神経質症の陶冶 (とうや)

『陶 冶(とうや)』

もともとは陶器や鋳物をつくることですが、転じて、
その人のもつ性質や能力を鍛えあげるという
意味があります。

つまり神経質症の陶冶とは、症状からの脱却だけ
ではなく、人間としてのステップアップ
化学反応で云えば昇華です。



この神経質症の完治、陶冶は、実に見事な命名だと
個人的に思います。

なぜなら、森田博士は、神経質症の陶冶に必要な
ものとして『人間の再教育』を掲げています。

つまり、
その再教育がきちんと成されていなければ、
いくら症状が治まっていたとしても、
完治(陶冶)ではない・・という意味にも読めます。

実は・・・ここからは僕自身の話ですが・・・

僕は10歳のときに発症し、20歳のときに症状が
消えたのです。

僕は「わーい」とその解放感から、
勉学にも仕事にも真面目に勤しみながらも、
反面、依存性のある性格はそのままに、結構、
テキトーくんだったように思います。(^^:

そして、30歳で見事に再発・・・
今までにない強い症状に見舞われます。

そのとき・・・
症状が一旦消えた20歳から30歳の10年間を
改めて振り返ってみると、そこに
人間としてのステップアップなど、
どこにも見当たりませんでした。(^^:見事なほどに

つまり、云ってみれば、陶冶とは程遠い状態で、
再発も当然の結果、だったわけです。

そのとき僕は
「たしかにそうだ!」
と再発のワケ(理由)も、陶冶の意味も、
深く納得できたのでありました。(^^:

 

 

・当記事は1998年に執筆者のプライベートサイト
に掲載したものです。
尚、時間経過により陳腐化した箇所のみ加筆、修正し
ました。また文章はスマートフォンで読みやすいよう
編集してある為、パソコン画面では読みづらい部分が
あるかもしれません。あらかじめご了承ください。


 
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