第二章 mind-less その歴史的な背景

何か現象が起こるというときには、必ず、原因
(背景)があります。

とくにmind-lessのような心的現象の場合、ある
程度、長い時間を遡ってみないと
その現象像も見えてこないと思います。

mind-lessの反省と、これからの回復を考える上で、
少しタイムトラベルしてみます。


まず、歴史的背景を、世代・年代という視点から
考えてみたいと思います。

世代で追えば、そうですね・・・、
昭和40年(1965年)生まれがボーダー
(ある一つの線)で、
1965年以降に生まれた人や、その子供たち
(1985年以降生まれ)が、このmind-lessに
大きく巻き込まれている世代であろうと考えます。

あるいは、あなたや、あなたの親世代が昭和10年
(1935年)以前か、以降か・・・
という区切り方も出来ると思います。

何故、このような(年代での)区切り方をするの
かと云いますと、人は時代の影響を強く受けると
いう点、そして子は親の影響を強く受け継ぐ
いう根拠からです。

以下でその説明と、歴史的な背景を述べさせて
頂きます。
退屈な話かも知れませんが『いま、という時代』
を知る上で、重要な内容なのでお付き合いください。

※もちろん、該当するすべての人がそうであると
いう訳ではありません。
またこれは、その年代(生まれ)が「良い、悪い」
という考え方や、批判でもありません。
ここでは、歴史的事実を客観的に見ることが目的
です。その点、お間違えのないよう、初めに注釈
を加えておきます。



昭和10年(1935年)までの日本

明治維新以降、日本は西洋文化を取り入れるよう
になり、急速な発展を遂げました。

そして明治の末期から大正にかけて、大陸への
侵略戦争を何度となく繰り返し、昭和という時代
の幕開けも、人々は優る国(戦勝国)ムードに
酔いしれていました。

しかしおごれる者 久しからずで、いつの世も、
傲慢な生き方は長続きしません。
昭和10年頃は、日本に敗退の暗雲がたち始めた
時期です。


話は先ず、明治・大正期から始ります。
私も(明治中期生まれの)祖母たちからの聞きか
じりですが、この時代は、とにかく華やかという
言葉が似合う時代だったそうです。

人々は、異文化のオシャレや遊びに明け暮れ、
街は賑わっていたそうです。

もっとも、その裏では、野麦峠のような悲話が
生まれた時代でもあるのですが・・・


言葉は悪いですが、国全体が浮かれ、人の気持ち
も浮かれた時代に生まれ育った人は、
やはりどこか浮かれています。(いつの時代も)

最近あったバブル景気期を思い起こして頂ければ、
イメージ出来るかと思います。


どんな時代であっても、どの時代に生まれ、どん
な環境に育ったのか、によって、だいだいの人物
像が見えてくるほど、時代環境は、その人の人格
(性格)形成に大きく影響を与えます。

もちろん、時代の大きな影響と、それぞれの家庭
環境などによって、異なった人格になるわけです
が、それほど人格形成は時代環境や、家庭環境に
大きく影響されます。

たとえば、甘い考えの世代の親から生まれた
子でも、同居する祖父母が厳格世代であれば、
(善し悪しは云えませんが)そこに育つ子の
感じ方、考え方にも影響を与えていきます。


さて、前置きが長くなりましたが、そんな(華や
かな)明治末期から大正期に生まれ育った人たち
が、今度は家庭を築き、子供を持つ親になり始め
ます。

ちょうどそれが、日本に暗雲の見え始めた、
昭和10年(1935年)前後です。

よく昭和一桁という言葉を使いますが、あれは、
あながち的を外した事ではなく、躾けなどの日本
の古き良き伝統を引き継いだ最後の世代が、
昭和一桁生まれではないかと思います。
いわゆる、いまで云う古臭い考えの世代です。

そういう意味で、昭和10年前後は微妙な境目、
時代の転換期と考えられます。


※余談 私は昭和36年生まれですが、親は大正
末期と、昭和初期の生まれ、つまり一桁世代です。
同年代の友だちの親は、はっきりと昭和10年前
後生まれに分かれるのですが、面白いことに、
自分と相性が良く、長く付き合えている友は、皆、(
親のうち片方が一桁とか)一桁の親を持つ人たち
だったのです。もちろん、意識的に(昭和一桁の
親をもつ人たちを)選択していた訳ではありません。
そのことに興味を持ち、周囲の同年代たちを調べる
と、やはり同じグループ現象が起こっていました。
それぐらい、人間は意識とは別に、さまざまな時代
背景に影響されながら、生きていると云えるので
しょうね。


その昭和10年前後生まれの方たちは、さらに
時代背景によってふたつの方向へ分かれることに
なります。

その一番大きな影響は、もちろん第二次世界大戦
ですが、やはりここでは、教育環境があげられる
と思います。

昭和一桁前半の人たちは、戦中に義務教育を終え
ますが、昭和10年前後の人たちは、終戦前後に
義務教育を終えることになります。ここで明暗を
分けるのは、戦後の教育改革によって新たに開か
れた、大学進学という選択肢です。

もちろん、戦前・戦中にも大学はありましたが、
これほど庶民に広く門戸が開かれたのは初めての
こと。この門戸が広く解放されたという部分が
重要です。

それ以降、学歴偏重による受験戦争の歴史が始る
のですが、つまり彼らは、歴史上初めての受験戦争
に巻き込まれたか、逃れたかの分岐世代なのです。

当時は、家庭環境の差が現代以上に激しく、進学
率も低かった訳ですが、そうした進路の違いや
環境が、彼らの意識や考え方に大きく影響して
行きます。

そして、そのことが、昭和30年以降の日本にも、
大きく波及して行きます。

  

昭和20~30年(1945~1955年)
頃の日本

また、
この時代は家族という、ひとつの『小さな社会』
の在り方も、大きく変わった時期でもあります。

戦前は、二世代、三世代の同居が当然で、兄弟も6~
7人という家庭が自然でした。

しかし、戦後の(疎開や復員などの)混乱や復興期の
出稼ぎなどで、人口移動が激しくなり、
家族という形態にも変化が現われ始めます。

そして、昭和30年代になると東京オリンピック景気
も重なり、家族形態の変化が加速します。

人々は、さらに大都市に集中し、核家族が一般的な家
族形態になって行きます。

そして、昭和一桁前後生まれの方たちが、親世代とし
て主役となった時代でもあります。

(参照)核家族に対する一考察




昭和40年代(1960年)頃の日本


人々に『豊かな生活』が行き渡るのは、
それから少しあと。

東京オリンピックの後、昭和40年(1965年)
代の中盤以降だったように記憶しています。
暮らしが変わり、それに伴い人々の感じ方、考え方が
大きく変わってきた時代

それは終戦直後の戸惑いや、なかば強制的な変化では
なく、自分から求めての変化です。

つまり人々は、ようやく自分の意思で、生活を選べる
時代になったのです。
彼らは浮き足だちながらも、見た目と便利さに翻弄さ
れました。

『豊かさはお金次第。お金があれば何でも買える』
そんな浮かれた時代であったと思います。
バブル期と似てます。 

そして、ちょうどその頃が昭和一桁前後生まれ夫婦が
「そろそろ二人目の子を」と考える時期と
重なります。

洗濯機や掃除機が普及し、婦人運動が盛んな時期
も手伝って、主婦たちは解放され、自分の時間や、
仕事を持つようになりました。

家族は、夫婦と子供だけとなり、『カギっ子』という
社会現象すら起こりました。

 

昭和50年代(1970年)以降の日本


昭和20~30年当時は、受験戦争があったとは
云っても、進学率も低く、まだ就職組が多い時代
でした。

そうした背景が、彼らの優劣感貧富感を強め、
後々の本格的な受験戦争を招く理由であったよう
に思います。

「お父さんのようになりたくなかったら・・・」
という言葉も、この時代を象徴する言葉です。

そして『良い暮らしは、学歴次第』という(いま
となっては根拠のない)神話が生まれ、
「あなたは勉強だけしていれば良い」を合言葉に
受験戦争が、ますます激化していきます。

そのためか、どうなのか・・・昭和60年代
(1980年)頃から、その受験戦争から独立した
人たち(1960年以降生まれ)が核家族二代目
として家庭を持ち始め、キッチンに『まな板や、
包丁のない 新世代の誕生』と話題になりました。

子供に与えるジュースを切らせ、『困った母親が
台所洗剤を希釈して飲ませた』という、嘘か本当
か、でも笑えないエピソードが生まれたのも、
この時期です。

※核家族二代目の長男長女たち(1950年代前後生
まれ)は、時代の変化に揉まれながらも、彼らの
親世代が大正・昭和初期生まれであったせいが、
比較的安定した家庭を築いていたように思います。

そして、核家族化の二代目の末っ子たちあたりか
ら、子育てに悩む母親が登場します。
まだ悩むだけなら良いほうで、(核家族化で)相
談する相手もおらず、ノイローゼとなった母親や、
捨てられる子供たち
『コインロッカー・ベイビー』も、大きな社会
問題となりました。

ちなみに『コインロッカーベイビー』は、197
0年代の小説のタイトルであり、流行語です。

住居も、核家族一代目と、二代目が、マンショ
ンや、垣根は無いが近所付き合いの乏しい一戸建
て住まいへと次々に分離し、
『隣りは何をする人ぞ』が笑い話にならないほど、
ますます家族が独立し始めました。

しかしそれは、お世辞にも独立化とは云えない、
孤立化の加速だったように思えます。

そして、そこでまた育った子供たち(1980
年代生まれ)が、いま核家族三代目として、
次々と独立を始める年代になってきています・・


余談・・・『隣りは何をする人ぞ』
いまに限らず昔から『隣りは何をする人ぞ』は、
あったと思います。各家庭という単位があるので
すから、それは当然な話です。
しかし、いまは、隣人の人物像や、生活像が掴み
づらい時代だな・・・と思います。

私が育った頃は、まだ「お醤油貸して~、味噌
貸して~」の良い意味でも悪い意味でも隣近所
との垣根の無い時代でした。なので、隣りの
家族構成はもちろん、お父さんの勤め先や月給、
親戚関係まで当然のように周知されてました。

しかし、そのお陰か・・・
何日が家を留守にするときにも、隣人に
「親戚に不幸があって・・・留守します」と
声を掛け合ったので、あまり不安は感じませんで
した。
相手のことがある程度分かると、隣りが何をし
ていても、自分の中の基準と想像で、
「自分と同じような感じで暮らしているのだろう」
と、安心感が持てるのです。

ですが今は、人物像も家庭像も見えない人たちと、
隣り合わせに住んでいます。
相手のことを知らないというのは、相手がのっぺ
らぼうと同じで、何を考えているのか分からない
のですね。そうなると不安が募るのも当然です。

まして、いままで住んでいたはずの人が急に居な
くなり、家財が置き去りだったりすると、
その先がどうなるのか、そして事件性を持った
失踪ということも、心配しなくてはなりません。

同じ『隣りは何をする人ぞ』でも、ここ数十年
で、随分と違ってしまったものです・・・


長くなりましたので、この辺でやめておきますが、
この章で感じて頂きたいことは、カタチは変わっ
ても、歴史は繰り返されていると云うこと。

そして、子は親の影響を強く受け継ぎ、人は時代
の影響を強く受けていると云う事実です。

ご覧頂いた内容だけでも、この数十年で、社会
や家族の在り方が、大きく変わった・・・
という事実は、お分かり頂けたかと思います。

もちろん、変わることは悪いことばかりではあり
ませんし、それが悪いと云うことでもありません。

ただ、この数十年の変わり方は、「勉強だけして
いれば良い」に代表されるような偏った考え方と、
核家族化の加速によって、人々の人格形成や、
生活環境を大きく歪めてしまったように思うの
です。

結論付けは、まだ早いと思いますが、いま起こっ
ているmind-lessは、そんな世代間や、地域
との交流の貧しさが生んだ産物であるという
見方(仮説)は、誤っているでしょうか。

上記した時代の中で、子供たちは早々に
「何か変だ、おかしい」と
1970年代の暴走族や学校暴力に始まり、不
登校・引き篭もり、家庭内暴力など多くの警鐘を、
大人たちに発し続けてきたのだと思います。

そしていま起こっているmind-lessは、
その最後の警鐘のような気がします。

歴史が繰り返されるのであれば、その悪い面を
断ち切り、良い面を後世に渡して行けるよう、
いまの時代を担う私たちが、真摯にこの警鐘を
受け止めていくべきだと思うのです。


この章の最後に時代は繰り返す考・・・
明治・大正期から、戦後の復興期、そして東京オ
リンピック景気、バブル景気・・・と、
20~30年周期で、時代が大きく動いている
ことが分かります。
それを親世代の年代別グループに重ね合わせると
合致してしまう、、これは単なる偶然でしょうか。 

もちろん、その年代の人が良いとか悪いとか、
誰が加害者で、誰が被害者という訳では、あり
ません。

犯人探しをしたい訳でもありません。
むしろ、私たちすべてが社会現象を巻き起こした
加害者であり、こんどはその現象に飲み込まれて
しまった被害者でもある、という云い方の方が
正しいでしょう。

なので、その後始末(修正)は、自分たち全体
の責任という視点を持って頂けたらと思います。


具体的な年代を提示してしまい、該当する年代
生まれの皆様は、大変不愉快なお気持ちになられ
たかと思います。
まず、その点、お詫び致します。しかし前述し
ました通り、その年代だから「良い、悪い」では
なく「その時代全体が、そういう雰囲気だった」
という見方をして頂ければ有難いです。





・当記事は2002年に掲載したものを加筆修正し
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