このことは私たちがよく使う、
パーソナリティー(ペルソナ・人格)や、
アイデンティティー(同一性)の話
に置き換えることができます。
私たちは子どもでも成人でも、
ひとつの顔ではなく、
いくつもの顔を持っています。
たとえば私で云えば、まず男としての顔。
親からみれば息子としての顔。
妻からみれば夫としての顔。
息子からみれば父親としての顔。
友人からみればバイク好きの顔。(笑)
職業人としてはカウンセラーとしての顔・・・
まあ、まだ探せばあるのかも知れませんが(^^:
とりあえず上記したいくつもの顔を持っていて、
その場面場面によって、仮面をつけかえ
その役割りを果たしながら生活しているわけです。
※ちゃんと果たせているか否かは別の問題です。(汗笑)
そして、そうしたいくつもの顔の中で、
現在一番「自分である(自分らしい)」
と思えるものが、いわゆる
アイデンティティー(同一性)で、
自分の自我の主体(中心)になります。
たとえば私の場合であれば、
「私はカウンセラーである」という
アイデンティティーを持って、
それを自分の主体にして
人格を統合させているわけです。
※このときカウンセラーとしての出来・不出来は
別の問題になります。(汗笑)
さて、もうお分かりだと思いますが、
自我年齢を上手く使い分けられる人・・・
つまり自我を上手く使いこなせる人とは、
自分の同一性(アイデンティティー)を保ちながら、
場面場面で上手く仮面をつけかえられる人
あるいは、子どもの自分と、大人の自分を
上手く使い分けることのできる人
という意味になります。
いわゆる人格者と云われる多くの人は、
これですね。
このページは『無意識を知ろう♪極楽とんぼの精
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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