第五章コラム 心を映し出すもの

よく『顔は履歴書』という云い方をしますが、
人の顔は進化も変化もしますし、
どんな生き方をしているのかが分かる
名刺のような気がします。

 
産まれたばかりの乳児は、みな『お猿顔』ですね。
それがだんだんと成長するにつれて、人の顔に
近づいてきます。

子供の目つきが、どことなく吊り上がっていて、
野性的だと思ったことはありませんか?
そう、見ようによっては、獲物を狙う動物のよう
に鋭く、怖く感じることもあるでしょう。

あれは単に、肌に張りがあって(とても羨ましい
ですが)という理由だけではなさそうなのです。

つまり、その人の心が反映している(映し出され
ている)わけです。

もちろん未知の世界への緊張もあるでしょう。
そして、何でも身につけてやろうという、好奇心
や野心もあると思います。

そして、そういう緊張や好奇心を抱きながら、
同時に、人の情に触れながら、辛さを乗り越え、
共感性(人の気持ちを理解しようとできる心)が
養われていきます。


もうお気付きですよね。
人の痛みの分かる、優しさを持った人は、どこか
穏やかな顔つきです。

それは、年齢を重ねて肌の張りがなくなっただけ、
では決してないのです。

そして、自分の考えをきっちりと持ち、懸命に
生きようとしている人の顔は、どこか精悍で、
美しいものです。


反対に、
周囲に甘え「してもらうだけ」の気持ちだけで
生きることは、並大抵なことではなく、むしろ
つらいことです。

人の好意を待っているのは受け身ですから、
相手に嫌わないか不安だし、
「いつしてもらえるか」も分からず、心配でなり
ません。

だからいつも、ハラハラと生き、不平不満ばかり
ですから、自然と顔も険しくなってしまいます。


子供がそのまま年老いてしまった顔立ちの人の
行動は、やはりどこか幼稚です。
歩き方や、行動も、どこか野性的(悪く云えば
『お猿さん』)に見えます。

平気でゴミを道路に投げ捨てる姿などは、どこか
バナナの皮をポイと投げる、まさにお猿さん。

やってはいけないという、運転中の携帯電話の
使用を平然と公開している(?)人の顔も、
どこか子供のように映ります。

童心の残った大人は魅力的ですが、
子供じみた大人とは違います。

顔が(自分の)履歴書と云われるのであれば、
やはり年齢相応の顔でありたいですよね。


もちろん、私は、そういう人たちを非難するつも
りで、わざわざ憎まれ口を書いている訳ではあり
ません。

ただ、同じ、人と成るべくして生まれた人間同士、
として、本来の人としての欲求・・・
人に認められ、愛されたいという欲望に、
もっと忠実であって欲しいのです。


顔立ちを良くしたいから・・・でも結構です。

心を映し出す顔ですから、
たまにはそういう視点で自分の顔を鏡に映し、
省みてみるのも、大事だと思います。

すべて自戒を込めて。

 
 2002.4.26

 

 

・当記事は2002年に掲載したものを加筆修正し
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