性格形成(5)潜伏期




潜伏期に入ると、男根期に見られた性への意識も一段落して落ち着きます。
もちろんそれは、性欲活動が途絶えたわけではなく、休止状態ですね。

これは生殖の始まる(生殖能力が備わる)時期が、他の動物に比べて遅い(かなり先に持ち越される)という理由があります。

しかし人間はとても忙しい動物で(笑)、この期間に人間が人間らしく生きる為の学習をしなければなりません。
それは何かと云いますと、やさしさや思いやりなどの情緒であったり、社会生活には欠かすことのできない道徳などの文化的素養です。

もちろん、この幼い時期の短期間に、そのすべてが身に付くわけではありませんが、その基礎固めをする時期と考えてください。

この時期をどのように過ごしたか、あるいは、どのような人に出会ったかによって、先々の生き方(人生観)も変わってくると云っても過言ではないと思います。

では何故、この時期がそうした学習に適しているのかと云いますと、自我の成長が著しくなる事と、男根期に目覚めた超自我がスタンバイ状態になっている事が
あげられると思います。つまり、心が伸び盛りで、しかも、もの凄い吸収力で、心に肉付けをして行くわけです。

しかしそれらの原動力も、やはり性のエネルギーです。
性のエネルギーを含めた、さまざま方向へ向かって放たれる心のエネルギーのことをリビドー(心的エネルギー)と云うのですが、そのリビドーが性器への関心や、異性親への性的関心から離れ、教師や学友などの新たな対象に向けられるのが、潜伏期の特徴です。

つまり、彼らの世界は親、家族から、さらに地域へと広がり、そこで他人との関わり方や、情緒的なことや道徳など学びとって行くわけですね。

もちろん、そうは云っても、親の役割が終わったわけではありません。
むしろ、これからが大変です。(^^;)

たとえば、彼らは今まで親子や家族という狭い世界しか知りませんでした。
しかし、学校内や友達たちとの関係の中で、いままで「当たり前」と思っていた彼らの常識が
「あれ?おかしいな?」となって、駆け足で「おかあさ~ん」と戻ってくるわけです。(苦笑)

つまり、いろいろな疑問や矛盾が、彼らを質問魔にするのですね。(^^;)

そこで親の真価が問われます。(^^;)(^^;)

なんたって彼らの伸びる芽を摘んでしまうか、さらに伸ばしてあげられるか、の岐路ですからね。

なんて、脅かしたらいけませんね。そんなに難しいことではありません。もしここで、彼らの疑問に対して「そうだね。お母さんもオマエくらいのときに、同じこと思ったかも」と云ってあげられたなら、子供はさしたる答えが出なくても満足します。

しかし、「そんなこと、どうでもいいの。それより宿題したの?」なんて答えられたら、    
「いけない質問をしたのかな?」と、自分の気持ちに罪悪感を覚え封印してしまいますよね。

やはりどんなことでも「なぜ?」という疑問は、彼らにとって成長の芽なのでやさしく見守って大切にしてあげてください。


また、たとえば、子供たちは新しい世界で、嫌な思いをして帰宅することもあると思います。
そうでなくても、心身ともに疲れて帰ってきます。

そうしたときに、どう迎えられたか、その疲れをどう癒されたか、が情緒を育てるには、とても大切だと思います。

やさしさや、思いやりは、「困っている人がいたら、やさしくしてあげなさい」と言葉で教えられるものではなく、親が身をもって(自身の態度で)示してあげるものだと思いますし、親に包まれるということ自体が、安心感とともに、彼らに「やさしさや、思いやりとは何か」を感じ取れる、一番大切なひとときのような気がします。

そして子供たちは元気を取り戻し、安心して、また外の世界へと飛び出して行きます。

彼らは好奇心旺盛で、しかもとても勤勉です。
しかし、そんな姿を見て、「勉強、勉強」とけしかけてしまうのは、どうかな?と思います。

まず、そうした姿の半分以上は「親の喜ぶ顔がみたいから」なのです。

「なら、いいじゃない。問題ない。もっと喜ばせてよ」ですか?(^^;)

もちろん、何でも旺盛に吸収のできる時期ですから、そうやって学力を伸ばすのも良いかも知れません。

しかし、親のためとは云っても「自分からやろう」と思う気持ちと、「やりなさい」と云われてやることでは、意味が違ってしまいますよね。

誰だって強制されてやることは、いずれ嫌になって恨みますよね。子供だって同じなのです。(^^;)

なので親も、自分たちが期待して、やって欲しいと云えば、嫌とは云えないのが子供なのだ、ということを肝に銘じておくべきと思うのです。

しかし、何故ここでそんな話をなのか、と云いますと、この時期から勉強をみっちりやって来た子が、大学入試が終わった途端に、燃え尽きたように うつになったり、先の見通しが立たなくなって途方に暮れてしまうことが多いのです。

中には、学童期や中学になった早々に燃え尽き挫折したり、神経症を発症させたり。。
そういう子や、人たちを多くみていますので、んーっ、これは・・・と思うわけです。

もちろんその理由は、そのときの勉強うんぬんではなく、もっと違うところにあるのでしょう。
おそらくそれは、勉強勉強と、確かな人生目的もなく勉強に明け暮れて燃え尽きた、と云うより、
子供の為に・・と知らず知らずに、親子が支配関係になってしまった弊害なのだろうと思います。

それだけ彼らは、親を喜ばせたいという気持ちの裏側で、支配に対する不快を抑圧しているのです。

ある意味、燃え尽きてしまうのも、その支配に対する復讐と考えて良いでしょう。
つまり、親が一番望まないこと(困ること)をすることで、その気持ちを伝えようとするわけです。

もちろんそれは彼らにしても、(無意識から起こることであり)わけの分からぬ辛いことなのですけどね。


そして、何故そんなことを云うのか、のもう一つの理由は、人間の性質と、心と脳の発達段階を、もっと上手く活かすべきではないか、と云うことです。

それはどういう意味かと云いますと、
幼い脳は、たしかに吸収力もよく、面白いように何でも飲み込んで行くのですが、人間はやはり「オモシロイ」と興味を持ったことでないと、せっかく覚えたこともそこで寸断されて広がりを持ちません。

つまり、算数は算数、国語は国語、と云った感じの繋がりを持たない知識で終わってしまうわけですね。

まして快楽原則の塊から、ようやく少し脱したのが潜伏期ですから、少しでも辛い、面白くないと感じると、嫌気もさしますしね。(^^;)

そして脳にしても、いくら無限の許容量があるとは云っても、なんの柔軟体操も無しに、いきなりドンドン詰め込まれたらどうでしょう? 

どこかで、支障を来たしてしまうのではないでしょうか。ちょっと例えは違うかもしれませんが、
胃を摘出した人が機能を回復させる為には、いきなり詰め込んだりせず、少しずつ胃を広げて食べられる量を増やして行きますよね。

それと同じように、やはり準備段階を踏んで行くことが、脳にも必要なのでは、と思うのです。

ちょうど潜伏期は、好奇心に満ちた時期ですから、自然な流れでみれば、その好奇心だけで彼らの脳を満たし広げせけてあげる、のが理想かなと思います。

つまり、まず「なぜだろう?」、「どうしてだろう?」という疑問がたくさん蓄えられていれば、知りたい気持ちから自然と学ぶことが好きになる。。甘いでしょうか?
しかし本来、学び、勉強とは、そういうものではないかと思うわけです。

ですので、乱暴な云い方かも知れませんが、学童期(潜伏期)は、直接学力に結びつかなくても、そうした好奇心の備蓄だけの脳でも、良いのではないか、とすら思うのです。

もちろん理想論ばかりでは、幾多の受験を乗り越えることは難しいのかも知れません。
しかし、受験戦争と呼ばれるようになってから今日までの、疲れきって病んでゆく人たちの姿を多く私たちは見てきているはずです。

本当は人生を豊かにするはずの受験によって、二十歳以降の人生が燃え尽きてしまったようになる。
それが本末転倒に思えるのは私だけでしょうか。

と、ついつい熱く語ってしまいましたが・・・(^^;)すみません。

ここで申しあげたかったのは、脳を含めた心身を、自然の流れで育んであげるべきであり、それが一番人間にとって大切なことではないか、と云うことなのです。

いくら良い学校を出ても、社会に出て充分に働けるがどうかは別の話では、本人が苦しむことになりますよね。
そして順風に仕事に就けたとしても、心穏やかに暮らす為には、やはり安定した心(情緒)ということが後々に大きな助けになってきますし、よい人間関係を築くためには道徳心や、やさしさや思いやりといった情緒が大切になってきますよね。

そういった意味でも、この潜伏期の6年間は、大事に過ごして欲しいと思うのです。


さて、この時期は、まだ神経症などの、成人にみられる症状は、むしろ珍しいと思いますが、その代わりに、不自然なまばたきをしたり、首をかしげるような仕草のチック症状や、赤ちゃん言葉や、妙に甘えた態度などで、心の(助けて)サインを出してくる場合があります。

そんなときには、迷わず甘えさせてあげて、「何か無理をさせてはいないか?」のチェックを充分にしてあげることが大切かと思います。

なにしろ、この時期は、親への同一化も強く、そのぶん多くの葛藤を抱えていますので、親が気づいて対処してあげることが、のちのちの為にも必要ですからね。

 

 

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