もともと神経症は、
精神が過去(幼児期)へ退行し、
自我自身が変化することですから、
子どものような振る舞いは
どの神経症にも見ることができます。
ただし、
一般的な神経症(自我疎外性)の場合、
まず「自分は神経症だ」という自覚があります。
そして自分が「幼稚な振る舞いをしている」
という自覚と、その行為を恥じる気持ちも
あると考えられます。
しかし、
性格神経症のような自我親和性の場合、
「自分は神経症」という病識※がありません。
そして自分が「幼稚な振る舞いをしている」
という自覚と恥じる気持ちがある、としても、
それを改善しようという気持ちが乏しいか、
仮に気持ちがあっても心が幼弱であるために
その術がわからず、放置されてしまう・・・
と考えられます。
※病識がない・・と云うよりも、
まさか自分の行動が神経症とは
思っていない・・が正解かもしれません。
では、
そうした病識も、改善する気持ちも乏しい
性格神経症は、どうすることも出来ないと
社会から切り捨てるしかないのか?
という話になると思いますが、
たとえば、
少年非行や少年犯罪で考えてみますと、
その多くの少年に強い罪悪感がみられる
と云われています。
実は
この『罪悪感』が彼らの性格神経症の
カギを握っているみたいなのです。
つまり、
幼少期の超自我による「いけない」
という刷り込みが根強くあり、
それが性格神経症の要因要素
ではないかと云われています。
そして、その罪悪感のために、
ルールを守れない自分は
「ダメな人間なんだ」と思い込み、
「どうせ自分には何もできない」
と、心がくじけてしまっている、
のではないか、と考えられるのですが、
さらに・・
これはちょっと
理解しづらいかもしれませんが、
「どうせ自分はダメだ」と、
投げやりに非行を繰り返すことで、
彼らの罪悪感を強まれば強まるほど
無意識の罪悪感が満足する・・
と云うのです。
要するに、
固着(の罪悪感)を満足させるために
自分自身を罰するような行為を
続けさせられているようなものですね。
しかし、非行が、無意識の罪悪感を
満足させるために行われていると
すれば、(原因が明らかなら)
別の方法で満足させながら、
一方で、
彼ら自身の「決してダメではない」
という自信が回復できるような
環境さえ整えば、問題なく彼らの
自我も成長回復は可能と思います。
実際にも、
多くの非行少年たちが、あるキッカケによって
立ち直ることが多いのも、それが不可能では
ないことの証しではないでしょうか。
ちなみに、性格神経症の要因要素は、
この罪悪感だけではなく、劣等感などの
ネガティブな要素が云われています。
つまり、そうしたネガティブな要因要素が、
さまざまな形となって反社会的な行動を
生み出しているのが性格神経症と
云えるわけです。
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