その回復への提案(2) 堪忍袋・我慢する心を育む

私たちにとって耳の痛い話ですが、現代人は総じ
て、我慢する気持ちが欠落しています。

何事に対しても、忍耐ということも出来ませんね。


モノの無い時代から、モノが溢れた時代へ
そしてキャッシュレスな時代、
速ければよいという風潮と、情報の過剰さ・・・

世の中、情報や商売に溢れてますし、
手元にお金がなくても、何でも買えちゃいます。
しかもそれは品物に限らず、時間までお金さえ
出せば手に入ってしまう時代です。

そうした時代の誘惑が、
私たちから、我慢する心を奪ってしまった。
堪え(こらえ)て忍ぶ堪忍袋という、心の大きさ
(容量)さえも、縮小させてしまったのですね。

とにかく現代人は「堪え性」がなくなり、
すっかりセッカチ(短気)になりました。


では、どうしたら良いのか。

まずは、我慢の習慣づけをすることなのですが、
もっと根本的な見直しが必要だと思います。

それは、視野を広げることです。

えっ?と思いますよね。
そりゃ、思うと思います。

しかし私たちは、視覚的にも、心的にも、
遠くをみなくなりました。
実は、そうした近視眼的な生活が、私たちの
心を委縮させ、堪忍袋という我慢する気持ちさえ
奪い取ってしまっている・・と云えるのです。


まずその理由と因果関係ですが、
私たちの心は、私たちが思う以上に順応性があっ
て、とにかく環境に左右されやすく出来ています。

ですから、狭い範囲のものだけを見ていると、
それがすべてのようになって、その中だけで、
物事の判断をしたり、思い込みを起こしたり
します。

しかし所詮が、とても狭い範囲ですから、
その判断力も「たかが知れている」わけです。

ですが、そうは云っても、それが自分自身の
判断するすべてになっていますから、
些細なことでも気になるし、神経質にもなるから
すぐに限界を迎えてしまうのです。

たとえば、旅行などに云って、広々とした場所に
立ってみると、そこは遠くも見渡せて、自分が
とってもチッポケに感じたり・・という経験
ないですか?

そして悪い意味ではなく、些細ことが
「どうでも良くなっちゃう」という感覚。

まあそれで気持ちが大きくなって、つまらぬ
浪費までしちゃって、あとで後悔するのですが、
それは別の話。。

ともあれ、近くのものだけを見る生活をしている
と、心も堪忍袋も小さくなってしまうわけです。

そんな状態の人に「我慢しなさい」と云っても、
それは無理な話ですから、私はいつも
「散歩でも良いので広々としたところへ」
とお勧めしています。


話がちょっと、とっ散らかってしまいましたが、、

冒頭に書いた「お金を払えば何でも買える」
そんな世の中の話にしても、私たちがそれに
便乗するかしないかも、そうした心の問題なの
かも知れませんよね。

悪く云えば、心の貧しさを埋めるために、
購買に走る心理もありますから。


そういう意味も含めて、みなさんにも、
視覚的には、なるべく遠くのものを見る習慣。
心眼的には、出来る限り広い範囲をイメージする
習慣・・重箱の隅を突っつくのではなく、大きな
気持ちで物事を眺めてみる。

をお勧めします。

ときには人生観すらも変えてしまう視覚の効果
侮れないと思います。


そして、それともう一つ。
まだあるの?って感じかも知れませんが、
とにかく身体を動かして汗をかく。

みなさん、最近、いい汗をかいてますか?

冷や汗なら毎日という人も、
汗はかかないという人も、
とにかく身体を動かしてみてください。

人間、心もそうですが、身体も使わずにいると、
油が切れて、イライラします。
イライラすると当然、我慢の限界も狭くなります。


つまり、以上のことをまとめると、私たちは
人間でありながら、毎日の生活に追われて、
人間らしい生き方が出来なくなってしまっている
と思うのです。

ですから、週末、週に一回でも良いですから、
子供と一緒に、広々とした公園で過ごしてみる
とか、少し日常と正反対のことをしてみると、

心の休息になるだけではなく、堪忍袋も含めた
心の幅(容量)も、かなり広がると思います。





・当記事は2002年に掲載したものを加筆修正し
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