現在では神経症という名称はほとんど使われず、WHO(世界保健機関)の定める分類によって、○○障害と呼ばれるようになり、同時に以前は大ざっぱな分類であった症名も、いまでは細分化され、(聞き覚えのない名称も含めると)かつての数十倍ほどに神経症は増えています。(^^:
もちろん、社会構造や人々の生活様式も変化してきたことで、神経症になりやすい環境が増えたことは確かだと思いますが、だからといって、症状が増えたかというと疑問です。
いくら世の中がどう変わっても、人間の構造そのものは変化していないはずですし、精神分析学的にみれば、いくらいろいろな種類の症状があっても、神経症はどれも「抑圧された固着への退行」が原因ですから、(そうした見地からすれば)昨今の症名の氾濫も、「医学の世界は進歩しています」という誇示だけで、百害あって一利なしとさえ思えます。
現に私のところにも「不安障害と適応障害とパニック障害があります、治るのでしょうか?」と、不安一杯な様子で相談にいらっしゃる方がおられます。
内蔵の疾患や怪我の診断と違い、神経症の場合、そのときの患者さんの言葉(症状の訴え)だけが(診断の)頼りですし、これだけ症名の選択肢が増えてしまえば医師によって診断が異なってしまうのも無理からぬ話・・・しかしその結果として、
「あっちの医者では○○障害といわれたが、こっちの医者では××障害といわれた」
と、ひとりの人がいくつもの病名を持つようになってしまい、患者さんの混乱を招いています。
たしかに、そんなにたくさんの症名をもらってしまったら、誰だって不安と落胆になりますよね。。
さて話が大きく横道になってしまいましたが、ここでは上記の理由から神経症の古典的な種類を、昔ながらの名称によって、いくつか取り上げ、その成り立ちをみて行きたいと思います。
乱暴な云い方に聞こえるかも知れませんが、神経症の場合、ご自分が「どの症例タイプに近いか」くらいの捉え方で良いのではないか思います。
≪精神神経症≫
【恐怖症】
通常では恐怖の対象にならない物事や状況を極度に恐れる状態を恐怖症と云います。
高所、閉所、先端、乗り物、疾病、対人、赤面、醜面・・・と、症状ごとに名前がついてますが、仕組みは同じですので、個々の説明は省略します。
この恐怖症は、もっとも原始的な神経症と云われています。
その理由は、恐怖症の恐怖症状は、その根底に(不安(2)で述べた)幼児の内部不安(不安になる自分が不安)が関係し、ほとんどの幼児がこの症状と同じ状態(恐怖症状)を経験していると云うのです。
つまり神経症の症状としてではなく、成長過程に当然起こりうるものとして、私たちはこの恐怖症状を持っていたわけです。そして、ほとんどの場合、その後の成長過程で自然に消失するのですが、固着が強いと(神経症の)症状として残る為に『原始的な』と呼ばれるわけです。
恐怖症は特定の対象に対してのみ極度の恐怖心を持ち、それ以外では恐怖を感じない、という特徴がありますが、「いつ対象に遭うか分からない」という不安は常にあります。
そして、この恐怖症には後述の強迫神経症と同様の強迫観念と、強迫行動によって症状が起こる為、強迫神経症の同種として考える学派も少なくありません。
強迫観念と強迫行動については後述します。
原因は、男根期で抑圧(性的抑圧)されたものが、その対象になると云われています。
欲求の充足を阻止され行き場を失ったリビドーが、神経症的不安となって意識に登るわけですが、その不安がある対象に対する恐怖と云う形に姿を置き換えられて(変えて)現れます。
もちろん、このときのある対象も「手当たり次第(何でも良い)」と云うわけではなく、象徴的なもの・・・つまり、固着に関連したものが選ばれるわけです。
ただし、乗り物に怖くて乗れないと云って、単純に「幼少期に酔った経験があるから」と云うようなものではなく(詳しい説明は省略しますが)、抑圧された性的願望などが変形して「乗り物に乗ること」への恐怖となって現れるわけです。
ちょっと分かりづらいかも知れませんね。(^^;)では、たとえば・・・
人間には「怖い、怖い」と思うものほど見たくなる怖いもの見たさってありますよね。
それと同じで、性的抑圧が強いと云うことは、それだけ性的なものに飛びつきたい願望が強いわけで、そこにもの凄い葛藤が生じます。
そこで象徴(願望の身代わり)として登場するのが(ここでは)乗り物ですが、乗り物は走り出すと簡単には停められない・・・
つまり、(乗り物に乗ってしまうと)自分の性的欲求が「暴走してしまうのではないか」と恐れるあまり、乗り物に乗れなくなる、と考えられるわけです。
つまり、その対象を避けることで、自分自身を守ろうとしているわけですね。
【転換ヒステリー】
症状が不安や恐怖などではなく、身体症状となって現れるものを転換(てんかん)ヒステリーと云います。
主に運動知覚領域に属するもの・・・四肢の麻痺や失神、知覚や視覚、記憶等の消失などがありますが、
頻尿、嘔吐や、呼吸困難、動悸などの自律神経領域に症状が及ぶこともあります。
一般に転換ヒステリー単独のとき(他の神経症が併発していないとき)には、身体症状のみで、あの神経症独特な(かげろうの立つようなモヤモヤとした)不安は感じないと云われています。
しかし恐怖症と同様に「いつ症状に遭うか分からない」という予期不安は常に感じるようになります。
この転換ヒステリーも(恐怖症と同じく)男根期での固着が原因理由で、抑圧された性的なものが麻痺などの身体症状に置き換えられ発症したものであると云われています。
麻痺する箇所なども、やはり固着に関連すること(象徴するもの)であり、恐怖症と同様に身体症状を起こすことによって、自分を守ろうとしているわけです。
たとえば、行為を拒絶する為に身体の一部が麻痺したり、見ること、聞くことを避ける為に視覚や聴力を麻痺させたり、忘れたいと思うために記憶を遮断するなどがあります。
しかしもちろん、身体的にはどこにも異常はなく、一時的に機能を失わせるのが、この転換ヒステリーの特徴です。
恐怖症とあわせて、その発症を簡単に図示すると下図のようになります。
余談ながら、同じヒステリーと云う言葉を使った、ヒステリー性格というものがあります。
感情の昂揚が激しくて「あの人はヒステリックだ」と云われるタイプの人たちですね。
このヒステリー性格も男根期の性的抑圧が原因とされ、感情の昂揚のほか、大袈裟な行動、性的なことへの強い関心や行動を示すという特徴があります。
転換ヒステリーになる人は、少なからずこのヒステリー性格を持っていると云われています。
※ちなみに、転換ヒステリーは症状に違和感を感じる自我疎外性であるのに対して、ヒステリー性格は自覚しない自我親和性と云われています。
しかし、転換ヒステリーは、そもそも性的抑圧が強すぎて神経症になったわけで、性的な強い関心は押え込まれているはずだし、感情を激しく現わそうにも、その身体が麻痺しちゃってるわけですよね。
対して、ヒステリー性格は、感情表現や行動がおおっぴらで、性的関心に関しては、それを隠さず、むしろ露骨(卑猥)なところがある・・・
となると、とても両極端すぎて、どうしてこの2つの性質が似てると云えるの?
似てるのは名前だけじゃないの? と疑問に感じますよね。
ですが、両者がまったく正反対の状態であるという部分に着目してみると、なんとなく納得できませんか?
つまり、ヒステリー性格は抑圧されたものが、爆発的に暴走してしまう性質。
しかし、いつもいつも爆発暴走されたのでは、身が持たないので、その暴走を食い止めようと自分をガンジガラメに縛ってしまった状態が転換ヒステリーで、
ちょっと縛りがキツ過ぎて「麻痺してしまった」と考えれば、どうでしょう。
自我親和性であるヒステリー性格は、自分の行動を抑止することが難しいですから、放置すれば、どんどんと暴走して、ある意味「何をやり出すか分からない」わけです。
それよりは自我疎外性の転換ヒステリーにして動けなくしてしまったほうが、身の危険が少なくて済む、と自我は判断するのかも知れません。
つまり、多少の過剰防衛はあったとしても、自我としては少しでもリスクの少ないほうで、自分を守ろうとしているわけです。
話が長くなりました。
【強迫神経症】
ある特定のことを「せずにはいられず」に、行為を反復してしまう症状を強迫神経症と云います。
その行為をしている間は、神経症的な不安に駆られることはありません。
行為自体、意識されたものですから、自分自身でも「無意味である」「ばかばかしい」と感じ「やめたい」と思うのですが、他方でやめることへの不安も強い為に、やめることができません。
そこには、考えまいとするのに考えずにいられない強迫観念と、「やるまい」とするのにやってしまうと云う強迫行為の、二つの作用が働いている、と云われています。
※行為自体が意識(認識)されなかったり、「(この行為は)外部によってやらされている」と本人が強く信じる場合、強迫神経症ではなく、統合失調症などの精神疾患を疑うことになります。
それは他の神経症などでも同じです。
また、これは余談ですが、
「これは非現実的すぎることだから、考えるのはよそう」と思っても、どうしても頭から離れず考えてしまう。(強迫観念的な部分)
「これは不安に思ったり、怖がったりする対象ではない」とは分かっていても、どうしても不安や恐怖に襲われ行為をしてしまう。(強迫行為的な部分)
この強迫部分は、おおむねどの神経症(神経症全体)に見られる共通した作用ですが、強迫神経症は、この二つの(強迫)作用と、自我の分裂が、もっとも分かりやすく現れた神経症である、と云えます。
さて、強迫神経症の原因ですが、
これも恐怖症などと同じ男根期の固着(への退行)なのですが、この神経症の特徴的なところは、自我やリビドーの一部が、男根期から離れ肛門期の固着へ退行することです。
その経緯など詳しい理由は省略しますが、潜伏期以降の超自我の強化が厳しくなると、自我やリビドーは肛門期にまで退行せざるえない、というのが理由のようです。
つまり、それだけ(性欲に対する)超自我の関与(圧力)が強力である、ということですね。
したがってそこに超自我による「~せねばならない」の作用が働き、「せずにはいられない」という強力な強迫行動(症状)が生まれる、と云うわけです。
※潜伏期(小学生)以降、超自我の成長が著しく肥大化すれば、強迫行動、あるいは強迫神経症の症状が現れることがあります。
ここで云う超自我の成長が著しく肥大化すればとは、第二部で述べましたように、しつけなどによる親や、大人たちの支配が強くなれば肥大化してしまう可能性がある・・・という意味です。
そして思春期以降も、その肥大化した超自我によって、正常な性欲が果たせなくなる、正常な精神活動ができなくなります。
つまり超自我が肥大化してしまうと、それだけ自我はその力に圧倒され耐え切れなくなり退行してしまう、と考えて頂ければと思います。
次項『神経症の種類(2)』では、現実神経症と、その他の種類について述べさせて頂きます。
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