受け入れるって、どんなこと?

よく「受け入れましょう」とか「受け入れが難しい」
という会話をしますが、みなさんにとって、
「受け入れる」とは、どのようなものですか?

私たちにとって、物事や相手を自分の中に受け入れ
ることが、重要であり、同時に、難しいことであるこ
とは認識されているようですが、いま一つ、キチンと
把握されていないように感じます。

また、その把握されていない部分が、この『受け入れ
ること』を、拒絶と、困難にしているような・・・

そこで今回は、その受け入れることについて、
考えてみることにしましょう。


数年前、20代前半の後輩たちと、この受け入れに
ついて話し合ったことがあります。

そのとき、共通して出たイメージが
『受け入れ』=『納得すること』あるいは
『消化すること』でした。

つまり「自分が嫌なことも、やがては受け入れられる
と思うが、それは納得、消化できるまで無理」と。

「それじゃ極端な話、納得、消化できなくて、一生
受け入れられないモノも、あるってことね」
と聞くと、
「そう」という返事が返ってきました。

それは、ある意味「なるほど」なんですけど、とても
消極的に感じたのです。

納得は、たしかに難しい。
でも本来、受け入れと、納得や消化とは、別物のよう
な気がします。それを混同してしまうから、難しく、
困難になるのではないでしょうか。

  
たとえば、カウンセリングをしていると、いろいろな
人と出会い、対話を重ねます。
そのとき私は、クライアントのすべての話を納得して
聴いてる訳ではありません。

ときには「うーん」と、うなりたくなるような内容も
正直、あります。

でも、その人を認めていなかったり、受け入れていな
いか・・・というと、そうでないのです。

自分に理解の難しい部分も含めて、表現は難しいです
が『そういう人なのだ』という受け入れが自然と出来
ているのですね。

たぶん、こういう話をすると「オマエは、そういう
訓練を受けているから出来るのだ」とか、
「自分の利害に関係ないことだから、出来るのだ」
というお叱りを受けるかも知れません。

それをすべて否定はしませんが、ただ、不可能ではな
いと云うことも事実なのです。


さきほどの後輩たちとの、会話を載せてみます。
彼らの意見が大多数の人の認識なのかな・・・
ということで、参考にしてみてください。

Aさん「受け入れって、そのことを認めることですよ
ね?」

「認めるにも、いろいろあるけど、とりあえず受け
止めないとね」

Aさん「わからないのが、どんなことでも認めなくて
はいけないのか・・・ということなんです」

「なるほど。自分が嫌だなと思うことも、認めない
といけないか・・・ってことね」

Aさん「はい。嫌なことって、認めたくも、受け入れ
たくもないですよね」

「心情的にはね。でも、それを自分の中で一旦受け
止めないと、先に進めないことって、多いでしょ?」
 
Bさん「ぢゃあ、自分にとって、とても理不尽で、思
い出しても鳥肌が立つようなことも、消化しないとい
けないのですか?」

「もちろん、すべてを受け入れなければイケナイと
いうことも無いし、どうしても受け入れられないモノ
だってあるから、それは仕方ないと思うのね。 ただ
いま話を聞いて、気になったのは、受け入れが、
自分にとっての好き嫌い(正か誤か)の感情的な部分
だけで処理されているような気がするのだけと・・・」

Bさん「受け入れって、そういうことでは、ないので
すか?」

「たしかに、そういう受け入れ方もあるだろうけど
自分の好みや感情で決めるのだとしたら、受け入れら
れる幅も随分と狭くなって、結局は、自分自身がつらく
ならないかなぁ・・・。それに客観性だって持てなく
なっちゃうよね・・それでも、やっぱり好みや感情?」

Aさん、Bさん「・・・・」

「そうでもしないと、消化不良でお腹壊しそう?」

Aさん、Bさん「・・・(苦笑)」  


もちろん、二人の「嫌なものは嫌だ」「受け入れも難
しい」という意味もわかるのです。私自身、自分の中
にすーっと入りやすいのは、自分の感覚に近いモノや
、理解しやすいモノですから、気持ちはわかります。

ただ、世の中、自分の都合の良いものはわずかで、
むしろ意に沿わないモノの方が遥かに多いのも事実で
すよね。

まあ、それでも上手く処理できるものもあるけど、
そうでないことの方が、多い。

そうなると、たとえ『一旦』や『保留』という折り紙
を付けてでも、受け入れてしまう・・・ということが
重要になってくるように思えるのです。


なので私がそのとき提案したのは「良いも悪いも、と
にかくそのまま飲み込んでしまったら?」でした。

たとえば、自分がイジメに遭った。相手は、とても
自分では理解出来ない難癖をつけて攻撃してくる。
そんなとき思うのは「ああ、こんな奴、信じられない。
わかりたくもない(ーー;)」ですよね。

そしたら、それを、そのままの記述で、とりあえず
自分の中に入れてしまうわけです。

そうすると『あいつは自分には信じられない、とても
嫌な奴』という受け入れが出来たことになります。

しかも「こんなヤツ嫌いだ」という感情も
自分の気持ちを偽る(誤魔化す)ことなく、そのまま
心に保存できたことになりますよね。


何故、そんなこと提案したかというと、表面的
な拒絶だけでは、何も始まらないからなのです。

逆に、嫌なものは嫌なもの・・・という風に、受け
入れてしまえば、そこに客観性と云うゆとりが生まれ
ます。

受け入れてやったぞ・・・という、優越と考えても
良いでしょう。

そうすると不思議なもので、見えなかった事実がわか
ってきたり、自分の思い込んでいた部分にも気付けた
り・・と、行き止まりのように思えた壁に、新たな道
が見えるようになるものです。(^.^)


自分が納得できること=受け入れる
だとすると、それはたしかにつらいことだと思います。

なのでここは、
『納得するもしないも、とにかくそのまま、
飲み込んでしまう』を、してみませんか?

私はこれを勝手に『まるのまんま理論』
と呼んでいます。(^-^)

 

もしまだ「納得いかない~(ーー;)」という場合、
受け入れるって、どんなこと?(2)を書いてみました。
下の『次へ』で進んでご参照ください。^^ゞ

 




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