でもちょっと待て。
イメージの世界は、極楽、オマエが目の敵に
してきた無意識の中だろ?
いえいえ、
目の敵だなんて、滅相もございません。^^:)
その無意識を働かせろと云うのでは、
ここまで意識を使え、自我を強化しろ
と云ってきたオマエの言葉と矛盾しないか?
いえいえ、無意識も自我の活動エリアですから
矛盾はないかと・・むしろ自我のエリアを
広げる意味では自我の強化です。^^ゞ
しかも、
自我を強化するにうってつけの時期である
思春期に学校の勉強なんかよりも、
無意識を大事にしろ
なんて云ってるし・・・
いえいえ、勉強なんかなんて・・・
学校の勉強も大事です^^;)
しかし、イメージの元になる材料は、
たしかに無意識の中にあるのですが、
それを引き出すのは、あくまでも意識、
自我です。
たとえば、
いくら無意識という金庫の中に膨大な
才能が眠っていたとしても、
怠け者のエスにそれを任せておいたら、
それこそ『宝の持ち腐れ』で、
いつまでたっても才能が花開くことなど
ありません。
つまり、
それを自我が、どう引き出して使うか、
なのです。
そしてイメージは、
その才能(能力)開花の根本をなすもの。
水源ではないかと思うのです。
イメージが枯れていたのでは、
どんな能力があっても、それを広げていく
ことはできませんからね。(^^:
そういう意味では、
このイメージ力を育てることは、自我にとって
命運をかけた一大事業であり、
これからエスとの関係を互角に進めていく
うえでも、重要な局面ではないか・・・
とさえ思います。
ちょっと大袈裟過ぎ?(^^:(笑)
でもしかし、
ここで自我が無意識の中身を自由に使うこと
が出来るようになれば、私たちは無意識の
支配に泣かされ続けることもなくなり、
自分の意思を貫くことも、それほど難しい
ことではなくなるのではないでしょうか。
神分析学入門』をスマートフォン対応に再編集し
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すが、サイズがスマートフォン画面では見づらい
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