

(センテンスも考えず一気に書いてしまい、すみません(^^:))

とにかく、自我の成長や、自信は、日々の積み重ねです。

「これを頑張ってみよう」と思ったら、焦らず、のんびりで良いと思うのです。

流されるままに、「自分はダメな奴だなぁ(--;)」と思う毎日よりも、コツコツと小さな努力を積み重ねるだけで、「自分も、まんざらではないな(^^)」と大きな自信を手にすることができるのですから、そのほうが、何十倍も何百倍も、素晴らしいと思いませんか。(^^)

 

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このコンテンツは2006年に作成され2015年に再編集
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