第二章 自分を大切にする 自分を粗末に扱ってはいけない

「自分を好きになりましょう」、「自分を好きになっ
てください」という言葉をよく耳にします。

もちろん誰だって、嫌いになるより、好きになりたい
のは当然のことですが、いきなりそんなことを云われ
ても、気持ち(心)の問題もありますから
「そうですね。私も、そう思ってました」
と、簡単に出来るものではありませんよね。


それなら、
自分を粗末にしない行動ならばどうでしょう。

気持ちの問題は自分の意のままにならなくとも、
行動なら出来るのではないでしょうか。

しかしこれも、いきなり訳も分からず、では行動のし
ようもないと思うので、何故『粗末にしない行動』が
良いのかを、少しお話させて頂きます。

「常に生き苦しさを感じる」、「自分に自信が持てな
い」などを訴える方々を見ていると、
「自分はダメな人間なんだ」や
「どうせ自分なんて」という、
自己評価の低い初めから自分を見放してしまったよう
な部分に突き当たります。

もちろん、それが本心であるとは思えませんし、むし
ろ、そうではない自分を認めたい気持ちが強いから、
そのような態度に出てしまうのだと解釈できます。

あるいは、相手から「そんなことないよ」と慰めて、
尊重して欲しい気持ちがあるのかも知れませんね。

しかし、現実には、そうした気持ちや言動を持つこと
自体で、すでに自分を見放すという、自分を粗末にし
た態度をとってしまっているわけです。

これでは、生き苦しさを感じたり、自信が持てないの
も当然のことで、到底『自分を好きになる』に程遠く
なるのも無理はありません。

やはり肯定したい気持ちがあるならば、自分自身の手
で、自分を大切にしなければ、満たされることは難し
いと云えるでしょう。

それならば、まず自分を粗末に扱うことをやめるとい
う行動から始めてみてはどうか、ということが、
この章での提案です。

つまり、悪循環の鎖を断ち切り、好循環に切り替える
為の、ムーブメント(行動)ということですね。



【何事も、やってみないとわからない】

具体的な提案は、2つあります。
まず簡単な、日常(身の回り)のことです。

私たちは、意識しないと日常を結構「雑に」過ごして
しまう傾向があります。

たとえば、夕食を考えるのが面倒だから・・と、
コンビニ弁当やレトルト食品で済ませてしまうこと
ないですか?

もちろん、それが「週に一度」くらいであれば、
そうした面倒がること(手抜き)も良いかも知れません
が、それが日常的(ほとんど毎日)となると、自分の
心や身体を粗末に扱っているとしか云えません。

あるいは、横断歩道の信号は守っていますか?

そんな横断歩道の話にしても、もし信号を守らず、
事故に遭ってしまったとしたらそれも
「自分を粗末にした結果」と云えるわけです。

仮にそんな気持ちはなかったとしても、
結果的に「自分など大切にする価値がない」
と云っているようなものですからね。(^^:

そもそも、生きること(生活すること)自体、とても
大変で、ある意味、面倒なことも多いものですし、
逆に「楽なもの」なんて甘く考えてはいけません。
(^^:

しかし、それを「面倒だから」と、やらずに済ませて
いると、どんどん人間の心って「どうでもいいや」
と荒んで(すさんで)しまうのです。

そんな荒んだ自分なんて、好きになれませんよね。

なので、1番目の提案は、
まず自分自身の身の回りのことから「粗末にしない」
を始めましょう。

具体的には、
「自分の為に」行動自体を(面倒がらず)
一つひとつを『丁寧に』やってみてください。
洗濯物のたたみ方や、歯ブラシの仕方とか。

そして、何か一つだけでも贅沢をしてください。
いつも安い化粧品だけど、口紅だけは豪華とか。
時計だけは「こだわりました」のように。

そうすると、自分自身が喜び、満たされ、
毎日が驚くほど楽しくなりますよ。(^.^)



それから2番目の提案です。
それは小見出しの通り、
「何事も、やってみないとわからない」
のですから、自分の可能性を探る目的でもかまいませ
んので、何かにトライしてみてください。

それは「今まで気になっていた習い事」
「修正したいと思っていた性格のこと」
何でも構いません。

何もしないうちから「失敗したら・・」と、
あきらめてしまうのは、もったいないことです。

そもそも、はじめから上手くいくような簡単なこと
なんて、この世には無いのですから、むしろ
「うまくいかないのが当たり前」なのです。

しかし、それは分かっていても、何かを始めるには
勇気がいります。不安もあるでしょう。緊張もする
でしょう。

ですが、自分を拓く(自分の世界を広げてゆく)と
いうことですから、勇気や緊張、不安などは、
「これも当たり前のこと」なのです。

何故なら、可能性とは未知の世界なのですから。

もちろん、
「それは怖いからやめる」という選択も自由です。

しかしそれは、自分に自信が持てない、という
『つらさ』を引き続き選択するという意味ですから、
酷な云い方ですが、それを受け入れなくてはならない
のです。


ならば、同じつらい時間を過ごすのであれば、
自分を粗末にしない・・・可能性を求める為のつらさ
のほうが、あなた自身の気持ち(欲求)に正直な
生き方と云えるのではないでしょうか。

なぜなら、
人間はより良く生きたいという欲望を、
すべてに優先する欲求として持っているからです。


しかしそうは云っても、いざ実践となると、それ自体
が、とてもつらいと云う人も、いると思います。

ここでこのような選択肢を、あえて提案するのも、
実は、そうした方への呼びかけ、でもあるのです。

余談めいた話になりますが、昨今みられる現象として、
退却神経症という言葉が生まれるほど、現代人は、
不安や緊張などを過度に恐れ、精神的な引き篭もり
を起こしてしまうということがあるからです。

つまり人間として当然起こり得る不安や緊張などが
異常な事に思え、そうなることに怯え、少しでも
刺激の無い世界に、はじめから逃避してしまう
です。

原因や理由は様々でしょう。
しかし、一つだけ云えることは、様々な経験を積む
べき多感な思春期に、外部からの刺激を無菌室のよう
な状態で遮断して過ごしてしまった。その為に、本来
通るべき道・・・失敗をしながら経験を積み、挫折を
しながら成長する・・・という過程を経ていない
があると考えられます。

そうなれば、不安や緊張、失敗を異常に怖がる、
という心理にも納得ができますよね。

しかし要は、あなたが異常なのではなく、いままで
が単なる経験不足だっただけ、のことなのです。

もちろんそれは、あなたの成育歴からきている、
のかも知れませんし、
あるいは、『現象』というくらいで、社会的風潮が
産み出した産物で、あなたは被害者なのかも知れま
せん。


さて、余談が長くなりました。

しかし、それを成育歴の問題である、時代の産んだ
産物である、被害者である・・・と云っても、
何も解決しませんし、あなた自身も、いつまでも
「つまらない人生」になってしまいますよね。

そこで、人間には自分を良くしたい(より良く生きた
い)という基本的な欲求があるこに着目しましょう。

つまり、
あなた自身が「気持ちに偽りなく正直に生きよう」
とすれば、自分の殻を破り、自分らしく良く生きる
ことは、いくらでも可能、なのです。

そして、それが、自分を粗末にしない生き方であり、
自分の気持ちを欺かない生き方になるわけです。

自分の気持ちに正直に生きることができれば、
仮に「失敗した」と思うことがあっても、
「まあ、いいか、次にガンバロウ」
と、どんな失敗も納得ができるはずです。

※納得できないのは失敗そのものより、自分自身の
回避的態度にある、とも云えますね。


ともあれ、
そうした経験を積み重ねで行けば、
「不安があってもいい」
「緊張するのは当たり前」
と、自然に感じられるようになり、
徐々にあなたらしさを活かせるようになるのです。

そして、自分らしさを感じられることで、
はじめて『自分を好きになる』ことも出来る
という話でした。(^^)



そもそも「失敗」とはいったい何でしょう?
失敗なんてものは、そもそも存在しないものです。

なぜなら、仮に上手く行かなくても、
その理由を次で活かせれば(挽回すれば)
それは試行錯誤の過程にすぎないのですからね。

そういう意味では「結果」という言葉も、
人生には存在しないことになります。

なぜなら、私たちは生きている限りが、
過程(プロセス)であり、みなさんが思う「結果」も
そのプロセスに過ぎないのです。

もちろん、これはどんな物事にも云えることです。

人間は常に過程に生きるプロセスな生き物です。




 

このコンテンツは1998年に作成され2015年に再編集
したものです。

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