第五章コラム いましか、ない

この美しい地球上に、知能を持った人間が誕生
してしまった為に、この星が滅びようとしている
・・・まだ人間たちに良心が残っているころには、
人間も自然との共存も可能であったが、その心が、
ただのエゴの塊になったとき、人間は単なる凶暴
な破壊者に変貌してしまった・・・


馬鹿げた話・・・でしょうか。
しかし、そうした地球規模の破壊で考えてみると、
我々人間が心を失い始めたのは、昨日今日ではな
く、長い歴史を経ての話であることが分かって
くるのではないでしょうか。

そして、一人ひとりの小さく思える心でも、
地球規模に大きく影響していることが分かると
思います。すべてのものに対して心配り(思い
遣り)を忘れてしまうと、それは大きなツケと
なって戻ってきます。


そうですね・・・人間の心が大きく狂い始めた
キッカケは、やはり資本主義という考え方や、
産業革命以降でしょうか・・・。

とくに機械文明は、もともと『人間の歩調』に
合わない異物だったのかも知れません。

機械化によって便利さを感じる反面、人間は
段々とそのスピードに追いつけなくなり、
すっかり、心や身体のリズムを狂わされて
しまいました。
そう・・・人間たちは便利さの代償として、
ゆったりと何かを実感したり、考えることの
時間を、すっかり奪われてしまったのです。

いまの世の中を見ていても、
「もっと、もっと・・・」は相変わらずで、
人々は忙しいというより、急かされている感じて、
「みんな疲れちゃってるなぁ」と思います。

便利さを求めたはずが、その便利さに首を絞め
られている・・・そんな印象です。


話が逸れました。

少なくとも利器を発明した人は、名誉や自己実現
という欲望はあったにしても・・・たとえば
原子力を発見をした化学者たちも、はじめから
殺人兵器(原爆)や自然破壊(原発)に加担しようと
は思ってもいなかったでしょうし、

もちろん、いま、開発に取り組む人たちにしても、
「地球破壊をしてやろう」と思っている人は
居ないでしょう。

しかし現実には、そうした文明と呼ばれる人間
たちの創造物が、地球環境を蝕み続けている
ことは間違いないわけで、

いくら、あわてて「地球環境に優しいこと」の
研究や利用を始めたとしても、破壊の速度に、
まったく追いついていないのが現状ではないで
しょうか。

結局、どんなに素晴らしい発見・発明や開発も、
それを使う人間の心次第・・ということ、
なのですよね。

『足るを知る者は富む』(老子)の言葉通り、
人間もそうした創造物を必要最低限の利用に
留めていれば、もっと違った形での地球共存に
なれたはずです。

そう考えると、人間の欲求の罪深さしか思い
あたらなくなり、悲しい気持ちになります。


ともあれ、エコだの、環境に優しいだのと、
どんなに言葉で綺麗ごとを云ったところで、
空気(大気)や海を汚しているし、
森林や山を切り崩しているし、

相も変わらず人間は、
『地球(自然)環境を思う気持ちを失った動物』
に成り下がってしまっています。

そう・・
地球にとって人間は、とても中途半端で、邪悪的
な存在になってしまったのですね。

大袈裟な話ではなく、このままの状態で行けば、
人間が地球を滅ぼすのに、あと10年はかから
ない、と思います。

つまり、10年もすれば、我々人間は、この地球
と共に滅亡する・・・ということです。


いままで地球の歴史でも、動植物が滅亡したという事
実は何度かありましたが、それらはすべて
自然が織り成す淘汰でした。しかし、今回は地球
を破壊した犯人が、我々人間であることは明らか
です。

そういう意味では、二百年ほど前から始った産業
革命などが、あって良かったのかどうか・・・
そうしたことまでが、後悔ですよね。



さて、私が脅かしのように書いた「あと10年」。
みなさんは、この仮説を、どのようにお感じに
なるでしょうか。
「バカなことをいうな。そんなはずはない」
でしょうか。それとも、
「まだ10年なら、まだ放置しても大丈夫」
でしょうか。


私自身、それが自然の淘汰であるのなら・・・
自然現象での終末であるのなら、そうした現象は
仕方ないと思っています。

しかし、それが我々人間が犯した人為的現象で
あるだけに、私たちは、いまこそ目を覚まして、
この終末を防がなくてはいけないと思います。

仮に、もし、もう間に合わないのだとても、
やはり人間としての心を取り戻し、できるかぎり
の償いをして終りたいと思いませんか。


自分を愛するってことは、どういうことなのでし
ょうか。
それは自分だけが良ければ・・・、
自分だけ守れたら・・・、なのでしょうか。

現実がそうであるなら、そうでも構いません。
ならば、その自分を守ることからでも、
初めてみませんか。

ひとり一人の力は、たしかに微々たるものです。

しかし、そのひとり一人の行動が及ぼす力が、
いまの社会現象、自然現象なのですから、

その一人ひとりが「自分の為」に立ち上がり、
守ることを行動にすれば、必然的に小さな波も
やがて大きな波にもなるはずです。

それに人間の欲望が「もっと、もっと・・」なら、
自分を守ること、家族を守ること、社会を守る
こと、地球を守ること・・・に発展すること
だって期待できますしね。

そしてもちろん、それは、
私たち自身が人間らしく、本当の豊かさを取り
戻して生きられる、という意味でもあるのだと
思います。


最後はとても大きな話になってしまいましたが、
話は大きくても、とても身近な問題だと思い
ます。自分という単位が、どれだけ大きな影響
を持っているか、それを実感することが、
すべての始まり・・・そんなふうに感じて頂け
たら幸いです。

長い時間のお付き合い、ありがとうございました。



 2002.5.2

 

 

・当記事は2002年に掲載したものを加筆修正し
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