四つめに提起したいことは、
子供たちに縦の関係(縦の社会)を学ばせてあげ
ることです。
いつの頃からか『友だちのような親子』が誕生し
ました。文字通り、友だちのように仲が良く、
何でもお互いに打ち明けられる関係です。
そして、そこは人生の先輩後輩としての教え導き、
そして育てる関係とも無縁の世界でもあります。
私は、友だちのように仲の良い(親子)関係を否定
するつもりはありません。むしろ、仲良きことは
良きことで、それはおおいに奨励したい気持ちで
す。
しかし、子供にとって親は
「初めて接する人生の先輩」です。
そして同時に
「初めての教え導いてくれる先生」
でもあるのです。
さらには、(人生の)先輩後輩という縦社会を学ぶ
大切な機会とも云えるのです。
ですが残念ながら、いまの親たちは、お世辞にも
その役割を果たしているとは云えません。
仮に「悪いことをしたら叱ります」と云うので
あっても、その多くは感情に任せての『怒る』
であり、そこには『教え導く』という要素が、
どこにも見当たらないのです。
そうなると、「ただ怒るだけ」という、
縦の関係と云っても、「威張る、従わせる」の
主従・支配の関係が成立してしまいます。
つまり、仮に「叱る」であっても、そこに教え
導く心がなければ、叱る親にしても
「なぜ叱るのか」の目的がブレて、ただの支配に
なってしまいますし、
叱られる子供にしてみれば「なぜ叱られるのか」
の理由が見えないどころか、ただいたずらに
罪悪感と、怯えを植え付けられるだけ、になって
しまいますよね。
ちなみに・・・
『叱る』と『怒る』は違うと云う話は、みなさん
もご存知だと思いますが、念のため書きますと、
『叱る』には、諭す(さとす)、教えるの意味 、
『怒る』は、単なる怒りという感情の表出です。
ではなぜ、親は怒るしかなく、叱ることが出来な
いのでしょうか。
それには2つ理由があると思います。
その一つは、親自身が「そうされてきた」。
つまり、彼らも(彼らの親から)、叱りながら教え
導くことをされて来ず、ただ怒られていた。
知らないのですから、分からなくても、出来なく
ても、ある意味、仕方ないですよね。
それに、ただ怒られて過ごしてくれば、
「それが親子関係として当たり前」
と勘違いしても無理はないですわね。
そんな伝承の失敗があると思います。
そしてもう一つの理由は、子供に対しての怯え
です。
そこには
「どう子供と接すれば(向き合えば)良いかが
分からない」という戸惑いがあると思います。
また、叱るにしても叱り方はもちろん、
その叱る理由さえも分かりませんから、
その行為によって子供に嫌われたら・・
という気持ちが働いているようです。
つまり自信がないことなので、どうなるかと
不安で怯えている・・そんに感じですね。
ではなぜ、怒るのか・・・叱るより怒るほうが、
本当は嫌われるリスクは高いはずなのに・・
それは、戸惑いと嫌われたくない心理の反動と
云えます。
つまり、戸惑う気持ちを悟られては、子供に対す
る威厳が保てない。
嫌われたくないという、いわば子供に対する
『負い目』に気づかれてしまったら、
さらに自分の立場が危ういものになってしまう。
だから怒ることで、戸惑う気持ちを隠そうとする
し、威厳を保とうともするのです。
もちろん、そうしたことは、人生の先輩として
「あるまじき行為」であることは、おそらく
親本人も、なんとなく気づいてはいるはずです。
しかし、それだけに「どうすることもできない」
というジレンマから、なおさらに怒りを噴出させ
てしまう・・・という悪循環もあるのかも知れま
せんね。
こんなことを書き連ねていたら、悪口大会みたい
になってしまいますね。もちろん、そんなことを
書きたいわけでもありません。
それより、これから先の未来の話をしましょう。
では、どうするか?です。
さきほど私は「伝承の失敗」と書きました。
ならば、その失敗を後世に残さないためにも、
やり直し・・と云いますか、
ここから新たにその伝承をスタートさせたら良い
のです。
と、云うのは簡単ですが、
「じゃあ、何をすれば?」ですよね。
もちろんそれは、各自で考えて頂くことですが、
それでは途方に暮れてしまうと思うので、
大事な要件、ポイントをまとめておきたいと
思います。
まず、それは、
親と子供の『縦の関係』を確立し、それを子供に
学ばせてあげるという目的があります。
次に、そしてそれは、
人生の先輩後輩という正しい縦の関係である。
つまり、どっちがエライとかではない、人間とし
ての対等の関係を、子供に感じてもらうことでも
ある。
したがって、彼らが道を誤ったとしても、それを
怒るのではなく、ちゃんとした道理を、教え導く
ことで、もし叱るのであっても、その目的を忘れ
ないように。
と、こんな感じでしょうか。
しかし、これも云うは易し、行うは難し・・・で、
簡単そうだけど難しいことだと思います。
なんと云っても伝承されていない・・・
云ってみれば「初めてのこと」ですからね。
あの・・・ぶっちゃけて云います。
分からないことは分からない、で良いと思います。
そこは『仲の良い親子』である利点を活かし、
「実は・・・」と子供に打ち明けるつもりで
「一緒に学ぼう」と考えたら良いのです。
そういう意味では、人間一生が学びですからね。
しかし、そういうことも、
もしかしたら親子関係では大事かも知れません。
つまり、同じ人間同士として、お互い補い、
助け合う。
子供は親・・・大人が知らないことをたくさん
知ってます。それを謙虚な気持ちで教わる気持ち
も大事だと思います。
子供は、そういう親の謙虚な姿勢を尊敬する・・
とも云えます。
そして尊敬すると云うことは、子供にとっても
その姿勢を真似るという学びにもなるのです。
長くなりそうなので、このへんで終わりにします
が、最後に・・・
タイトルの『友だち親子からの脱却』
その意味と、その理由、そして、どうするのか
・・・を書いて終わります。
冒頭にも書きましたが『仲の良い親子』はとても
良い関係だと思いますし、子供にとって親は、
ある意味、心底甘えられる唯一の存在です。
子供の頃にしっかり甘えることは、巣立ちをする
ときに重要ですから、そういう意味でも、
しっかりと甘えさせてあげてください。
しかし、そこで大切なのは『ケジメ』です。
これを外してしまうと、だだの「なあなあ関係」
になってしまいます。
ならば、どうするか?
それは『公私』をきちんと分ける。
わかりやすく云えば、
家庭内では甘えてもいいけど、家庭の外では、
子供と云えども立派な社会の一員だから、
「やって良いことと悪いこと」のルールやマナー
は、しっかり守ろうね。
というケジメを、人生の先輩として教えてあげ
て欲しいのです。
と、これも云う簡単ですが、
おそらく一番難しいことだと思います。
なぜなら、それは自分自身が、その模範にならな
ければ、話にならないのですからね。
つまり、子供だけに「しっかりやれ」と云っても、
子供は親の背中をみて行動しますから、
言葉ではなく態度(姿勢)で導いてあげるしかない
のです。
しかし、これも考えようで、
それがそもそも本当の子育てである。
子育てとは、子供と一緒に成長することなのだ、
と逆に、そうした機会を大事に思えば、自分自身
の為にもなるのですよね。
そして子供は、そうした親の姿勢から、
本当の意味での縦の関係、縦の社会を学ぶこと
ができるのだと思います。
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