あるがままに生きる(1)

さて、回復への一歩のラストを飾るのは、森田の代表
的な言葉である『あるがまま』です。

数年前、知り合いの女子高校生が「あるがまま」を
会話で連呼していたので、聞いてみると
「自分らの仲間では、けっこう流行っている」
と云います。

で、ちょっと嬉しくなって♪、
「どういう意味で使われているの?」
と尋ねたのですね。そしたら、
「気の向くまま、思うまま、自分の思うとおり♪」
という返事が来て、ガクッ(。_・)ときた思い出が
あります。(苦笑)

まあ^^;、「あるがまま」は、森田の特許でも何でも
ないので、それはそれで仕方ないのですが(笑)、
彼女らの流行の発信元が『森田療法』で無ければ良い
なぁと、思わず祈ったものです。(;^_^A (苦笑)


僕にとって『あるがまま』は、
「これをどの様に伝えると、どの様に伝わるのか」
が、森田の中でいちばん気になる言葉です。

それは、この言葉が神経質症の克服にとても重要な
事柄なので、その意味を正確に伝えたい、しかし、
簡単な言葉だけに、伝達が難しいと云う意味です。

なので今回は、出来るかぎり わかりやすい例えで、
僕なりの あるがまま を書いてみます。いざ・・・


『あるがまま』がわかりづらければ、
『何もいじらない 感じたままの気持ち』
と、まず訳して良いと思います。

たとえば日常の中の、
焦る、腹が立つ、苛立つ、悲しい、不安、怖い、嬉し
い、楽しい・・・

『あるがまま』は、そうした感情の、感じたまま(思
ったまま)、そのものです。

そして、毎日の行動の中で、僕らが持つそうした感情
は決して単一ではなく、同時に複数だったりします。

たとえば・・・

久しぶりの彼との再会に胸が躍った。でも同時に一緒
に過ごせる時間の短さに、焦りを感じた。
どうして好きなのに一緒に居られないのか。悲しさ
同時に彼を転勤させた上司に、強い腹立ちを感じた。
いつまでこんな生活が続くのか、一緒の時間が楽しい
ほど不安でたまらなかった。

これは簡単な一例ですが、一つの事でも、これだけの
思い(感情)が、僕らの中に交錯している訳です。

よく「複雑な気持ち」と云いますが、まさにその通り
ですね。(^_^;)まさに「とても一言では云い表せない
」ってやつです。

そんなこんなの複雑な気持ち(浮かんでくる感情)を、
すべてそのままに過ごすことが、あるがままである
(あるいは、あるがままな生き方)と云えると思い
ます。

ただ、ここでは簡単に云ってのけてますが、これが
また難しいのも事実です。

何故なら、人間にとって、悲しい、苦しい、不安など
負の感情は、仕方が無いとは思いつつも、やはり
不快で重荷ですから、どうしても排除したくなる・・・
それも人情だからです。(^_^;)
難しい・・・そう、難しいのです。(^_^;)


それでも『あるがまま(な生き方)』が大事と云うの
は、何故か? 

それは、
負の感情に対して、嬉しい、楽しいなどの正の感情は
表裏一体(渾然一体)にあるもので、本来、決して
切り離すことは不可能だからです。

だから、苦しいからと云って、負の感情だけを
打ち消そうとしては、いけない・・・

たとえば、

大切で、いとおしいものだから、その事を失いたく
なく悲しく不安な気持ちにもなる。

反対に、悲しく不安だから、いっそう大切で、
いとおしく思える。

つまり、大切で、いとおしいものだからこそ、
悲しく不安にもなるのです。

ですから極端な話、そこから悲しく不安な気持ちだけ
を切り離してしまうと、一緒に大切で、いとおしいも
消失して「どうでも良いモノ」になってしまいます。
もっと正確に云えば、切り離すと、その物事すら存在
意義を失くしてしまう。f^_^;

まあ、不可能だし、有り得ないことですけどね。(^_^;)

しかし、その不可能な『負の感情だけを切り離す』
ことを、無謀にもしようとする(思想の矛盾)のが
神経質症なのです。f^_^;

その気持ち、わかるんですけどね。でも、残念ながら
不可能なのです。(^-^;


では、その掟(おきて)を破って、それでも打ち消そ
うとしてしまうと、どうなるのか?

その負の感情だけを不快で、良くないものとして打ち
消そうとすることを『はからい』と云うのですが、
そのときには不快を排除することに躍起で、負の感情
だけしか見えていない(視野の狭窄)わけです。

そうなると、意識が苦しい、不安だけに集中しますか
ら、ますます負の感情だけが増幅されて、本当はそれ
ほどでもない事でも負の感情←こんな感じに^^;
膨れ上がってしまう(精神交互作用)・・・

これが神経質症のからくり(正体)とも云えるでしょ
う。


ちょっと長くなりましたが、森田博士は、そうした
感情の綱引きを見て、
「そんな不毛な闘いをしているから、ますます不安に
縛られてしまうのですよ」
という意味で、あるがままの大事さを、唱えたのだ
と思います。   


もちろんこれは、あるがままの、ほんの一部分ですが、
この『何もいじらない 感じたままの純粋な気持ち』
のままに生きられたら、どんなに楽か、と思いません
か?

たとえば、大好きな人と過ごす時間が、楽しく大切と
思えるなら、いかに『いま、ある』二人の時間を有意
義に(楽しく)過ごすかも考えられるし、そのほうが
よっぽどお得だと思うのです。

何故って僕らは、終った過去や、不安の未来ではなく、
『いま、ここ』に生きている訳ですからね。(^-^)


次のあるがままに生きる(2)では、
それでは、どうしたらあるがままで居られるか・・・
について、を書いてみたいと思います。(^.^) 






・当記事は1998年に執筆者のプライベートサイト
に掲載したものです。
尚、時間経過により陳腐化した箇所のみ加筆、修正し
ました。また文章はスマートフォンで読みやすいよう
編集してある為、パソコン画面では読みづらい部分が
あるかもしれません。あらかじめご了承ください。


 
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