前章まで、無意識を中心にした
心のおおよそ(全体図)をみてきました。
私たちの心には、自分で意識できる部分と、
まったく意識できない部分がある、と云う話でした。
そして、その心の中では、意識と無意識の間で忙しく
立ち働くものたちがいます。そこでこの章からは、
心の中で働くスタッフたちにスポットを当てて行き
たいと思います。
それではさっそく、
スタッフたちの紹介から始めます。(*^^)
【エス】
一番手は、下から顔をのぞかせているエス
(Es。ラテン語でイド id )です。
そこは、欲動(本能)エネルギーの貯蔵所とも云われ
る場所で、欲動(本能)などの、生まれながらに持つ
エネルギーが蓄えられています。
さらに前々章で述べました、抑圧された欲求エネルギ
ーや、他の様々なエネルギーが流れ込んで、それらの
ものがエスという釜の中でグツグツと沸き立っている
わけです。
フロイドは、このエスを
渾沌、沸き立つ興奮に充ちた釜と例えています。
なるほど、エスの位置する場所は、釜の焚き口のよう
ですよね。。って私が小細工したのですが。(汗笑)
ですが、まあ、こんなイメージです。(^^:
そして、そこは、私たち人間の中で、
一番凄まじいパワーのある場所と云っても
過言ではありません。
尚、上記にあげたエネルギー
(人間が持つすべてのエネルギー)のことを
精神分析学ではリビドー
(あるいはリビドーエネルギー)と呼びます。
(詳しくは第三部の神経症に書きます)
そして、このエスという釜から噴き出るリビドーたち
が、私たちを動かす原動力、、、
つまり、ものを考えたり、行動したりするときのエネ
ルギーの源泉になるわけですが、、
しかし、
温泉の源泉と同じで、とても熱く、中身も濃いので、
すべてそのまま外界(自分の外)へ出てしまうと、
大変なことになります。
それは、これまでの章にも述べました抑圧などの
「外界に出て欲しくない」エネルギーだからですが、
それも含めて、このエスから発せられるものは、
不快を避け、ひたすら快楽を求める快楽原則に
従っており、文字通り「快楽だけ」で動こうとします 。
すると、一体どうなるでしょう?
赤ちゃんを思い浮かべて頂くと分かりやすいと思いま
すが、彼らには「これをしたらマズイ」などという
道徳(倫理)もなければ、
「ここは遠慮しておこうか」
などという配慮もなく、ただひたすら心地よい快楽を
求めてきますよね。
もちろん赤ちゃんなら、それで良いわけですが、私た
ちのような大人が、リビドーのおもむくままに快楽だ
けを求めてしまったら、大変なことになります。
なので、そうならないために、これらか紹介します
自我や超自我たちがフィルターのような役割をして、
エスから送り出されるリビドーを薄めたり、ときには
外界(無意識から意識)に飛び出すことを制止したり
します。
もちろん中には、抑えきれずストレートに近い状態で
出てきてしまうこともありますが・・・(^^:
そこで、日常的にそうならないように、他の心のスタ
ッフたち(自我や超自我)の働きが重要になってくる
・・と云うわけです。
【超自我】
次は、左横に位置する超自我
(上位自我 superego スーパーエゴ)です
。
この超自我はエスとは正反対の、とても倫理を重んじ
る優等生で、良心と呼ばれる部分です。
つまり、やましさや、罪悪感などは、この超自我の
作用と云ってよいわけですが、ちょっと「訳あり」の
良心です。(その詳しい事情は次の章で^^;)
超自我は、良心の塊(固まり)のような存在ですが、
優等生にありがちな融通のきかないところがあり、
この良心(超自我)が強すぎると、しばしば自分自身
を苦しめたり、神経症の要因になったりします。
【自我】
最後は、中央に位置する自我(ego)です。
前の章で、無意識は幼いヤンチャ坊主で、意識は
それを見守る保護者と書きましたが、それを少し書き
換えると
『エスは幼いヤンチャ坊主で、
自我はそれを見守る保護者』
と云う関係になります。
つまりエスだけでは、人間生活(社会生活)を営めな
いので、自我という保護者(お守役)を、心の中に
つくったわけです。
自我は、超自我ほど優等生ではありませんが、エスの
快楽原則とは正反対の現実原則で動き、心全体の
調整(まとめ)役をします。
※先ほどエスのときに書きました
エスの快楽原則
不快を避け、ひたすら快楽を求めようとする
そしてこの
自我の現実原則
たとえ不快であっても外界の現実に従おうとする
この2つは重要ですので、
ぜひ覚えておいてください。^^ゞ
もちろん自我イチバンの役割りは、エスの持つ欲望を
社会の中にマッチさせながら叶えていくことです。
しかし、これがなかなか、大変なのですけどね。
(^^;)詳しくは、また後ほど。
そして自我は心全体の代表とも云える存在で、
「私」という外界での顔を持っています。
つまり、
私たちが、自分を自分と意識(認識)できる部分が
自我、と云うわけですね。
しかし「私」を感じる部分でありながら意外なことに、
その多くは無意識的です。
また、自我は前々章(心の全体図)に書きました
牢屋の番人(検閲作用)の役割もしています。
超自我が検閲作用をしているという説もありますが、
超自我が担当しているのは、夢の検閲作用で、
両者は役割りを分担していると考えられています。
ともあれ、自我は、ワガママなエスや、気むずかしい
超自我を、なだめたり、すかしたり、
あるいは対立しがちなエスと超自我とのケンカの仲裁
に入ったりしながら、外界からの要求(社会性など)
に適応しようと頑張ります。
そして、エスの欲望を、なんとか叶えようとします。
いわば自我は、心の内部と外界を繋ぐ外交官みたい
なものですね。
しかし、まとめ役、外交官・・・板ばさみが多くて、
なんとなく大変そうですが、最終的には
『自分のいいようにしてしまう』
というチャッカリ屋でもあります。(^^;)
さて、心のスタッフの紹介は以上です。
彼らが持つ、それぞれの性質。
なんとなくイメージして頂けましたでしょうか。
この章では、エス、超自我、自我の順に、
そして右上の図では、
まとめ役の長男、優等生な次男、不良の末っ子と、
三者の役割りと関係性を表現してみましたが、
本当の誕生の順番は、別です。(^^;)
次章では、その誕生の順番を正しく追いながら、
心の成り立ちを書いてみたいと思います。
さらに心のことが、鮮明に見えてくるはずです。(^^)
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