別篇 無理はさせないで!

前項、『神経症の種類』を読んで頂いてお分かりのように神経症にとって男根期はとても重要な時期です。     
筆者である私も、12歳から32歳までの二十年間に、さまざまな症状を経験して来ましたので、この事にはとても関心を持っております。ある意味、精神分析学を学ぼうと思った動機も、「自分がなぜ発症したのか」の幼少期への興味だったかも知れません。

そうした私の経験や、クライアントさんたちとのお付き合いなどから気になることは、やはり親子間での支配関係という部分です。
もちろんここでの支配は、親が行う子への支配です。

社会生活に未熟な子供に、親が指導的であることは仕方が無いことなのですが、子供の為であるべき「教え導く」はずの言動が、いつの間にか「やりなさい」の命令に。
しかも親のわがまま、願望などが「オマエのため」と云う名の支配にすり替わっていることが少なくありません。

なぜ、そうした支配関係(力関係)が良くないか、の理由は改めて書くまでも無いと思いますが、「ああしなさい」「こうしなさい」の支配的な関係は、よくない固着を生みやすくなります。

どんなに幼い子供だって、頭を抑えられることは不本意なことですし、何よりも仮にそれが支配的や理不尽なことであっても、親の希望に従えない(叶えてあげられない)自分は「ダメな奴」と思ってしまうふしがあり、「できない自分」に対する自信喪失のような気持ちから心の傷を生んでしまうわけです。

とくに神経症の原因になりやすい男根期は、親子にとって落とし穴の多い時期かも知れません。
何もかもしてあげなければいけない時期も終わり、男根期は「とりあえず自分の事はできるし」で、親も何となく子育てが一段落してホッとしている頃だと思います。

そして何となく会話も成立するし、「分かったような事も云うし」なので、親としてもついつい親の身勝手が出やすくなるみたいです。(^^;)

でも、いくら分かったようなことを云っても、しょせんが4歳や5歳の子供です。
いや、4~5歳だからこその理想や、自分の世界がそこにあるはずで、ようやく自分なりの実現が叶いそうなところに、「ああしなさい」「それはダメ」「これをしなさい」をやられてしまったら、子供だって腐るし、やる気もなくなりますよね。(^-^;

たとえば、さきほど頭を抑えると述べましたが、親としては一応、子供の気持ちはたずねます。
「どうする? やる? やらない?」、あるいは「どうする? やる? やらない?」と。
でも、その答えを待つまでもなく、親は質問の時点で答えを決めてることが多いのです。
と云うより、親の都合のよい答えを(その口調や態度で)強要してしまっていることがほとんどです。苦笑

子供は第二部(男根期)で述べたような心の諸事情もあって、そうした親の意向(希望)を受け入れてしまいます。
もちろん親にしてみれば、事情はともかく、「子供がウンと云ったのだから」となるわけですが、
そこはやはり、親が子に与える影響力や、男根期の心の性質(子供心)を考慮して、気遣ってあげる必要があるのかも知れません。
そうでないと、結果的に頭を抑えたことになってしまうわけです。


さて、ここで私自身の体験談をお話させて頂きたいと思います。
私はとにかく保育園が大嫌いでした。←いきなりごめんなさい。(汗笑)

朝は起こされずに早起きして、機嫌よく食事もするのに、登園の時間になると途端にグズリだし、パート勤めの母親を毎朝のように困らせ、ついには怒らせていたことを昨日の事のように思い出します。

そして登園しても、とにかく脱走の常習犯で、毎日のように保母さんを困らせていました。
別に何が嫌だという具体的な理由は無かったのですが、とにかく集団生活が嫌で、、、
と、それは今でもそうかも知れません。当時の後遺症でしょうか。(^^;)(汗笑)

そして仕事柄、神経症を患っている方たちと多く接しているうちに、ある共通点に気づきました。
そうなのです。神経症の多くの人が、私と同じ幼稚園、保育園嫌いであり、似たような体験をしていたのです。

あるいは、幼稚園、保育園への通園は問題なかったけれど、やはりその時期に、自分の意に沿わないことを
強要されたり、理不尽な怒られ方をしたりして、良い思い出があまり無い・・・と云う方が多いのです。
     
私自身は末っ子ですし、親も何かを強要するような人たちでは無かったのですが、
事、保育園の登園に関しては、前述のように、毎朝のようにバトルを繰り広げておりました。(汗笑)

後年・・・私が最後の神経症を患っていた30代前半の頃・・・この話を母親と何度かしたのですが、彼女は
「人並みな集団生活を身に付けて欲しかった」と云います。

なるほど、親としては学校や社会に出ても困らないように・・・と、心配してくれていたわけです。
まあ、保育園児だった当時に、そんな説明をされても、理解することは出来なかったかも知れませんね。

しかしそのとき、もし保育園児の私の気持ちも考えて「そんなに保育園が嫌なんだね」と云ってくれたなら、私はそんなに深く傷つかずに済んだのかな・・・とも思います。

その話をすると「そうか・・・そうかも知れないね。それがアナタの病気の理由だとしたら、悪かったよ」
と云って、心底すまなそうに詫びてくれました。

もちろんそれが良かったのか分かりませんが、そのとき胸のツカエがスーッと降りた気持ちになり、それ以来、症状は出なくなりました。

それくらい、幼い心・・・退行して神経症になった男根期の私の心・・・は単純なんです。
いや、単純とは違いますね(^^;)、純粋なんですね。

そして純粋だからこそ、ちょっとした言葉や態度に、子供は傷つくのだ、と云うことを大人たちは理解しなくてはいけないのかも知れません。

親にしてみれば「これくらい」も、幼い子供にとっては、とても大きなことなのです。



ハンガリーの心理学者、ルドルフ・シュタイナーは、
「子供に知的な強制をしてはならない」と云っています。

それは、幼児の体内にあるエネルギーは、まず身体の成長に使うべきであり、それは後々の記憶力や思考力の土台になるので、まずは身体の成長を待つべきである。
と云う主張です。

もしこのとき、無理強いをしてしまうと、エネルギーの配分が上手く行かず、心身能力のバランスを崩してしまう事を、彼は云っているわけです。

私もそれには賛成で、前出の心の傷(固着)の意味も含めて、無理に保育園や幼稚園に通わせたり、習い事をさせることは、子供のそれ以降の成長にとって、あまり好ましくないのではないか、と感じています。

もちろん、保育園であれば、仕方のない親の都合もあると思います。
幼稚園や習い事にしても、ご両親の方針(考え方)もあると思います。
私はそれをすべて否定するつもりは無いのですが、少なくとも子供の気持ちを最大限に尊重したものであって欲しいと願っています。

別の云い方をするなら、「子供の為」と云うのであれば、子供の気持ちに立って、とことん悩み抜いてあげることが、望ましいですよね。

「無理はさせないであげて」と思う筆者です。


 【習い事について】
幼い子供は、いろいろなものに興味を持ちますね。
しかし、その興味は、とにかく醒めやすい、と云う特徴を忘れないことが大切だと思います。

大人の興味とは違い、一つの事に固執しないことによって、子供は多くのものを吸収し、自分の能力を広げて行くわけですからね。

けど、それを承知していても、やはり子供の移り気に、親は「いい加減にしなさい」と云いたくなっちゃうのですよね。(^^;)「アンタは一体、何がやりたいの?!」と。(笑)

でも子供にしてみたら、別にやりたい事を探しているわけではなく、ただ興味のままに動いているだけですから、親のそんな苛立ちや、問いかけなど分かるはずもないのです。(^^;)

そのへんのギャップ(捉え方の相違点)が難しいところですが、やはりここは親が一歩譲って根気よく付き合ってあげることが大事なのかな、と思います。


それに付随して、、これも第二部の潜伏期に書いた事と重複しますが、「子供が喜んでやっているから」と、彼らの表面的な姿を鵜呑みにしてはいけない、ということですね。

習い事をしている親子に話を聴きますと、
大抵の親御さんは「子供がやりたいと云ったから」、「喜んでやっているから」と云い、
子供もそんな親の意を継ぐように「好きだからやっている」と答えが戻ってきます。

もちろん、それが全部嘘と云うわけではありません。

しかし、前述しましたように、子供は自分の気持ちとは関係なく、親の意向を受け入れやすいものです。

それに、大人でもそうですが気持ちと云うものは、いろいろと変化わるものですから、初めに「そう思った」からと云って、それが未来永劫に続くわけではないですよね。

とくに子供の興味は前述のように、それこそ猫の目のように変わりますので、そのあたりの子供の興味に対する性質を、きちんと考えてあげる必要があります。

繰り返しになってしまいますが、  
とにかく子供は、親の気を引きたい、親の喜ぶ顔をイチバンに優先しますから、親の興味や希望に、簡単に飛びつきます。

親と同一化して、親と同じ気持ちになりたい、と云う性質もあります。

そこで大事なのは、「子供の為」と思っている部分の再点検だと思います。
つまり、それが本当に「子供の為なのか」を見直してみる、と云うことです。

親は、自分のしてきた事や、自分の果たせなかった事などを、子供に託します。
それ自体、すべてが悪いとは思わないのですが、親自身そうした自分の気持ちを把握し、「子供の為」と「自分の為」を混同していないかを、常にチェックし、改めることが重要になると思います。

そうしてあげなければ、子供は自分の本心には気づくことができず、「親がアナタの為というのだから、自分の為なんだろうなぁ」と、なんとなく頑張ってしまい、たとえ辛くても「ああ、やめたい」とは云わずに過ごしてしまいます。

つまり習い事なら、親は「子供の為」と思い頑張らせてしまう。
子供は「親の為」と頑張ってしまう・・・と云う、皮肉な現象が起きてしまうわけです。

そして云い出せず、体調を崩したりすることがありますが、そのときにはかなり深刻な状態と読み取ってあげることが大事だと思います。

親は「将来困らない為に」「将来の役に立つなら」と、それを「子供の為」とするわけですが、
子供にすれば、そんな将来のことよりも「いまの自分を大切に思って欲しい」が本音。

つまり言葉で云えない本音を、身体症状で訴えているわけですからね。   

 


 

このコンテンツは2006年に作成され2015年に再編集
したものです。

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