無意識を知ろう♪ 次元ワールドへようこそ♪

このページをお読み頂く前に
このページは無意識を知ろう♪に属して
おりますが、精神分析学とは無関係な内容です。


次元論には多くの説があり、いまだに「絶対コレ」
と云うものはありません。同様にこれからお話す
る内容も絶対と云うわけではありませんが、
極楽とんぼの信じる『次元説』を読んで頂くこ
とによって私たちの住む世界と、心の奥の深さ
などを感じ取って頂けたなら幸いです。

まず、ここで云う次元とは、私たちの住む世界を
階層別・・・つまりパーツ(部品)別に分解した
もの と思ってください。 云わば私たちの住む
世界の『舞台裏』みたいなものですね。

たとえば、ここに一本の鉛筆があったとすれば、
その鉛筆は、さまざまな要素や条件によって、
「この世の中に出現した」ことになります。

「工場で作られたんだよ」と云ってしまえば、
たしかに「その、とおりぃ~」なんですが(笑)
次元的に見た場合には、また違う製造過程があ
るわけです。

そして、これから書きますことは、
そうした次元的製造過程を理解することで、
「私の人生、どこで間違えたんだぁ・・・」
の答えも、見つかるかも・・な話です。(-_^)



0次元から三次元までは、物質の世界で、
七次元は、現象、自然界の世界・・・
私たちが目で見たり、手で触れることのできる
世界。

そして、四次元から六次元までは、
電気のように、たしかに存在は するが、私たち
には見えないエネルギーの世界と云うわけです。



下の絵を見て頂くと分かりますように、
       0次元は、点
      一次元は、線
      二次元は、平面
      三次元は、立体
と云う次元の姿を持ち存在しています。


つまり、↓それぞれがこんな具合に


点が線となり、


線が平面となり、


その平面が立体を生み出していく・・・

こうして0次元から三次元の働きによって、
私たちの肉体や、建物、乗り物などの『物質』が
形成されるわけですが、 三次元までの世界は、
ただの『物質の世界』ですから私たちは静止した
状態で動くことができません。(^^;)
つまり、静止した動きの無い世界なのです。

これでは、困りますね。(^-^;
そこで登場するのが四次元です。




これでようやく私たちも動くことができる。

つまり・・・

と云えるわけです。




さて、いかがでしょう?
ここまでは何とか「そうかも知れない」
と思って頂ける のではないかと思います。

しかし、この先も、まだまだ次元は続きます。
と云うより、続いてくれないと大変困ったこと
になります。(^^;)

実は、私たちの暮らす『四次元世界』は、単なる
『力や時間の次元』に過ぎないので、 四次元ま
での次元世界だけでは、 私たちはただ動くだけ
の人形になってしまうのです。

ですから、これからお話す『五次元以上の世界』
は、 私たちにとって、とても重要な存在となり
ます。

さて、その五次元以上とは、
どんな世界なのでしょうか。。。




四次元は、力や時間という、目には見えないけれ
ど、 必ず存在するという次元でした。

五次元以上の世界も、それに似ていて、姿かた
ちは見えないけれど、必ず存在するし、私たちに
とっては不可欠な次元世界です。

さて、ここからの次元は、ある意味、想像・イメ
ージの世界ですので、みなさんも想像力をフルに
使って、イメージしてみてください。(*^^*)


たとえば・・・
私たちが『カレー』を作ろうとすれば、゛材料や
道具が必要になりますね。

肉、ジャガイモ、ニンジン、たまねぎ、水、カレ
ー粉、鍋、レンジ、火、そして作る人。

つまり、そうした人間も含めた『物質』が三次元
までの世界でした。

そして・・・
その『物質』に『動き』を与えるのが四次元で
すが、残念ながら、四次元は『力と時間』のエネ
ルギーだけの次元なので「何を、どうするのか」
の指示が無ければ、私たちはただ意味も無く動く
だけになってしまうのです。
ちょっと、おマヌケな感じですよね。(^^;)(汗笑)

そこで・・・
登場すのが五次元です。


この、要素と条件によって、私たちはようやく、
目的を持った行動がとれるわけです。

五次元に要素と条件が出揃うと、私たちは自然、
自動的に、 四次元世界で、手順どおりにカレー
を作り始めることができます。

もちろん、この五次元の中に、
『調理人が意欲的に』という要素が加われば、
私たちはテキパキ、意欲的に作り始めます。

反対に、『調理人がイヤイヤと』という要素が
加われば、だらだらイヤイヤと作ることになる
ことは 云うまでもありません。(^^;)(汗笑)

ですから、『調理に掛かる時間』という要素部分
などは、 調理する人の知識や状態によって、あ
らかじめ計算された要素と云うことになります。

つまり、私たち人間は、
この要素と条件の五次元によって管理されている
ようなものですね。(^-^;


でも、しかし・・・
なんだか変。これでは納得できませんよね。(^.^;

たしかに、五次元の力があれば、
私たちはカレーを作ることは『でき』ます。
しかし、これではまるで作業するだけの
ハートの無いロボットのよう・・・(-_-;)

少なくとも、
私たちが「カレーを作ろう」といる背景には、
何かしらの理由とか、目的とかの、動機や感情
が、 必ずあるはずなのに、五次元には、それが
感じられない。

たとえば
「お腹がすいたから」とか「彼氏のために」とか、
「家族に喜んでもらいたいから」とか。
つまり、そのへんのハート(心)が欠けている
わけです。

はい、実際そうなんです・・・
五次元の世界は、要素や条件をただ機械的
自動的に四次元へ送り込むだけなので、
まだ私たちはロボットくんなのです。(T▽T)

では、いったい・・・
私たちのハートは、どこにあるのでしょうか?
と云うことで、次の六次元に期待。ですね。
さて、その六次元とは?



どうやらココに、私たちのハートが存在するらし
い・・・ しかし、それとエリア(区域、地域)
と、どういう関係が??

では、さっそく見て行きましょう。(^^)

五次元は『要素や条件』の世界でした。私たちは
この五次元の力によって目的に向かって動ける
ように なったわけですが・・・ しかし、そこで
また重要な問題が出てきたわけです。(^^;)

それは、定義と枠組み(わくぐみ・エリア)とい
う問題です

たとえば、夕食のおかずを作る為、スーパーへ
買い物に行ったとします。しかし、夕食を「何に
するか」を決めて いなければ、「何を買ってよ
いのか」分かりませんよね?

五次元もそれと同じで、いくら「要素や条件を
揃えましょう」と云っても、「何を作るか」が決
まっていなければ、 (要素や条件などを)揃え
たくても揃えようが無いのです。(^^:

つまり五次元の要素や条件を揃える為には 「カ
レーとは、こういうものである」という定義と、
「これはカレーだよ」「これはイクラ丼だよ」と
云うような、 他の物と明確に区別する枠組みが
必要になってくるわけです。

もし、この定義と枠組みがしっかりしていないと、
『カレー』と『イクラ丼』がゴチャまぜになって、
『カレーイクラ丼』という、あまり食べたくない
奇妙な料理が出来あがってしまうのであります。
(^o^;(笑)

と云うわけで、




こうすれば、五次元も
はいはい。カレーね。カレーなら・・・」と、
迷うことなく、必要な要素や条件を揃えること
ができるわけです。(^^)


そして六次元をさらに細かく見てみると・・・

上の図では、カレーだのピラフだのと、食べ物ば
かりですが、六次元の中には、地球上のあるゆ
るものすべてが、個別に分けられ存在しています


図では、山や建物、魚・・・と、なっていますが、
細かく云えば実際には「どこそこの山」「何丁目
何番地の建物」というように細かく個別に分けら
れていますし、イワシやサンマにしても網に掛か
れば どれも同じようですが、一尾一尾が別のモ
ノとして六次元に存在しています。

もちろん人間だって例外ではありません。
私、隣りのオジサン、Aさん、Bさん・・・と、
それぞれのエリアを作って存在しています。

つまり、私とAさんが、混ざり合って同一人物に
ならないのは、この六次元がしっかり分けて
くれているからなのです。

そして、『私』というもの(物質)が、この六次
元で 「人間であり」「こういう性質を持った人
物だよ」と定義されているから、それぞれの性格
や個性などがハッキリと打ち出せるわけです。


ハート(心)は六次元にある

ここでちょっと、まとめておきましょう。

まず、物事の流れは、六次元から五次元、
四次元・・・数字の高い次元から低い次元へ

つまり、六次元が決まると五次元も決まる
そして四次元世界も完成できる。

逆に云えば、
六次元が決まらなければ、五次元も決まらず、
私たちの住む四次元では何も起こらない。

と云うより、四次元の存在自体が無かったこと
になってしまうわけです。(^^;)


そう考えると六次元とは、私たちの力の及ばない
神聖な次元(領域)に思えてきますよね。

はい。実際にもそうだったのです。
私たち人間が登場するまでは。。

さきほど、六次元での『私』の定義のところで、

『私』というもの(物質)が、この六次元で、「
人間であり」「こういう性質を持った人物だよ」
と定義されているから、性格や個性などがハッキ
リと打ち出せる

と書きました。

『性質』と云うのは、どんな物質でも持ってい
ます。たとえば石は堅く、犬はワンと鳴き、猫は
ニャンと鳴く。

まあ、厳密に云えば、そんなもんだけじゃないん
ですが、それぞれに「それ」と分かる性質を持っ
ているわけです。

しかし人間の場合、その『性質』というのが複雑
と云うのか、クセモノで、同じ人間同士(肉体的
な構造は同じ)でも『思考』という部分で、千差
万別になってくるわけです。

はい、もうお気づきですね。
つまり、人間の場合、その『性質』の中に、性格
や思考を形づくるハート(心)も含まれていなけ
れば、 『私』や『Aさん』という個別の定義や
エリアが完成できないのです。(^^:

だから是が非でも、六次元の段階に心が存在して
くれないと、 心を持った私たち人間の存在も証
明されなくなってしまうのです。


と、最後はちょっと強引でしたが(^^:(汗笑)
心は六次元にある。
お分かり頂けましたでしょうか。(^^)

でも、これだけだと、ちょっと分かりづらいかも
知れませんので、もう少し具体例をあげておきた
いと思います。

 

四次元に生きる私たちは、
六次元を知っている

少しヘンテコなサブタイトルになってしまいまし
たが(^^:もしかしても、しなくても、
この六次元は、創造主である神だけの領域であっ
たはずです。

水や大地、そして植物や動物などの生物を造り
出したのは 「神である」と信じられているわけ
ですからね。

しかし人間も、神の力には及ばないまでにも『何
かを作り出す』という意味においては、この六次
元を知っていなければ、(良くも悪くも)ここま
での文明は築けなかったことになります。

つまり、私たちは、四次元世界で暮らしています
が、ちゃんと六次元世界を知っていることになる
わけです。


たとえば、
もしカレーを作るにしても、カレーという定義を
知らなければ、カレーをイメージできないどころ
か、カレーの存在すら知らない はずなのです。
ややこしいですね。(苦笑)

つまり、カレーを知っていると云うことは、カレ
ーの定義を知っている。
六次元を知っていることになるわけです。

もし私たちが六次元を知らない動物であったなら
、いくらカレーを目の前に出されても、「カレー
である」という認識を持たずに食べていると思い
ます。

そして、自然が与えてくれるものだけを ひたす
ら待ち、 自分から何かを作ろうという発想は持
っていないはず・・・
それは六次元を知らないからです。


まとめますと、
私たちの心は神と同じ六次元にあって、六次元的
視野(感覚)で四次元世界を見ている。
そして六次元(の定義)を人工的に操作し、この
四次元世界を作り出しているわけです。



しかし私たちは神ではありませんし、欲得などの
煩悩を抱えた人間ですから、その六次元をなまじ
知っていることで、かえって困ることも多いので
す。(^^:

そこでおススメしたいのが・・・続きを読む


それに、それ以外にも問題が無いわけではありま
せん。さきほどから書いていますように、六次元
はとても神聖な場所ですから、それを侵す人間は、
それなりの罰を受けます。

でもそれは、また別の話。
七次元の説明が終わったところで、少しお話さ
せて頂きます。

 


さて、長かった次元世界への旅も大詰め、
この七次元が最後です。
みなさま、大変お疲れ様でした。

ところで、自然界と云うと、どんなことが思い浮
かびますか?
地震、雷、火事、親父・・・ですか?(^^;)
火事は微妙ですけど、親父は違うみたいですね。(笑)

でも近年多い自然災害・・・
火山の噴火、地震、津波、そして台風や竜巻などは、
自然界の力を痛感させられる出来事ですよね。

そして当然その中には、私たちのような生命体や、
穏やかな日々や気候なども含めて、
自然界と呼ばれているわけです。


この自然界の七次元があるから、六次元も五次元
も、そして四次元世界も存在する・・・
逆にもし、この七次元が存在しなければ、地球は
おろか、宇宙だって存在できないわけです。

この話だけでも、とても強烈な感じですが、
実際に七次元は、六次元のように生やさしくはあ
りません。

どういうことかと云いますと、 六次元では定義
やエリアというものがありました。

つまり、「これは人間だよ。こういう性質を持っ
ているよ」と云った感じで、ある意味ソフトな(
柔らかい)感じがしますよね。
だから人間ごとき我々の心(感情)も入り込める
わけです。(^-^;

しかし七次元は、もっと直接的で、
山、海、川、噴火、生命・生・死・・・みたい
な感じで、すべてがダイレクトで、何の容赦もあ
りません。

だから人間ごとき我々の力など入り込むスキマも
ないわけです。(^^:

たとえば人間の生死に対しても、
『生即死(せい そく し)』※と云われるほど
生まれた瞬間に、死が存在してしまうのです。

つまり、人間が死のうが生きようが、自然界には
何ら不都合も無いわけで、実際自然界の力は、と
ても非情です。

不都合とか、非情とかいう感覚自体が、すでに
とても人間的ですが。(汗笑)


と、云うことで如何でしょうか、七次元。

ともすれば私たちは、
山や海や川を見ては「自然って、美しいね」
台風や地震に遭えば「自然って、恐ろしいね」
と、その現象だけを見て、自然界を知ったつもり
で過ごしてはいないでしょうか。

もし、この七次元(自然界)の本質を、もっと良
く知ることができれば、 六次元の心の世界にも、
もっと幅ができ、 四次元世界で、もっと心豊
かな生活が送れるような気がします。

たとえば「人間は死と背中合わせなんだ」と云う
ことを知れば、「死は仕方かないんだ」と云うこ
とだけではなく、『いま、ここ』に『生』がある
ことの素晴らしさ、尊さを感じることもできます
よね。

少なくとも私、極楽とんぼの考える『心豊か』
とはそうしたことで、ただ『死』を恐れながら生
きたり、命を粗末にすることも無く、
「とにかく命をまっとうしよう」と、前向きに
考えられる心なのです。^^ゞ


オマケ(^^ゞ  
人間は罪深い生き物です

六次元の最後のところで、

六次元はとても神聖な場所ですから、それを侵す
人間は、それなりの罰を受けます。

と申し上げました。

その意味を最後に書き添えて、この次元ワールド
を終わりたいと思います。
精神分析学とはまったく違う話でしたが、この
次元説によって、皆様の心に新たな世界が広がっ
て頂けたら嬉しい限りです。
また機会がありましたら、改めてこの次元説の詳
細をご紹介させて頂きたいと思っております。
本当に最後まで読んで頂き、ありがとうござい
ました。


さて、私たちは、山や海を切り拓き、人間にとっ
て便利な世界をこの地球上に作ってきました。

それは私たち人間が、六次元の定義の世界を知り、
『橋』や『建物』、そして『乗り物』などを次
々と定義できた(考え出せた)からに他ならない
のですが、本当は「してはいけないこと」だった
のです。

なぜなら、、
私たちが『六次元を操作する』ということは『
自然の流れを侵す』ことであり、 地球上のさま
ざまな流れを、変えてしまっているからなのです。

現に、私たちは多くの自然を壊してきました。
その為に地球環境が悪化し、多くの生命体の生態
系を狂わせています。あるいは、自然界の流れで
ある『生即死』といった人間の生命も医学の進歩
によって(流れを)変えてしまいました。

もちろん、それらは人間にとって有益なことなの
ですが、同時に人間は、自然界の流れに逆らう生
き物として、悩みや苦しみという罰を与えられる
ことになってしまったのです。

たとえば、
他の動物たちは、『生即死』もまた自然の事と
しているから、悩みや苦痛も無く命をまっとうし、
死んで行くことができます。

しかし人間は、六次元に心を置いてしまった為に、
『生即死』が受け入れられず、近しい人の死に
苦しみ、そして自分の死を恐れ苦しみながら、
死んで行く事になります。

つまり私たちは、少しも賢くない身でありながら、
神と同じ視線を持ってしまった為に、神と同じ
『悟り』を開かなければ、とても苦しみ悩む動物
になってしまったわけです。

もちろん私のような人間に、神だの罰だのと書く
資格など無いのですが、(この次元説から、自然
界や、人間の生を見つめたとき)私たちは、この
事実を受け止め、もっと真摯に(真剣に)自然界
のこと、そして自分自身の『生』についてを考え
る義務を背負っているように感じてなりません。

みなさんは、どのようにお思いになられますか?

 

心は異次元の世界にあります

このコンテンツは2008年に作成され2015年に再編集
したものです。

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