自分の心身は意のままにならない

自分の持ち物でありながら、自分の『意のまま』にならないのが、心身です。

意外なことですが、自分で自分の身体をコントロールできるのは、随意筋と云われる筋肉を動かす機能と、それを動かす意思機能だけです。

手や足などを動かす機能ですね。 

しかし、その数少ない自由さえ、緊張やプレッシャーなどの大きなストレスが加わると、ぎこちなくなったり、時にはストライキ(ヒステリー麻痺)を起こして
しまいます。ホント、人間の心身とは丈夫だけと、繊細なのですね。^^;

そのほか例えば、自分の意思で呼吸を止めることは出来ても、心臓を停めることは出来ません。

そうした人間の様々を調べていくと、いかに心と脳、そして身体の三身が別々であるか、そして別々でありながらも、いかに密接に関係しているか・・・が分かると思います。
 

さて、気持ち・感情・・・これも意のままにならないものです。

電車で隣り合わせた不快なオジサンを見て、「嫌だなぁ(`_´ )ゞ」と感じるのは自然な気持ち。不快なものは不快です。これは仕方がありません。

これをもし、意識的に「不快でなくそう」とすると、焦りや、様々な葛藤ジレンマに襲われて、ますます混乱してしまいます。(@@;)(森田療法、精神交互作用)

森田では、この「無理なことを可能にしようとする」考えや行為を『思想の矛盾』と呼び、不毛なだけではなく、ますます葛藤を強めるものとして、戒めています。

不快なものは不快な気持ちのままに放置しておけば、自然と その感情は放物線を描いて消失していく。(森田療法、感情の法則)

つまり「自分では どうすることもできない感情は、そのままにしておきなさい」と云うことなのです。


それでは、そのときの気分(感情)を変える為の手立てはないのか。
つまり感情をコントロールする方法はないのか・・・

間接的ではありますが、ひとつだけあります。

それは『行動』です。

人間は幸いにして、心(感情)と、脳(思考)は別々の働きであり、いくら心が乱れていても、脳の指示によって身体を動かすことが可能です。

このことを利用して、身体を動かすことによって、昂ぶった感情から意識を離すことが可能になります。
わかりやすい云い方をすれば『気分の変える』ですね。(^.^)

上の例で云えば、目線をオジサンから逸らせて、車外の景色を眺めるとか、別の車両へ移動するとか・・・そういう行動が良いでしょうね。

オジサンから目を離すことによって、関心が他へ移り不快な感情が徐々に薄れて行くのです。

実は、こうした行動を僕たちは、日ごろ無意識的に行って、細かなストレスから自分を守っています。

そうした作用を意識的に利用すれば、間接的に感情をある程度コントロールすることが出来る訳です。


ただし、いくら行動することが良いと云っても、いきなり「おじさん、不快だよ!あっち行って!!」
などと云う行動は、しないようにね。(^_^;)オジサン可哀想だし。(苦笑)

これを森田では『感情には責任はないが、行動には責任がある』と云って戒め、大人の行動をとるよう促しています。

 

余談・・・自分の気持ちを変える・気分転換の方法・・・

森田の言葉に『外相整いて内相おのずから熟す』があります。

身を引き締めるための制服効果と云うのがありますが、この言葉にはそれに通じる意味があります。

例えば、パイロットやスチュアーデスさんたちの、あのキチンとした身支度は、なにも外見を良く見せるだけではなく、自身の気持ちを引き締めると云う意味合いが強いのです。

べつに寝巻やパジャマ姿でフライトしても かまわないのですが、それでは気持ちが引き締まらないことは、想像しただけでも分かりますよね。


気持ちが凹んだときなど、外装にまで気が回らないものですが、あえて服装や化粧をバッチリ決めてみると、気分もシャキとして気持ちが良いものです。

いちどお試しください。(^.^)
 

よく間違われることですが、『心(感情)』と『脳(思考)』は、違います。
つまり、混同されがちな『心』と『脳』は、別々なところで働いているのです。
この違いが なんとなくでも分かると、感情のコントロールも出来るようになると思います。d(-_^)


 




・当記事は1998年に執筆者のプライベートサイト
に掲載したものです。
尚、時間経過により陳腐化した箇所のみ加筆、修正し
ました。また文章はスマートフォンで読みやすいよう
編集してある為、パソコン画面では読みづらい部分が
あるかもしれません。あらかじめご了承ください。


 
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