私たちの心は産まれてからしばらくの間は、
無意識が大部分を占めています。
図の1のように、
0歳から1歳近くまでは、まだ自我も幼く、
精神活動も大部分が無意識的です。
ですから、
なんでも理解してやっているようでも、
それはあくまでも無意識の中での話。
本人も、まったく無意識にやっていること、
と考えたほうがいいと思います。
※たしかに、幼児は驚くほどの能力を発揮させる
ことがあります。もちろん、それを伸ばしてあげ
るのも悪くはないと思います。しかし、その能力
はあくまでも無意識という特殊な場所だから発揮
できたという「特別である」ことを常に念頭にお
いて、無理強いはさせないほうが良いと思います。
得られる才能には、同時に失う才能もあり、
その両得は、やはり無理であることをくれぐれ
もお忘れなきようお願いします。(^^;
そして、やがて
自我が誕生し「ボク」や「ワタシ」という言葉を
発するようになりますが、1~2歳の頃もまだ、
ほとんどが無意識の中での自我活動です。
ですので、たとえば・・・
お母さんが云った言葉に、子どもが反応し、
会話が成立したように見えても・・・
お母さんが云った言葉に、子どもが反応し、
こんな食い違いも出てきてしまうわけです。(^^;
お母さんは現実(意識)の中で話をしていても、
子どもは非現実(無意識)で話をしている。
つまり、
意識と無意識という違う次元?で会話をしている
から、チグハグになってしまうのですね。(^^;)
もちろん、お母さんにしてみれば、
子どもが「ボク」「ワタシ」と
云うようになったので
「ちゃんと話せば、聞き分けてもらえる」
もう、しっかり自分を持っている、
と思うのも無理もないのですが、
理解といっても無意識=自分だけの
(ジコチューな)世界ですから、
あまり期待しないほうが、お互いの為
だと思います。(^^:
「幼児は宇宙人」という表現がありますね。
うーん、たしかにそんな感じかも。(苦笑)
そしてだんだん自我が成長してきて、
ようやく自我の意識への目覚めです。
それは、
いままで無意識という部屋の窓からだけ
現実(意識)の世界を見ていたけれど、
今度はその世界に実際に立ったようなものです。
ちょうどそれは、無意識の殻をやぶり、
「明るい地上へ出たよ。視界が開けたよ」
という、心の『開花』と云えるでしょう。(^^)
と、これが、物心(ものごころ)がつくこと、
ではないかと思います。
いままで無意識の中から現実を見ていましたが、
自我が意識の世界へ出ることによって、
こんどはちゃんと現実の世界を認識することが
できるようになったわけです。
ですから、今度はちゃんと・・・
と、会話も一応成立したみたいですね。^^ゞ
まあ、それでも、
いくら「わかった」とは云っても、
まだまだ3歳児の範囲での理解ですけどね。(^^:
でも、
彼らにとっては、もの凄い変化。
生まれ変わったような、
新感覚ではないかと思います。
温かく見守ってあげたいですね。(*^-^)
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