不安ってなんだ?  神経質症の正体

プロローグ

ある日突然、降って涌いたように襲い掛かる不安。

まるで地震に遭ったような・・・

まるで通り魔に遭ったような・・・

それまで何事もなく過ごした日々が嘘のように、
その日から僕らは、不安と恐怖に怯えた暮らしを
送ることになった・・・その正体を知りたい。


そもそも症者を苦しめる、不安ってなんだ?

なんだか物々しいプロローグを書いてしまいましたが
神経質症になって、まずこの「何だろう?」があると
思います。

いくら信頼する医師や専門家たちから「病気じゃない
から大丈夫だよ」と云われても、症状は現実に起こっ
ているのですから、あまり慰めにもなりませんよね。

この章では、症状の『不安について』を考えながら、
そんな神経質症の『何だろう?』を考えてみたいと
思います。


そもそも不安って、どんなもの?

みなさんは感情というのをご存知ですよね。
そう、嬉しかったら喜ぶ、腹が立てば怒る、悲しかっ
たら泣いて、楽しかったら笑うの喜怒哀楽が感情。
あと、嫌だなぁと思う嫌悪も、そうですね。
そして不安や、恐怖も同じ感情の仲間。

そう不安は、人間なら誰しもが持つ当たり前な感情の
一つなのです。(^-^)

しかし、同じ感情の仲間でも、不安だけは、
他の感情たちとはちょっと違います。
さて、何が違うのでしょうか?

それは、他の感情には相手(対象物)がありますが、
不安にだけ相手が居ないのです。

例えば・・・

★猛スピードの自動車が迫ってきた。僕は怖さを感じ
た。しかし、その自動車が走り去ると、その恐怖心は
自然と消えていった。・・・・これが恐怖です。

★猛スピードの自動車が迫ってきた。僕は怖さを感じ
た。その自動車は走り去ったが、また同じような出来
事があったら、どうしよう・・・という気持ちが消え
ない。・・・これが不安です。

もうお分かりですね。 

恐怖は、その自動車という現実的な問題なので
その対象物さえ去ってしまえば問題は解決されます。 

しかし、不安にとってはそんな自動車よりも、怖かっ
たという心理的感情が問題なので、対象物が去った
後も、その怖さを持ち続けてしまうのです。


何故かと云いますと、不安にある怖さは、
「また同じような出来事があったら・・・」
未来形の恐怖なのです。

未来形・・・つまり、まだ起こっていないことへの
想像ですね。

だから、自分の感じ方ひとつで、どんなカタチや、
方向へも行ってしまう・・・
想像ですから、どんなバケモノにもなってしまう
訳です。

もし不安に対象があるとすれば、それは自分自身で
作り上げてしまったバケモノなのです。


余談。
よくこの例え話をすると
恐怖にだって不安と同じ「また同じような・・」が
あるけどなぁ・・・と云われます。

しかしその怖さは、恐怖ではなく、みなさんが医師か
らよく云われる『予期不安』の不安です。
つまり「また同じような・・」という不安を感じた
時点で恐怖から不安に変わっているのです。

例えば、先端恐怖の人が、現物の先端を見て怖さを
感じたときは、それは恐怖です。しかし、想像で怖さ
を感じたときには、恐怖ではなく不安なのです。
・・・ややこしい ですね。(^_^;)


とりあえず ここでは、
不安とは『いま、ここ』ではない想像の世界なのだ、
と覚えておいてください。

ポジティブで楽しい想像なら歓迎なのですけどね。
自分の気持ちでありながら、思い通りにならないのが
人間の感情です。(^^:

※そんな思い通りにならない感情・気持ちについて
の詳しくは、コチラをご参照ください。



不安が持つ役割

じゃあ何故、このような厄介なものが、人間に備わっ
ているのか・・・ですよね。

人間の持ち物(能力)には、無駄や不利益なものは
ないはずなのに・・・・。
そう、無意味なものはない。
不安には不安の重要な役割があるのです。

それは、不安が自分の『死生』(生き死に)に深く
関わっているということです。

人間は産まれたときから本能的に『生き続けたい欲求』
を持っていますから、その生命に関わる心配事(不安)
からは、生涯離れることは出来ません。

いや離れてしまったら、僕たちは生の維持さえ難しく
なります。


病気に対して、不安を抱くから健康に注意がはらえる。
事故の多発地帯で、自分自身も危ないと不安だから、
運転にも一層慎重になれる。

つまり、この不安という感情は、とても不快なもの
ですが、その不快な呼び掛け(心の声)によって、
僕たちは安全を選んだり、危険回避も出来るのです。

極端な例えですが、
もし仮に、危険を知らせる感情が不快ではなく
快楽だったら、どうなりますか?
「ああ、気持ちええわぁ~(^-^)」
と、その快楽に埋没して、我々人類はすでに滅んで
いることでしょう。(苦笑)

すなわち不安は、僕たちが生きる為の様々な情報を
伝えてくれる、ありがたい不快(警報機)なのです。
それは、不快だからこそ、役に立つ、とも。(^^:


そしてさらに(その延長線上で)不安は、日常生活で
の欲求とバトルを繰り広げています。

なんのことでしょ(・_・")?
それは、不安は欲求とワンセット。(^^:
つまり、欲求があるところに、必ず不安がある。

そして、そこには法則があって、欲求が大きいほど、
起こる不安も比例して大きくなる。

例えば、

★明日のバーゲンで、目当ての品物が買えるだろうか
・・・(-_-;) これも不安です。
★来月に迫った受験に、ちゃんと合格出来るだろうか
・・・(-_-;) これも不安です。

さて、どちらの不安の方が大きいですか? 
モチのロンで、受験ですよね。

バーゲンで狙った品物が買えないよりも、受験に失敗
してしまったほうが、痛手は大きいですから。(^-^;

そして人間は、生きたい欲求が満たされると『さらに
良い人生を』という、「もっと、もっと」の高い欲求
を持つようになります。

しかし、望むものが高度になればなるほど、それを
手に入れるには、それなりの困難が待ち受けており、
したがって人間は、それに比例した大きさの不安を
持つことになります。

つまり「この入試に失敗したら、これから どうなっ
てしまうのだろう・・・(-_-;)」という、強い不安に
駆られるのも自然な感情なのです。

関連リンク 不安のルーツ(1)
姉妹版 神経症と精神分析学へ移動します。



と、以上が、不安の正体と、不安の役割でした。
不安は不快なものだけど、不快だからこそ役に立つ
と云うこと、ご理解頂けましたでしょうか。


そして・・・

えっ? そして・・って、まだあるの?ですか?
はい、もちろんです。
だって、まだ神経質症の不安について何も書いて
ませんから。(^^:

そして・・・

ここで一気に、神経質症のメカニズムと正体にも
迫ってしまいましょう。


神経質症のメカニズム・不安の正体

しかし、神経質症の不安は・・症状で起こる不安は、
通常にある不安とは異質ですよね。

あのぐぁんとくる、陽炎のようなゆらゆらとした
それを『不安』と呼んでよいのかわからない、
云いようのない感じは、ほんと
「なった人にしか分からない」不快さですよね。

それをどう説明するか・・・

実は、森田療法では、「それ」についてほとんど
触れていないのです。
つまり、通常にある不安と区別して考えていない
と云ったら良いかも知れません。

ですが、
ただ一つ、ここで云えることがあるとすれば、
これはあくまでも心理屋としての僕が立てた
仮説ですが、、

発作で起こるあの云いようのない不安は、
通常の不安と、過去の体験で持った不安が
相まって強大化したものだろう・・と云うことです。

さてここで新たに『過去の体験で持った不安』
と云うのが登場してしまいましたが・・・例えば・・

いくら森田療法が『過去は不問』とは云っても、
それは治療上のことであり、人間に過去があること
くらいは認めています。いや、これは認めざる得な
いですよね。(^^:

仮に、過去にとても恐ろしい体験をしました。
年数が経ち、その体験を忘れていたとしても、
心の奥には、そのとき感じた恐怖心は残っている
はずです。そして「また同じことが・・」という
不安も・・。

つまり、そういうことです。(^^:

おそらく神経質症者が常に不安なのは、基本的には
その過去の体験に類似したもの、あるいは類似して
いると感じていることに対して、だと思います。

基本的にと書いたのは、他の不安に対して反応
することもあるかも知れない、という意味です。
心の奥のことは、誰にも分かりませんからね。


ともあれ、
通常の不安が、過去の不安を呼び覚まし、
両者がタッグを組んで神経質症者に襲い掛かる、
というのが神経質症の不安のメカニズムです。


神経質症の正体

ではなぜ、僕たちは、
そんな強い不安・・症状に襲われなくては
いけないのでしょう?

それは「生きたいから」です。


通常の不安の説明(そもそも不安って、どんなもの?)
で書きました通り、不安は自分の『死生』(生き死に)
に深く根差したものであり、それは先ほどの
『過去の体験で持った不安』も同じです。

そして、
これも先ほど、不安が持つ役割で書きましたが、
不安は自分の生命を守る警報機のようなもの
でしたね。

つまり、これらのことを総合してまとめるなら、
神経質症の正体は、
「死にたくない、生きたい」
と云う気持ちが非常に強く、
そしてそれが固定化されてしまっている状態。
と云えると思います。

つまり、自分の生に強いこだわり(執着)がある
と云い換えることもできるでしょう。

そしてこれが、神経質症の正体です。


もちろん「死にたくはない、生きたい」と思うのは
何も症者だけではありません。誰しもが思うこと
だと云えます。

しかし、たとえば、『過去の体験で持った不安』が
とても強大であったと想定し考えてみると、分かり
やすいかも知れません。
おそらくそこで「生」に強い執着が起こるような
体験があったのかも知れません。

そしてこれはこの後の章で述べますが、
そもそも神経質という性格になること自体・・
その性格が形成される時期に、すでに「何かあった」
と考えるのも妥当かも知れませんよね。

もちろん、その性格形成の時期と、前出の
『過去の体験で持った不安』が同一である可能性も
あるわけですが、それは分かりません。

ただ、いずれにしても云えるのは、
症者自身が、誰しもが思う
「死にたくはない、生きたい」気持ち以上に、
「生きる」ことに執着してしまっている事実が
あると云うことです。

そしてさらに・・・
その執着の先にあるのは、
もっと素晴らしい生なのかも知れません。

なぜなら神経質症になる人は、みな完全欲の
強い人、理想の高い人ですからね。

そんな完全・完璧に、
だから、絶対に失敗は許されない・・・
と云う気持ちが、さらに強い不安(症状)となって、
逆に、何も出来なくさせてしまっている・・・
だって、失敗したら、
人生までも終わりと思ってしまうから・・・

※完全・完璧である為に『こうあるべき』という
決め付けで自身を固めてしまう。
そうなると本当は歩行者天国のように広い道なのに、
その道路に『こうあるべき』の綱を敷いて綱渡りを
始めてしまう。
そんな細い綱から ちょっとでもハズレてしまったら
終わり・・・と、そんな感じですから、とても不安定
で、本人も常に強い不安に晒されて、ついには「何も
出来ない」状態になってしまう・・とも。


そして・・・
って、まだあるの・・・? ですよね。(^^:

はい、この章の最後に、
症状を深めてしまったり、長期化させてしまう原因
を書いて終わりたいと思います。^^ゞ

その前に、ちょっとコチラを読んでみてください。


症状そして悪循環の元凶

さて、章自体が長くなってしまったので、無駄話は
やめて(汗笑)、要点だけささっと書きますね。(^^:

その症状を深めてしまう悪循環の元、元凶は、
不安に対する意識の固着です。

これは至って簡単なからくりです。
例えば・・・
あなたは今、新聞広告のハンドバッグが欲しいと思っ
ています。それを欲しいと、思い続ければ続けるほど、
ハンドバッグに意識が向かい、離れなくなります。
そして、それを手に入れるか、他の物事に目が向か
ない限りは、いつまでも思い続けることでしょう。

これと同じです。(^.^)

ただ相手が、不快な不安であるだけのことなのです。
不安も思えば思うほど、あなたのそばから離れなく
なります。

そしてさらに悪循環に追い打ちをかけてしまうのは、
誤った認識による不安の排除です。

『何故不安が起こるのか』。
このことを長々と説明したのは、実はこの為です。

僕たちは、不安が起こると、苦しい不安に釘付けと
なり、その不安の排除に夢中になってしまい、大切な
ことを忘れてしまうのです。

そう、不安とは欲求充足に対する危機感なのですから、
それを軽減させる為には、本当なら、そんな(不安と
いう)バケモノと闘うより、欲求を実現させる努力を
すれば良いのです。

しかし神経質症になると、苦しい不安の排除に
躍起になってしまう。

「この苦しみがなくなったら、なんでも出来る」
「この苦しみさえなければ、人生はもっと違うはず」
と。
そうした誤った認識での立ち往生が、神経質症者の
悲劇(悪循環)なのです。


僕も神経質症に悩んだとき、いつも(相手のいない)
空気に向かって刀を振り回しているような気分でした。
そしてヘトヘトになりながら、
「これが神経質症の正体なんだ」
と実感した記憶があります。
 

さて、長々となりましたが、神経質症脱却のカギは、
どうやら誤った認識の修正と、今後の行動方向にあり
そうですね。

勿論、改善の余地はいくらでもあるので大丈夫です。
その事は、また別章で書くことに致します。

とりあえずこの章では、不安のメカニズムと、
神経質症の正体を、なんとなくでも掴んでおいて
ください。(^.^)


※また、森田療法ではありませんが、精神分析学から
見た神経症の不安と神経症の正体についての記事が
あります。よろしければご覧になってみてください。

関連リンク 神経症の不安と神経症の正体
姉妹版、神経症と精神分析学へ移動します。

 



・このコンテンツは1998年に執筆者のプライベート
サイトに掲載したものを2015年に再編集したものです。

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