第五章コラム 子供から、ほんとうの大人へ

二十歳になると迎える成人式の『成人』は、
『人に成る(なる)』と書きます。

つまり、20歳までの人は、まだ人ではなかった、
という話になります。

これを「ひどい。人権問題だ」と思う人もいれば、
「なるほど、そうだ」と思う人もいると思います。

私はその後者で、そこに子供たちの成長を国全体
で温かく見守ろうとする気持ちを感じました。

ご存知のように、他の動物に比べ人間の成長には
とても時間が掛かります。人間は本能以外に
精神という特殊な心を持った為に、一人前と呼ば
れるまで、大変というわけですね。


では、いくつになったら大人と認められるのか、
という話になりますけど、
それは16歳で成る人もいれば、還暦を過ぎても
成れない人もいる・・・
人それぞれだと思います。

その『成人』の定義を私なりの考えで、
いくつか申しあげるなら、

・精神的・肉体的に自立していること。

・付随して、自他を受け入れ尊重できること。

・付随して、モラルを守ることができること。


関連づけていけば、まだまだあると思いますが、
基本的には、

・社会に溶け込み、うまく共存のできる人

が、真の大人であり、
無償の甘えを求め続ける人は、どこまで行っても
子供と云えるのではないでしょうか。


人に甘えることが悪いのではないのです。
人は、人と支えあってこそ人であり、人間関係
なのですからね。

ただその甘えが他者に負担や不快を負わせる
だけの一方的な甘えであったとすれば、
「支えあい助け合う」こととは程遠いもになり、
とても人間関係を築けるような状態では
なくなってしまうことは云うまでもありません。 


何らためらいも無く道路にゴミを捨てたり、
唾を吐いてしまう人。

相手の気持ちや、立場も考えられず、ただ相手を
非難し負担を押し付け、自分を省みられない人。

そのような人を誰が心の底から(大人として)
支持することができるでしょうか。
残念ながら、それは自分の身勝手(エゴ)だけを
押しつけ(本能だけで)生きる「お子ちゃま」で、
お世辞にも人に成っているとは思えません。

誰にでもある、そんな自分の中の甘え(幼稚さ)
に気付き、認めたときが、本当の意味での
『人になる成る』ことへの第一歩なのではないで
しょうか。

 2002.4.25

 

 

・当記事は2002年に掲載したものを加筆修正し
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