快楽原則と現実原則の補足

自己保存欲動は、あくまでも現実原則
たとえ不快であっても外界の現実に従おうとすること。

性の欲動は、あくまでも快楽原則
ひたすら快を求め、不快を排除しようとすること。

ではなぜ人間は、こんな面倒くさい正反対な欲動を
持つようになってしまったのでしょうね?(^^:

もともと、人間の無意識(エス)が、性の欲動
(性の衝動・エロス)から始っている・・・
つまり簡単に云ってしまえば、人間の本能は、
性の欲動の快楽原則だけしかなかった・・・

要するに他の動物と同じ一方向だったわけです。

ところが人間は精神を宿してしまった。
そしてその精神の一部として本能の代役として、
無意識(エス)から湧き上がる欲求(衝動)を社会に適応
させながら(エスを)満足させる役割を始めた・・・
それが自己保存欲動の現実原則。


・・・と、ここまでは精神分析学で説明はできるの
ですが、残念ながら、その先は、
人間を創造した「神のみぞ知る」の世界です(^^:

なぜなら、人間も他の動物と同じに創造されてたら、
生存と生殖の一方向で終わったはずなのに・・・
そうすることも十分可能だったはずなのに

そもそも、どうして神様(?)は、わざわざ精神を
宿した動物・・つまり人間を創ったのか?

という、疑問と云うか問題に突き当たるので、
これはもう・・・(^^:違う分野にお任せするしか
ないと思われ・・・(滝汗)

でも、ちょっと気になりますよね。
わざわざ人間を創造した真実(理由)ってやつも。(^^:




さて、気を取り直して、ここからが本題です。^^ゞ
すみません、長くて変な前置きをしてしまって(^^:


そして、実は、
快楽原則と、現実原則・・・
方向的に、まったく正反対なので対立関係と云って
ますが、向かう方向は違っていても、
求める先はどちらも快楽なのです。

それはどういう意味かと云いますと・・・

人間は何かの欲求が生じると、それを満足(充足)
させようとします。
それがいわゆる、欲求充足の活動なのですが、

実は、心にとっては、充足の方法なんて(ある意味)
「どっちでもいい」ことで、とにかく衝動(欲求)を
満足させ一刻も早く「心を鎮めたい」と云うのが
ホンネなのです。(^^:

何故かと云いますと「これをしたい!」という欲求は
「できるだろうか」「上手く行くだろうか」と、
私たちを とても緊張した、不安な状態にさせます。

人間は、こうした状態になると、心はとても不安定に
なり、少しでも早く元の安定した状態に戻そうとする
わけです。

そうでないと、生の存続さえ危ないという不安な気分
が続いて、いたたまれない・・・という感じですね。(^^:


そして、安定した状態に戻そうとする行動には、
「ひたすら快を求める」快楽原則と、
「不快でも現実に従う」現実原則があるわけですが、
どちらも目指すところは同じ、

緊張や不安を治めること。
突き詰めればそれは、快楽と云うわけです。


つまり、まったく正反対で対立しているようにみえる
両者ですが、突き詰めていくと、それは同じ方向の
「ああ、良かった(*^^*)」
と、ホッとする気持ち良さの快楽へ向かっている
わけで、そういう意味では、
対立してるような、していないような、
不思議な関係と云えそうなのです。(^^;)



ちなみに、さきほど、

「充足の方法なんでどうでもよく、
         欲求を満足させることが目的」

と書きましたが、その補足として、

人間の欲求が充足されるのは、その行為自体ではなく、
その行為が完了したあとです。

どういう意味かと云いますと、

ふつう欲求の充足といえば、
その行為を行うこと自体が欲求の充足と思われがちで
すが、実はそうではなく、大事なのはその行為が終わ
ったあと。つまり、
「やれやれ、なんとか終わったぞ~」
の、緊張や不安からの開放こそが、心にとっては
ご馳走で、欲求の充足になるわけです。

つまり、心にしてみると、欲しいのは緊張からの開放
だけで、それに向かってくれさえすれば、
快楽原則であろうと、現実原則であろうと、
実は「どっちでもいい」・・・

とにかく完了したあとの安堵感が欲しくて人間は頑張
るのだ、と云っても過言ではないみたいです。(^^;)


※ただし?筆者の個人的な気持ちとしては、
やはり人間は「高い志」と「困難を乗り切った達成感」
によって大きな安心を得る現実原則による解決を支持
したい ・・・支持しておきたい^^;と思います。
そうしないと自分自身が怠けそうなので・・・(苦笑)


いずれにしても、
人間にとって、何が一番嫌で、弱い部分かというと、
不安定になることが、一番ダメみたいです。

これはすべての心理に云えることで、結局私たちは、
安心を求めて行動する生き物なのですよね。

 

 

 

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