あなたの神経質と、私の神経質は違う?

むかしむかし、ある会話の中で、僕があまりにも
神経質の良さを語ってしまった為に、

「それはあなたの神経質と私の神経質が違うからで、
私には無理ですよ」と云うお言葉がありました。

あなたの神経質と私の神経質は違う?
ん?違うって、いったい何が・・?
しばらく、その人のいう「違う」の意味がわかりま
せんでしたが、会話を続けているうちに
「なるほど、そういう意味か」と合点できました。


おそらくその人と僕が話題にしている『神経質』は
同じなんです。
でも、『神経質』に対して持っているイメージが
『違う』わけですね。

仮に僕が『神経質』を「ありがたいもの」として重宝
している、としたら、
その人は「嫌なもの」として足手纏い(あしでまとい)
にしか思えていない。

だから
「私とアンタの神経質は違う。似て非なるものなのよ」
って話になる。

なるほどです。それだったら確かに「違う」って云い
たくなりますよね。

けど、そうなると、
それは雲泥の差で、見過ごせない大問題です。

   
おそらく、その人は神経質であるが為に、いままで
嫌な思いだけしかして来なかったのでしょうね。

だから当然「嫌なもの」としか考えられなくなって
しまったのでしょう。

もちろん、ありがたく重宝していても、
「まったくオレって神経質だよなぁ(^^:」
と苦笑いしたくなることだって多々あります。

でも結局、神経質を「足手まとい」と思う以上に、
神経質であることの恩恵が感じられるから、
「まあ、しょうがないか」
と笑って済ませられるのです。


しかし、僕みたいな(神経質に)好意的な人間のほうが
少数派で、おそらく大多数の人が、その人と同じネガ
ティブイメージなんでしょうね。

僕はそのとき強く反省しました。

神経質の良さを皆さんに知ってもらいたい、広めたい
と思っている人間が、いまさら、そんなことを気づか
されてどーするよ、と。(ーー;)
いい勉強になりました。(^^:(*^-^)


さて、僕のそんな反省話はともかく、(汗笑)
そんなに大多数の方がネガティブイメージなのだった
らなおさら、この記事を良い機会にして、ちょっと
だけでも神経質を見直して頂けたら嬉しいです。

もしあなたが
「神経質は苦痛なだけで、良いことが一つもない」
と思っているのでしたら、それは大変もったいない話
です。

ぜひ、神経質から受けている恩恵を見つけ出してみて
ください。
きっと、あなたの人生は一転して明るいものになると
思います。


え? 恩恵のたとえば・・・と、見つけ方ですか?
そうですね・・・

たとえば僕自身の半生を振り返ってみると、
経理や総務などの細かい仕事をして、それなりに認め
てもらえたこと。そしていま、カウンセラーという
仕事をし、心理学の勉強ができていること。
これらはたぶん、僕が神経質だからできたこと、
できていることだと感謝しています。


と、こんなふうにみなさんも自分の人生を振り返って
みたら、「ああ、あのとき・・」と思い当たることが
一つふたつあるのではないでしょうか。


でも、どうしても見つからない。
これから見つけるのであれば、これから書くことを
やってみてください。

と云っても話は簡単、とにかく、
自分の神経質を他人の為に使ってみてください。

たとえば、いますぐにでも出来ることとしては、
意識的に相手の気持ちを考えてみる。
意識的に相手の立場に立ってみる。

そうすると案外、気づかずにいたことが出てきて、
本当に相手の為になる(感謝される)手助けができる
と思います。(⇔自己満足、独り善がり)

その他には、これも『他人の為』ですが、とにかく
『人の為に尽くす』ことですね。

なぜそうした『他人の為』が良いかと云うと、
神経質な人はどうしても自分に意識が向かいがち、
つまり自己中心的になっていることが多いのです。

ですから、自分についての些細が気になって、
嫌な気持ちしか残らない。

しかし、それを他人に向けることができれば、
「細かな気遣いありがとう」と感謝されるようになり
ます。

そうなると自分も気持ちがいいですし、
「神経質も悪くない」と思えるようになる・・・
という好循環の図式です。


この提案、如何てしょう。
やってみませんか。
必ず見つかるはずです。(^-^)(保証)



 


 

・当記事は1998年に執筆者のプライベートサイト
に掲載したものです。
尚、時間経過により陳腐化した箇所のみ加筆、修正し
ました。また文章はスマートフォンで読みやすいよう
編集してある為、パソコン画面では読みづらい部分が
あるかもしれません。あらかじめご了承ください。


 
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