神経質症が治るとは

神経質症は、治す必要がない

神経質症は、病気ではありません。

自分が持っている性格傾向の延長線上に在るもので、
治る・治らないというシロモノではないのです。

だから治す努力も不要
そんな努力はかえって邪魔になります。

よく
「お医者さんに治してもらう」
「精神療法で治してもらう」
と云いますが、回復させるのは、あなた自身であり、
医師や療法家ではないのです。この辺を勘違いして
しまうと、いつまでも神経質症から抜け出すことは
出来ません。

くどいようですが、神経質症はクスリを飲んで寝て
いれば良くなるというものでもありません。


では何故、病院に行きなさいと云われるのか、
矛盾してますよね。

それには、いくつか理由があります。その一つは処方
薬によって症状を軽くして生活しやすくする目的があ
り、軽症や初期であれば、慢性化させずに早期回復が
期待できます。また抑鬱状態があれば、やはり薬物の
力を借りることは必要です。また他の理由として、
症状に内科的な疾患が隠れている場合がある為で、
この場合も、それなりの治療が必要になるからです。

しかし神経質症にしても、他の内科疾患にしても、
回復させるのは自分自身であり、医者でも、クスリで
もないということを肝に銘じておくことが大切だと
思います。


いきなりショッキングな見出しと、記述かも知れませ
んが、これがすべてです。

自分次第と云われると「なんだ、そうなのか」と明る
い希望に嬉しさを感じる反面、大きな戸惑いと不安が
出てくるかもしれません。そしてどちらかと云えば、
後者の気持ちのほうが大きいかもしれませんね。


なのでここで再びエールをおくりたいと思います。

いま、あなたに必要なのは、症状の辛さに尻込みした
り、症状を隠れ蓑にせず、前向きに生きて行くこと
だけです。

おそらく、本来、完全欲が人一倍強く、きちんとした
い あなたですから、逃げれば逃げるほど、自己嫌悪
も強く、悔しい思いではないですか。


ならば、勇気を出して、その悔しさを前へ押し出して
みませんかませんか?


治るということ

他の章にも書きましたが、性格傾向から発した症状で
すから、その性格傾向のバランスを整えながら、認識
(考え方)が変容されることが、治るということです。
 
その一番のカギを握るの性格素質は、
神経質性格ではなく依存型性格です。

そしてこれが前章『神経質症の素質』での
真犯人の答えです。

つまり、神経質症を発症させるか、させないかは、
この依存型性格であり、同時に回復のカギを握って
いるのも、この依存型性格なのです。


ではなぜ、そのように云えるのか・・・です。

神経質性格は確かに性格全体に大きな影響を与えて
おり、また症状自体も、神経質性格の延長線上にある
ことは間違いありません。

しかし、神経質性格は、もともと悪い性格素質ではあ
りません。ただ方向性が間違っているだけです。

そして、その方向性を誤らせているのが、依存型性格
と云うわけです。

つまり、依存(甘え)の強い幼弱性が、自分本位な行動
となって現われ、神経質性格をはじめとした性格全体
の良い面を潰してしまっているのです。

例えば、神経質性格の良い面である繊細でよく気がつ
き、粘り強い性質も、依存型性格の自分本位(自己中
心性)に向かえば、自分のことだけに執拗、敏感で、
傷つきやすいものになってしまいます。

つまり、せっかくの良い面も、自分を傷つける刃物に
なってしまうわけです。

もちろん、その他の性格素質にしても、せっかく良い
面を持っていても、それが自己中心的に使われてしま
えば、やはりそれがすべて自分に向ってしまい、不必
要に不安を抱えるだけの状態になる・・・
それが神経質症と考えて頂いて結構です。


ですから、神経質症というと、神経質性格を目の敵に
して、躍起になって直そうとしてしまいがちですが、
いくら神経質性格を叩いてもダメなのです。(^-^;


少し説明が長くなりましたが、そうした理由から、
依存型の幼弱性から脱して、成熟した精神を持つ
ことが、治ることの必要条件になるわけです。

つまり、
依存の対局にある、依存型⇔自立型←これですね。 

そして、それが森田の云う『人間の再教育』です。


そう、治るとは、症状が消えることではなく、
あなた自身が変ることなのです。


それには とにかく・・・

百万遍の説法を聴くより、実行。行動ありきです。


たしかに、すべての責任を負う大人になることは、
不安だし、苦しいことです。

でも、だからって、このままで良いのでしょうか?

とにかく、行動してみませんか?


それにはまず、心のことは放置して、つらくても、
大人の振る舞い(行動)を続けてください。
すると自然と自分本位から、目的本位へと変わり
内向きだった心が自由になるはずです。

そしてその多くの体験から、
物事は流れている 心も流れている
ことが実感でき、神経質症から解放されるだけでなく、
「あるがまま」な生き方ができるようになります。


あなたも不安なものは不安なままに、いまは苦しくて
も勇気を出して、動き出してみませんか。

きっと素敵なことに、巡り会えますよ。(^^)


まとめ

神経質症が良くなるとき

神経質症が良くなる時は、ほんと呆気ないです。
いままでの苦しみは、何だったんだろう?
と思うほど。


その良くなるときの『本流』は一つなのですが、
だいたい次の2つのパターンです。

Ⅰ、症状に散々に振り回されて、もうクタクタで、
したいことも出来ず、つまらない人生だなぁ。
「もういいや。良くならなくてもいいよ」と ヤケで
もなく「でも、疲れちゃったし」と なかば、あきら
めに近い気持ちで「どうにでもなれ」となったとき、
症状が消えることが多々あります。

つまり「なんとかしよう」と、もがいているときは
意識が症状に向かっているので、皮肉なことに かえ
って症状を追いかけ深めてしまっている訳ですね。


Ⅱ、瀬戸際に追い詰められたとき。あるいは、
何か夢中になることが出来たとき。

たとえば、①子供が急病になったとき。②休職してい
たが生活費が底をついて、働かないとニッチモサッチ
も行かなくなったとき。③寝食忘れても「やりたい」
と突き動かされる何かが見つかったときなど、 気が
ついたら症状を忘れてた、なんてことが多々あります。

つまり、いままで(内面に)固着していた症状への
意識が「やらなくてはいけないこと」や「やりたいこ
と」に(外面に)向かうことで、忘却の彼方(かなた)
に葬り去られる、という感じですね。


もちろん、上記Ⅰ、Ⅱの状態は、意図的・作為的に
作れるようなものではありません。もし作為的にその
状況を作ろうとしてもそれは症状を意識してのこと
であり、むしろ症状への固着を強める結果になって
しまいます

この辺が『心のこと』の難しい部分ですね。


症状が完全に消失し、
「いままでのあのツライ出来事は何だったのだろう?」
と思えた時が完治。

『陶冶(とうや)』※です。

おそらく、症状のない嬉しさ以上に、いままでの
自分が嘘のように、感じ方、考え方も変わっている
と思います。

そう、『生まれ変わった自分』との出会いです。


個人差があるので、いつそうした『陶冶』を迎えられ
るかは、分かりません。
しかし、そういう日は必ず来ます。

でも待っているだけでは来ません。(^^:
つらくても日々に『いまできること』を続ける
ことが肝要です。

しつこいようですが、
大事なのは治す努力よりも、
毎日の生活を一生懸命に送る努力です。


つまり、
良くなることをあきらめず、
症状をあきらめる。
ですね。

そうすれば、必ずや
「いつの間にか症状が消えていた」
という日がやってきます。

約束します。

 




・このコンテンツは1998年に執筆者のプライベート
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