心が幼いと云うことは、ある意味、無意識人です。
それは、自我はそれほど発達していないぶん、
無意識が伸び伸びとしている、とも云えます。
まあ、その悪い面だけを見てしまえば、
協調性、社会性の無い自己中心的な人なのかも
しれませんが、
逆に無意識の自由度が高いですから、奇抜な発想
などの創造性は抜群かもしれませんよね。
たとえば、それを
クリエイティブな仕事で活かせれば才能ですし、
特別なにも活かさなくても、
その人独特の世界観として、それは個性と呼ばれ
るものになります。
もし、そうした人に社会性や協調性を強要したら 、
そんな才能や個性も失われてしまうのではないで
しょうか。
たとえば、私はピカソさんが、実際どんな人かは
知りませんが(^^:
もし彼が社会性の高い常識人で、ゴミの収集日を
きちんと守る人だとしたら、
人を感動させる高い評価の作品は遺せなかったと
思います。
第一、ゴミ出ししている彼の姿なんて、想像も
できませんしね。(^^:
そうなると逆に、周囲の目(評価)や、周囲からの
悪口を気にする人は、大物にはなれない・・
とも云えるかもしれませんね。(汗笑)
つまり、
社会性と創造性が相反するものだとしたら、
どちらかを犠牲にしないと、
その人はその人として生きられない場合だって
ある・・ってことです。
それを別の角度からみれれば、
人間社会は、そうした個性や才能よりも、
総合性・・つまりバランスの取れた人
を善しとする・・悪く云えば、どこを切っても
同じ金太郎飴みたいな人を好むので、
つまらない世の中になってしまうとも・・
しかし社会性の無い人ばかりになってしまったら、
世の中の秩序は保てませんから、そのへんが実に
ジレンマですが、(汗笑)
でも、そういう意味では、世の中、よくできた
もので、社会性を重んじる人と、自由に生きる
人がバランスよく(?)存在しているから、
(世の中が)もの凄く良くならないかわりに、
どうしようもなく悪くもならない・・・のかも
しれませんよね。(^^:
しかし、
ただひとつ云えることがあるとすれば、
前出のピカソさんが・・実際彼の私生活が
どうであったかは知りませんが(汗笑)、
もし彼がとても自由人(悪く云えば社会性のない
身勝手な人)だとしても、それを周囲が
「まあ、それが彼だから」と受け入れたのは、
それだけ彼が芸術という分野で社会貢献を
していたからだと思います。
もし彼が身勝手なだけの人だとしたら、ただの
「いけ好かない変なオヤジ」
で終わっていたことでしょう。(^^:
つまり・・・ようやく結論です。(笑)
もし自分が幼い人で、でも
「それが自分だから」
とその生き方を貫こうとするのであれば、
何かひとつでも社会に役立つことをすれば
それでいいんじゃないかと思います。
もちろんそれは、ピカソさんみたいな偉業で
なくても良いのです。
何かひとつ、どんなことでも、
「まあ、それがあなただから」
と周囲に自分の生き方を認め(納得)させるものが
あれば、それであなたの「生きづらさ」も
解消されるはずです。
いちばんよろしくないのは、
何もせず(努力もせず)
「これが自分だから認めなさい」
という甘え(依存)だけで生きようとする態度
です。
そこには反感しか生まれませんからね。(^^:
もしそれでも・・というのであれば
「生きづらさ」はあきらめるしかありません。
どうやらいつの世も、
「美味しいところだけ」を食べては
生きられないのが人間ってことですね。(^^:
以上、それこそ自由気まま、
思いつきくままに書いてみましたが、
みなさんは、どう思われますか?(*^-^)
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
たものです。※文章はスマートフォン向けに編集
してある為、パソコン画面では読みづらい部分が
あるかもしれません。また画像を多用しておりま
すが、サイズがスマートフォン画面では見づらい
場合があるかもしれません。ご了承ください。