心の全体図(1) 意識・前意識・無意識

さて、第一部は、精神分析学の柱でもある、無意識と
心の働きについてです。
 
  
フロイドは「人間の心は、こんなふうだよ」と、
下の図のような説明をしています。

心を海に浮かぶ物体、氷山と考えてください。
水色の線が海面ですが、私たちがふだん感じたり、
思ったりする部分は、意識と書いてある水の上の
ちょっとした部分だけです。 

ちょっと驚きですよね。

もっと大きな部分で、意識を働かせているイメージ
があったのに。

もちろん水面下の前意識、無意識の部分でも、
いろいろな精神活動は行われていますが、私たちは、

その活動を直接感じることはできません。


そして私たちは、何かを考えたり行動したりするとき、
「すべて自分が承知してやっている」
と思っていますが、実はその大部分が無意識的だと
云うのです。

つまり意思とは関係なく身体が勝手に行動している
・・・というわけで、これも驚きですよね。


でも考えてみると、たとえば食事のときなんかでも、
私たちは考えているようで、実は無造作に箸を動かし
ていますよね。
そして、
「お肉ばかりじゃなく、野菜も食べないと身体に悪い
よ」と注意されて「あ、そうか。そういゃぁ、たしか
に肉ばかり食べてました(^^;)えへへ」なんて話は、
誰にでも経験があると思います。

そうしたときは意識が働いておらず、無意識的に
「そうしている」わけです。

ぼんやり行動しているときなどは、ほとんどコレ
『無意識的』と思って頂いて良いです。(^^;)



そして、無意識の働きは、まだまだあります。

私たちは日常を「こうしたいから、こうする」、
「こうすべきだから、こうする」と、
意識を働かせて活動していますよね?
つまり、自分の意思で動いているワケです。

ぼんやり歩いていたら、自動車にハネラレてしまい
ますからね。(^^;)

しかし、そうした場合での自分の意思、こうしたいか
ら、こうするという行動も、
実は無意識から出ているエネルギーなのです。

つまり、詳しくは後で書きますが、無意識には私たち
を動かすエネルギーが詰まっていて、意識は、その
無意識から発せられたエネルギー(衝動)を、
承認するか却下するかを決めているだけなのです。

ちょっと分かりづらいと思うので、とりあえず、
行動は、無意識が行い
決定は、意識が行う
と、ここでは覚えてください。

ですから、とっさに起こる無意識の衝動に、意識の
対応(チェックと承認)が間に合わなかった場合、
その衝動を制止することができず、とんでもない
結果になってしまうことがあるわけです。(^^;)

気持ち(意識)がボーっとしていたり、他のことに
気を取られているときなど、自分のとった言動に
「あ!しまった(>_<)」
と後悔したこと、ありませんか?

無意識はいつもアクティブですが、意識は常に緊張し
気持ちを張り詰めているわけではないので、結構、
無意識の暴走(衝動)を、不覚にも見過ごしてしまう
ことがあるんですよね。(^^:困ったことに。(苦笑)


・・・と、ちょっと難しい、かもですね。(^o^;
では、たとえば・・・

無意識的に肉ばかりを食べているとします。
意識は、それを『許可(OK)』と思えば、黙って
それを承認して、その行動を許します。

つまり、承認したと云うことは、意識がそれを
「自分の意思でやっている」
と認めたことになり、
「どうして肉ばかり食べるの?」
と問われた場合にも
「好きだから。ちゃんと分かってるから大丈夫だよ」
と相手に、それが自分の意思であることを伝えること
ができるわけです。

反対に意識が、それを『却下(NG)』と判断すれば、
その行為を制止して、行為に改めさせます。

つまり、自分としてはあまり好きではないけれど、
「やっぱり身体のことも考えなきゃね」
と、自分の意思として、たとえイヤイヤでも(苦笑)
健康に良いとされる食べ方に切り替えるわけです。

しかし、無意識は油断のできないヤツで、ちょっと
油断して目(意識)を離した隙に、欲望の赴くまま
好き勝手なことを始めてしまいます。ですから、
「あれ?肉ばかり食べるのはNGのはずだったのに、
いつの間にか、また肉ばかり・・・」
と、自分で自分の行動にビックリするようなことを、
してくれるので要注意、と云うワケなのです。(~_~;)


つまり、
無意識は幼いヤンチャ坊主で、意識はそれを見守り、
ときには監視する保護者のような関係ですね。

ただし、意識は無意識の行動を厳しく監視し、ときに
は制止しながらも、本当は無意識の行動を許したい
気持ちもあります。だから、つい甘くなってしまう
ことも・・・(^^:詳しくは後々に。


ともあれ、私たちの行動のほとんどは無意識的であり、
無意識には、私たちを突き動かすエネルギー(精神
エネルギー)が詰まっている、と云うことを、ここで
は覚えておいてください。


以上が、意識と無意識の関係です。



そして最後は、前意識(ぜんいしき)です。

「意識と無意識は分かったけど、ぢゃあ、前意識と
やらは何をする場所なの?」ですよね。(^^;)


前述の通り、無意識はとてもヤンチャ坊主です。
そしてこれは次章で詳しく書きますが、
そのヤンチャな行動のエネルギー源になっているもの
は、様々な理由を持った欲望たちなのです。

しかし、どんな理由があるにせよ、欲望の赴くままに
行動していたら大変なことになりますよね?(^^:

ですがヤンチャ坊主の無意識に「だからね・・」と
説得を試みても「はい、分かりました」なんて云う
わけありません。(汗笑)


ともあれ、
「社会性なんて関係ないよ」の無意識の行動を
放置してしまうと
「何をやらかしてくれるかわからない」
と云う怖さがあります。

そこで、無意識にあるエネルギーが、いきなり出て
来ないようにフィルターのような役割りをしている
場所が、前意識です。


これもあとで書きますが、無意識にあるエネルギーは
相当に強い力を持っています。
そして、何とか意識に出て「欲求を満たそう」と、
日々もがいています。

ですが前述の通り、社会性がありませんから、意識
としては、そのまま出てくることを簡単に許可する
わけにはいきません。

いわば、意識がシャバ(世間、世の中)なら、無意識
は社会性のないエネルギーを閉じ込めておく牢獄
みたいなものです。(^^;)


しかし、「いけないよ~」と云われると、
「なおさら、やりたい」と思うのが人情というもの
で、彼ら、無意識に閉じ込められたモノたちも
「何とか脱獄してやろう」と、いろいろ画策します。

つまり、牢獄の番人を誤魔化すために、変装し
姿カタチを変えて、海面上の意識を目指すのです。
※ここは結構重要で、次々章などで説明します。

しかし、心全体としては、牢獄に居るものに出てこら
れては都合が悪いので、それを防ごうとします。
心の中では、いつもそうした攻防戦があるわけです。(^^:


でも、
「まあ、すべて防ぐことは不可能だし、出てきたい
気持ちも分かるから・・・」
と、その妥協案として
「意識までは困るけど、許可したものだけ、ここ
(前意識)までなら来てもいいよ」
と設置された部屋が前意識と考えてください。

つまり、無意識にあるモノが捕われ人とするなら、
前意識に出てこられるのは、仮出獄を許された人
ですね。


牢獄の番人(監視所)は、無意識と前意識の間と、
前意識と意識の間の2ヶ所にあって、
『出てほしくないモノ』が脱獄しないよう監視して
いますが、これを検閲作用と云います。


そして、その前意識にあるモノは、
普段は意識されていないけれど、
ふとした拍子に思い出すものや、

「ちょっと待ってね、いま思い出すから」
と、いろいろな糸をたぐり寄せれば
思い出せるものたちです。


先ほどの全体図でも前意識は、海面に見え隠れしてい
ましたよね。
つまり、時々、そして、ちょっとだけ意識できるもの
か、前意識というわけです。



人間には意識と無意識の世界がある・・・なんとな
くでもイメージして頂けましたでしょうか。

次章ではもう少し無意識について、に触れてみたい
と思います。
   



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